爪を噛む
いつからか分からないけど、おそらく歯が生えてしばらくしたら、もう私は立派に爪を噛んでいた。
母は私が爪を噛んでいるのを見つけると、なだめたり叱ったりおだてたり怒鳴ったりした。赤チンを塗られたり、透明マニキュアを塗られたり、スースーする薬を塗られたりもした。
全て意味はなかった。私は母に隠れて爪噛みをし、マニキュアごと爪を噛んだ。小さな爪のかけらで喉がイガイガする。噛みたくて噛んでいるわけじゃない。気づいたら噛んでいるのだ。あぁ、またお母さんに叱られちゃうな、と思う。
ある日、母はどこかで爪噛みをする子供は親から怒られすぎている、などと聞いたらしく、ある日小学校から帰ってきた私に、泣きながら「お母さん、いつも怒ってないよね?怒りすぎてなんかないよね!?」と言い、そのくせ爪噛みの原因を母のせいにされたことでひどく怒っていた。爪噛みを母のせいにできるというのは、私にとっては発見だった。
母はいつしか私の爪噛みにガミガミ言わなくなった。ずっとイライラとしていたけど。
私だって、キレイな爪に憧れはあるし、噛まないように頑張って数ヶ月伸ばしたこともあるが、結局爪切りで切ったあと、ガタガタする爪を指の腹で撫でているうちに、無性にイライラして噛む。あぁ、また噛んじゃった、せめて人差し指と中指と小指だけは噛まないようにしよう、と思って、気づいたら一本ずつ爪が短くなっていて、元の木阿弥。
たぶんこれは一種の自傷行為なんだと思う。爪を噛んで、深爪して痛い。痛いから生きているーーなんて短絡的なことは思わないけど、自責が心に澱のように沈澱して、私の一部になっている。タバコやギャンブル、お酒がやめられない人の気持ちがほんの少しわかる気がする。
爪噛みしていることを他人に見つかるのが嫌いだ。だから手を繋ぐのが苦手。ハンドマッサージも嫌い。指先を見られるような仕事や仕草も避ける。あぁ、そう思うと結構日常生活に支障があるんだなぁ。
爪ってなんだろう。動物のそれは武器、道具。人間のそれは、ちょっと道具、アクセサリー、不潔なもの。
「いつ噛んじゃうんだろう、見てよう」昔、短い間付き合っていた年上の人が、ニコニコしながら言った。私は恥ずかしくて俯く。彼が見ている前で、堂々とガリガリ噛めば良かった。
ーー中2の息子が、気づいたらちゃんと爪噛みをしている。隣でガジガジしていると、やっぱり心が騒ぐな、と思う。私は彼を怒りすぎているのだろうか、という呪い。
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