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地境が広がる (畠中 宏)

今年の2月にフィリピンで行われたアジア太平洋地域のラルシュの研修に、なかまの小野田さん、理事の村本さんとともに参加する機会が与えられました。

 フィリピン、台湾、インド、オーストラリア、そして日本のコミュニティから総勢約20名が集まり、ワークショップや施設見学などをしながら5日間いっしょに過ごしました。英語は苦手ですし、最初は正直気が乗らなかったのですが、ほかに行ける人がいないということなので引き受けることにしました。私にとって初めての海外体験でした。

 ワークショップの時間では、生活のなかで大切にしていること、コミュニティへの貢献、ともに暮らす難しさなどをテーマにグループに分かれて話し合い、それを発表します。とにかく英語で話さなければなりません。参加したアシスタントのなかで、間違いなく私の英語力が一番乏しかったので、必死にしゃべって必死に聞きました。
 同行した村本さんが要所要所で通訳してくださいましたが、一人で参加した討論では聞き取れない部分も多く、また自分の思いの半分ほども相手に伝えられなかった気がします。

小野田さんのほうは、いつもどおりの飄々とした様子で、いろんな人に平気で日本語で話しかけ、伝わっているようないないような会話を楽しんでいました。
 かなの家では、伝えたいことが伝わらないのが日常ですし、そういうコミュニケーションでも十分なのかもしれません。いちいち気に病む私は、小野田さんをうらやましく見ていました。



 期間中、毎朝スピリチュアルの時間があり、各コミュニティがさまざまな形の祈りや瞑想の時間を提供しました。かなのすまいでは毎日朝夕にみんなでお祈りをしているので、私たちの担当の日はそれをそのまま再現することにしました。

 いつも使っているウクレレを弾いて、「キリストの平和」と「見よ兄弟が」という賛美歌を歌いました。日本語でしか歌えませんでしたが、心に染みたと言ってくださる方もたくさんいらっしゃいました。

 研修を通してほかのコミュニティのことを知っていくと、言語や習慣の差こそあれ、コミュニティ生活の中心にあるものはどこも変わらないことがわかりました。いっしょにご飯を食べ、お祈りをして、時にはケンカをして、ともに生きる人との違いやそれぞれの弱さと付き合いながら、今日も明日もいっしょにいる。そんな日々をどこも過ごしているようでした。

 大きな研修が終わって数ヶ月、こんどはかなの家で人事異動があり、なんと私がかなのすまいの責任者になることが決まりました。私としては、自分は現場の労働者であって、人や組織を捌けるような性質の人間ではないと思っているのですが、これまた他に適任者がいないという感じで私のところに回ってきました。
 いろいろな場所に、自分が出ていって説明や交渉をしなければならなくなります。今までどうにか逃げおおせてきたのに、困ったことになったと思いました。

 なぜこんな身の丈に合わない役割ばかり私に、と考えていた時に、ふと自分が毎日の祈りのなかで、「私の地境を広げてくださいますように」と唱えていたことを思い出しました。あまり深く考えず簡単に祈ってきてしまったけれど、これは今まさに、主が私の地境を広げてくださっている真っ最中なのかもしれない。

 古い地境の向こうに未知の土地があり、主が私をそこに遣わそうとされているように思えてきました。自分で祈ってしまったのだから引き受けるしかありません。根っからの後ろ向き人間なので不安は湧き続けますが、主の御手にすがって、新しい土地に歩き出そうと思います。

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