猫を探す①

 あと一週間で夏休みが終わる。
 私は学校に行きたくない。
 行くくらいなら死んでしまいたい。
 お母さんに言ってみたけど、「サボるんじゃないよ、あんた。」の一言で終わり。私が何を考えているのかとか全く理解できないし、興味もないという感じだった。
 とにかく学校に行きたくない。
 そんなわけで、多分他の人が見たら死んでいるような顔つきでぼーとテレビを見ていた。今日は8月15日。終戦記念日らしくて戦争の映像が流れていた。考えるともなく、ただただ見てる。時折焦げたトーストみたいな色になってしまった子供やガリガリに痩せ細った兵隊さんの画像が差し込まれる。目を背ける気も起きず、ただただ見つめていた。
 頭に柔らかい感触がする。なーん、という甘えた声を発しながら飼い猫のゆきが、私の頭をぺしぺしと足で叩いていた。遊びたいんだろう。私は無視を決め込み黙ってテレビを見つめていた。ぺしぺし。なかなか去ってくれない。払いのける気力も起きずにテレビを見つめる。ぺしぺし。
「やめてって!」
いきなり大声を出してしまったせいで金切り声みたいになってしまった。ゆきはビクッとして、私の頭を叩くのをやめた。フローリングの床に爪の音が反響させながらゆきはどこかへ行った。テレビの音しか聞こえない居間に戻る。
「ただいまー」
狭い家に母の声が響く。
おばあちゃんをつれて母は帰ってきたみたいだった。私はむくりと起き上がり、2階の自分の部屋に戻ろうとする。行きがかりに母が
「あんた、ゆきが外に出て行っちゃったから、探しに行ってくれない?
もう外も暗くなってきちゃったし」
と言った。
私は母のよく言う「あんた」という言い方が気に食わなかった。言い返そうと思ったけど話が通じるような相手じゃないのはもうわかっているから黙ってうなづいてやり過ごすことにした。
廊下ですれ違いざまに「こんばんは」とおばあちゃん。私も「こんばんは」と返す。特に話すこともないので「私、ゆきを探しに行ってくるから出かけてくるね」そう言って私は振り返らずに出ていった。
 3日ぶりに外に出た。思わず茜刺した日差しの眩しさに手を挙げて遮ってしまう。この世の終わりみたいな金色の空に嫌気がさしながらも、美しいなと思った。私の心は腐ってしまっているのに。
 ”猫を探す”か。同じような名前の小説があったな。そんなことをぼんやりと考えながら私は歩く。ゆきが歩く道は一度ついていったことがある。その道をたどれば恐らくゆきは見つかるだろう。静かな住宅街を抜け、暗くじめっとした路地裏を抜け、人っ子一人いない寂れた公園を抜け、八咫烏神社へと向かった。なんでこんな名前なんだろうな。そんなことを考えつつ私は境内でゆきを探す。不気味なほどに静まり返っている。いつもは年少の子たちが遊んでいるのだが、今日はいない。そのことに若干の違和感を覚えつつ雪の名前を呼ぶ。ゆきや子供どころか、人っ子一人いないようだ。どうせだれもいないんだ。少しくらい大声出してたっていいだろう。
「ゆきー、ゆきー」
静まり返った境内に私の声が反響する。自分の声を意識してしまって気持ちが悪い。私は声をあげて呼ぶのを諦めて、探すことにした。青々と茂った木々の梢から漏れる夕陽は、誰もいない放課後の教室のような気味の悪い美しさを境内に演出していた。普通の人だったらこういう空気感を不気味だと感じるんだろうけど、私はなぜか親近感を覚えていた。どうせこの世界に私の居場所はないんだし、こういう破滅的なものこそが私の居場所なんだ。そんな風に思う。お父さんに昔聞いた話しで、世界が2000年になると終わるという考え方が広まった時があったそうだ。なんでまだ世界があるのかが私は腹が立って仕方がない。死ぬのは怖い。痛いのは嫌だ。だけど生きるのも嫌だ。そんなわがままな私の願いを叶えてくれるような神様なんていない。だからだらだらと生きているんだけど、生きていると死んだ方がましな気持ちになることがある。
「君たちは恵まれている人間なんだよ。食べ物に困らなくて、戦争がなくて、働かずに教育を受けられて」
先生は言っていた。確かにそう思う。日本が昔やっていた戦争で子供はたくさん死んでいた。食べ物がなかったり、空襲で焼き殺されたり、栄養が足りなくて死んだり。世界を見ると、大人に混じってっ子供が働いたり、戦争で住む場所を追われたり、銃で殺されたりするらしい。それに比べたら私はとても恵まれた人間だ。とても。だけど、そんなことを言われて私はどうすればいいのだろう。私は間違った人間だと思う。正しい人間にはどうしてもなれない。彼らは正しい人間だ。私は間違った人間だ。だから私は苦しい。私は苦しい。こんな持て余した気持ちを誰もわかってくれない。土をける。あーあ。ゆきなんてどうでもよくなってきたな。私はそこで30分ほど近くにあったベンチに腰を掛けて、セミの死骸を眺めていた。
みんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんしばらくぼうっとしていてふと思った。やっぱり人間もこのセミと対して変わらないんじゃないかな。春に病院でお父さんの冷たくなった体を見た時に考えたことを思い出す。合唱コンクール、体育祭、文化祭、学校、夢、愛。大人達が言っていることの終着駅がセミの死骸とお父さんの死体なのだとしたらそんなことになんの意味があるんだろう。私はこんなことを考えることが最近よくある。その度になにかに裏切られたような気分になる。何もかも無意味で。やめよう。こんなことを考えても苦しくなるだけだ。私は勢い良く立ち上がって、ジーンズに付いた埃を払う。しょうがなくゆきを探すことに決めた。
 私は神社の裏にある通り道を抜け、開いた場所に出た。こんなところがあったのかとちょっと感動する。見回すと、木造住宅がほとんどだ。相変わらず気味の悪い夕焼けはしたり顔でぎらぎらとしている。長い影は私が歩くのに従って陽炎のようにユラユラと付いてくる。自分の影をちゃんと見たのは何日ぶりだろう。ぶらぶらと私はゆきを探しに歩く。いちにいちに。手と足を交互にリズミカルに出す。暗い気持ちと探検のわくわくした気持ちがないまぜになって少し気持ちが悪い。しばらく歩いていると、長い長い坂道があった。こんな坂道なんてこの街にあったっけ。坂道の上に何かがいた。
 よく目を凝らしてみると、夕陽を背に受けて人が立っている。後ろ姿だから顔は見えない。時代遅れな帽子と真夏なのに暑そうなロングコート、手には大きなアタッシュケースをぶら下げていた。なにより特徴的だったのはその人物の身長の高さだ。明らかに2メートル以上はあることが遠目に見てもわかる。例えるならサーカスの足長の見世物のようだった。夕暮れの空を見ているのだろうか。じっと固まったまま、空を見ている。夕暮れの空と、オレンジ色に照らされた木造の街並みと、そこに佇む人の風景に私は惹きつけられてしまっていた。ゆっくりとその人はこちらを向く。

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