見出し画像

メメント・モリ

今日の朝は冷え込んだので、ターメリック粥で身体をあたためる。

日本橋に行ったら外国の方ばかりだった。
正月2日目だけど、そんなに混んではいなくて、のんびりしていた。

近所のドラッグストアは、昨年はやっていたのに、今年は閉めている。
昼間、入浴剤を買っておけばよかったな。
昨日は内省しすぎて、なんだか肩が凝っている。
今年はどんなふうに・・・とか、1日で決められるものではない。

ふと、昨年の日記をあけてみた。1月は、藤原新也さんの❝祈り❞という写真展に行っていた。
高校生の頃、❝メメント・モリ❞という写真集に衝撃を受けたのを覚えていた。

大きな蓮の写真のパネルが目に飛び込んできた。インドのガンジス河で沐浴をする人たちを、まるで自分が目の前で見ているみたいで、しばらく動けなかった。魂が亡くなった肉体の、そのままの姿を映している、それを見ているだけで涙がにじんた。

ありのまま、だったから。

❝死❞がどうしようもない悲しみであることは、その頃すでに体感したけれど、悲しくない、って考えはないのだろうか。と思っていた頃。
それからもずっと、なぜ苦しいのか疑問に思っていた。

ヨガ哲学を知って、死とは、現世で役割を終えた肉体が魂を脱ぎ捨てた、という考え方に出会った。ああ、そうか。そう思えばよいのか。

この世でなにかを学ぶために生まれて去った。
何回も繰り返し生まれて、人間として私と出会ってくれた。
おつかれさま。ありがとう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?