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【SS】スタートライン

最後の日、あいつは来た。
舞台袖で舞台の様子を見ていた俺の目にあいつの姿が飛び込んできた。
「やっと来たか。やきもきさせやがって。」
俺は次のシーンの小道具を用意しながら愚痴るように呟いた。
俺は演劇集団「フェニックス」の小道具担当。フェニックスの定期公演はいつも大盛況で人が集まる。今回の公演も連日満員。最終日の今日も満員で立ち見まで出た。あいつはそんな立ち見客の中に隠れるように佇んでいた。野球帽にサングラスというかなり怪しい恰好なのは、あいつが男の俺から見ても恐ろしいくらいの美貌の持ち主であるからだ。そんな恰好でもあいつと分かる存在感はさすがだ。
あいつは俺の大学の後輩で俺が所属していた演劇サークルの後輩でもある。もっとも俺の方が5,6歳年上なので大学で一緒だったことはないのだが。ある時、俺がフェニックスに所属と知った別の後輩が、有名な演出家でフェニックスの代表でもある澤田さんと一緒に学園祭に招待された。あいつと知り合ったのはその時だ。サークルの公演で主役を演じていたあいつは誰よりも輝いていた。澤田さんも何か感じたらしくあいつに声を掛けていた。
「君がその外見に頼ることなく努力したら良い役者になれるよ。」
そんなことをいう人じゃないので本当に驚いたことを覚えている。
その時は何もしなかったが、しばらくして澤田さんから「スカウトして来い」と言われた。だが、あいつは知らぬ間にサークルを辞めていた。理由は分からない。サークル内のいざこざに巻き込まれたとか、女を盗られたとか真偽不明の噂ばかりが飛び交っていた。澤田さんに申し訳ない返答しかできなくていたたまれない気持ちで一杯だった。
あれから5,6年がたったある日の事。後輩がやっている子供向けボランティア劇団の公演で偶然あいつと再会した。あいつはキャストではなくなぜか裏方だった。早速俺はあいつに声を掛け、スカウトしようとした。だがあいつは頑なに拒んだ。
「もう舞台には立ちたくないんです。」
と言って。
「澤田さんの言葉、忘れたのか。」
「関係ないです。俺自身が舞台に立つことはないです。」
あまりの頑なな態度に、その日の説得は諦めた。ただ一つ、賭けのようなことをした。
「澤田さんの事をよくわかっていないくせに断るのが気に入らない。」
「知っていますよ。有名な演出家でしょう?」
「やっぱりわかっていない。」
俺は懐からフェニックス定期公演のチケットを取り出した。
「これを見て考えが変わらないなら諦める。絶対来いよ。」
チケットをあいつに押し付けるように渡して帰った。「あいつは絶対来る」という妙な確信を抱いて。
そしてあいつは来た。俺は道具を準備しながらチラチラあいつを見ていた。最初こそ無関心な表情だったが、舞台が進むにつれあいつが舞台にのめり込んでいくのが分かった。よしっ!あいつはフェニックスに入団する。そしてフェニックスの舞台に立つだろう。もちろん主役として。俺は心の中でガッツポーズをした。
「透、舞台を見ないで何をしている。」
いつの間にか隣には澤田さんが立っていた。澤田さんは俺の視線を辿り、その先にいる人物を見て納得した顔をした。
「森崎玲。やっと来たか。思っていたより遅かったな。」
フェニックスが変わる。澤田さんとあいつ、森崎玲が出会ったことで演劇集団フェニックスは変わる。定期公演最終日にフェニックスがスタートラインに立ったことを俺は予感していた。


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実はこの作品、かなり前に書いた小説の設定を使っています。ちょっと書いては止まり放置、を繰り返して○○年。発表する場がないこともあり、ここ数年は放置状態でした。でも今年、Noteを始めました。もう一つシリーズ「Starting over」シリーズが進んだことでこの作品も進むかもしれない、と思い今年最後のシロクマ文芸部の作品にしてみました。作品が出来ましたら発表したいと思います。

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