吃音症(きつおんしょう)と私

はじめまして。
突然ですが、吃音症(きつおんしょう)をご存知でしょうか?
「どもり」とも呼ばれ、頻繁に言葉が詰まってしまう病気です。

私は現在25歳で、幼稚園の頃に発症してから今まで約20年ずっと続いています。

この病気は一見すると健常者と変わらないため、1人で悩む人が多い病気です。

吃音症を知らない人には知る機会を、
同じく吃音症に悩む人には怖がらなくていいよ ということを伝えられる記事が書ければと思っております。

私は文字を綴ることが得意ではないため、これまでの人生を少しづつ振り返っていこうと思います。
当時の私の気持ちをなるべく原液の状態で綴ることで、リアルを感じていただければと思います。

・幼稚園 吃音症の自覚
吃音症を自覚したのは幼稚園に通っている時でした。
年齢にすると5歳くらいでしょうか。
言葉を発することが難しく、ちゃんと喋らなきゃと思うほどに言葉は詰まりました。
そこで私が生み出したのは、言葉の頭に発しやすい言葉を付けることでした。
私の場合は「お」でした。
お茶、お米、おコーヒー。年齢のおかげもあり「ひょうきんな子供の変な喋り方」として受け入れられました。

・小学校 どもりの劣等感
小学校に入学しても、吃音症は続きました。
教科書の音読や作文の発表会が近づくと、
「吃音症が出てしまうのではないか」という不安に襲われました。
その不安がどもりを加速させ、私は冷や汗をかき言葉に詰まりながら文を読みました。
「わわわ私は、この本をよよよ読んで・・・」
クラスメイトたちのクスクスとした笑い声が聞こえる度に私の頭は真っ白になりました。
私のどもりをモノマネするクラスメイトがいたり、ピグレット(くまのプーさんのキャラクター)や山下清(吃音症の画家)と呼ばれることもありました。
ここから私は発言することが怖くなり、無口な子供になりました。

・中学校 どもりへの慣れ
中学校に入る頃には、吃音症に慣れ始めていました。
会話中に言葉が詰まった時は悩んでいるフリをするなどして誤魔化して、
周りに吃音症がバレないように振る舞いました。
ただ、時間に限りのある授業中は自分のペースで言葉を発することができないため「極度のあがり症」という設定にしてどもりを正当化しました。
緊張すれば誰でもある程度言葉が詰まるのは当たり前という点に注目したのです。

・高校 どもりを受け入れる
私はこれまでの人生でずっと、吃音症は敵だと思っていました。
人生における障害であり、憎むべきものだと。
それがある日突然なんとなく、受け入れてみようと思ったのです。
なるべく喋ることを避けてきた私は、なるべく積極的に喋ろうと思うようになりました。
そして私は接客業のアルバイトを始めました。
「お」の発音が苦手な私はこれがかなり辛かったです。
出勤時のおはようございます。退勤時のお疲れ様でした。すら言うのが大変なのです。
しかしここは工夫の見せ所です。
頭のおをうに変えて「ぅはようございます」「ぅ疲れさまでした」と言ったりして頑張ったのです。
辛い経験の中で私は充実感を感じました。
今まで劣等感を感じていた私は「ようやく普通の人になれた」と思ったのです。

・社会人 ちょっとした癖
社会人になってからもどもりは続きました。
吃音症は大人になれば治る人もいればそのまま続く人もいます。
高校生活で吃音を受け入れ自信をつけた私は普通の人と同じように働いています。
言葉が詰まりそうになったら言い方を変えたりしながら、共存する道を選んだのです。
憎むことをやめた後の吃音症は「片頭痛」や「花粉症」のようなものでした。
病気というよりはちょっとした癖のような仕方がないものになったのです。

・まとめ
以上が私のどもりとの付き合い方でした。
色々と省略している話もありますが伝えたいメッセージはたった1つ。
「吃音を怖がらないで」ということです。
名優ブルースウィリスも吃音症であり、役に入っている時はどもらないということに気がつき彼は役者になりました。
そんな感じで自分なりの付き合い方を見つけて欲しいのです。
私のようにどもりを怖がって拒絶し無口になってほしくないのです。
福本伸行氏の漫画「天」にもこんなセリフがあります。
「失敗したっていい。ダメになったっていい。一番よくないのは失敗を恐れて行動しないことだ」

この文章が吃音に悩む人に届くことを信じて。
またそのほかの人の吃音症の理解が少しでも深まることを信じて。

ありがとうございました。


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