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『監視資本主義』を読んで

この本はすべての人に読んで知ってもらいたいものでありながら、読める人がとても少ないのではないかと懸念され、読もうと思ってくださる方へのガイドともなればと思って書きました。


わたしたちの生活全般を監視するデジタル技術

 監視資本主義がまず何でないかというところからはじめると、監視カメラがあらゆるところにとりつけられるようになって、そのビジネスが活況を呈しているといった個別の問題ではありません。ほとんどの人が知らないうちに、わたしたちの生活全般がデジタル技術の監視対象となりつつあり、それらをもとにしてこれまでの資本主義とは違う資本主義が誕生しつつあることを伝えるのが本書です。
 この本は内容が濃くて多岐にわたるので、何回かにわけてご紹介しようと思います。まず、グーグルの問題を以下の投稿などでご紹介したので、監視資本主義の中心的存在であるグーグルについて書かれていることを今回は取り上げます。グーグルを使っていない人はほとんどいないはずで、ここからはいるのが、この話のイメージをつかむには、いいのではないかと思いました。

わたしたちのデータを集め続けるグーグル

 この1月から始めたnoteでの読書記録によって、グーグルがわたしたちについて膨大なデータを集めているという認識を私は持つようになったのですが、読者の方にもまずその認識を持っていただきたいのですね。その集めている情報には、検索、eール、テキスト、写真、歌、メッセージ、ビデオ、地図、コミュニケーション・パターン、態度、嗜好、興味、顔、感情、病気、ソーシャルネットワーク、購入等々が含まれます。
 「世界の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにする」という、グーグルの理想から始まった情報収集だったのかもしれませんが、そういった理想をはるかに超えた方向で情報収集が加速していて、憂慮される事態になっているわけです。
 この本で取り上げられた調査では、2015年に、人気のある100のサイトを訪問した人は、自分の情報を6000超のクッキーに収集され、その83%は訪問したサイトとは無関係のサードパーティーのクッキーだったとあります。これはユーザーがグーグルのアプリを使うからだけでなく、訪れたサイトでグーグルの追跡ソフトが待ち構えているからです。この調査では、上位100のうち92サイト、上位1000のうち923サイトで、「グーグルによる追跡構造」が見つかったとあります。
 グーグルが何をしようとしているかのイメージが膨らむような機能をさらにご紹介すると、音声認識ソフト、グーグル・アシスタントを使われる方もいらっしゃると思いますが、これがホーム・デバイスのグーグルホームに搭載されているとあります。

それが意味するのは、やがてグーグルホーム(あるいはその後継者)が家庭内アクティビティを動的なものも不動のものもほぼ無限にレンダリングし始めることだ。そのアクティビティには、会話、点灯、問い合わせ、スケジュール、移動、旅行計画、暖房システム、購買、ホームセキュリティ、健康関連、音楽、コミュニケーション機能などが含まれる。

『監視資本主義』

 この引用にあるレンダリングという言葉のおおよその意味は、データを変換して活用できるようにすることです。その元となるデータとして上記のようなものが含まれるわけですが、この本のなかでは、サムスンのテレビが家庭内の会話を収集しているという事例も紹介されていました。お掃除ロボットや調理家電などあらゆる電子デバイスがこれから家のなかの情報を収集して、そこから利益を得ようと狙っているようです。
 グーグルがどこまで細かくユーザーを把握できるかを知るうえで、位置情報システムについて知ることは大事で、グーグルが提供しているアンドロイドは、ユーザーの所在を街区ではなく、1つの建物まで突きとめられるそうです。

2017年11月、ニュースサイト「Quartz」の調査記者は、アンドロイド端末が2017年初頭以来、最寄りの携帯電話基地局の三角測量によって位置情報を収集してきたことを発見した。位置サービスが無効にされ、アプリが作動せず、契約者のSIMカードがインストールされていない時でさえ、位置情報は収集されていた。その情報は、グーグルがアンドロイドでユーザーに送信するメッセージや「プッシュ」通知の管理に使われ、グーグルが「アンドロイド携帯を持つ人やグーグルアプリを作動中の人が、特定の店を訪れたかどうかを追跡し、その情報に基づいて、次にその人に送る広告を決める」ことを可能にした。

『監視資本主義』

 位置情報やマッピングの産物としてできたゲームがポケモンGOで、あの人々が突如としてたむろを始める一世を風靡した現象は、グーグルにとって壮大な社会実験だったそうです。2016年頃、監視資本主義の開発プロジェクトに携わっていた人たちの疑問への答えとして始まったもので、その疑問とは、「人間の行動を迅速かつ大規模に起こして、保証された結果へと向かわせるには、どうすればいいか」というものだったそうです。集団行動を自動的に調整したり統率したりする方法が個人に気づかれないようにとられていたそうで、具体例ものっていますので、是非お読みください。
 今提供されているサービスのなかにも、そういった実験から生まれてきたものもあり、自分がそれにひっかからないためにも、少なくともそれにのったとしても、何にのったかを知るくらいの賢さは身につけたいものです。
 グーグルがこれらわたしたちちの行動データを掘り起こすのは、ユーザーへのサービス向上もあるでしょうが、オンライン行動の痕跡からユーザーの心を読んで、ユーザーの関心と広告を一致させるためです。グーグルは独自の方法で行動データにアクセスすることで、ある人が特定の時間と場所で何を考え、どう感じ、どのように行動するかを察知できるようになっているそうです。それらをもとに広告の提案をするから確度の高い提案となり、それがオークション方式で企業に提示され、最高の値段をつけてくれた企業に落札され、売り上げとなっていくことで、あの時価総額を支えているわけです。

グーグルがえた情報は政府にもわたっている

 グーグルがえた情報は、グーグルという一企業を超えて政府にわたっているというところが、この話の最も恐ろしいところの一つで、その大きなきっかけは、2001年9月11日の世界貿易センターの事件でした。あのテロと言われた事件そのものが、アメリカの国防総省などによるでっちあげだったことが明るみにだされていますが、動揺する社会のなかで愛国者法というものができて、そこから政府とグーグルなどとの協力関係が徐々に構築されていくことになったのですが、その経緯は以前にも書いたので、ここでははぶきます。
 紆余曲折がありながら、政府とグーグルなど監視資本家との関係は、選挙での介入や官民の人事交流、世論工作などを通して強化され、従来の資本主義とは違う資本主義ができつつあり、その実態を表す言葉として選ばれたのが監視資本主義という造語だったわけです。クリックしてくれる可能性の高い広告を表示するために、わたしたちを見張るだけでなく、テロ対策を含む軍事目的のなかで、国民の中にも不穏な動きがないかを見張るという意味で、まさに監視なのですね。
 それまでの産業資本家にとって、わたしたちは労働者であるあけでなく、消費者でもあったわけで、資本家はわたしたちの購買力も必要としていたので、資本家と労働者の間の妥協が成立する余地があり、それなりの給料を支払うインセンティブも、企業の側にありました。しかし、監視資本家にとって、わたしたちは天然資源と同じように情報の元でしかなくなっているのです。わたしたちは彼らのアプリを使っても、何も払っていない人が大半だと思います。彼らにとってわたしたちが顧客ではなく、顧客は彼らの広告や情報を買ってくれる企業や政府なのです。

わたしたちの聖域を守るための戦い

 グーグルなどはそういった顧客へのサービス向上のために、わたしたちからできるだけ多くの情報を集めて広告の精度をあげようとするわけで、そこには多くの個人情報が含まれるわけです。そのため、グーグルの個人情報へのアクセスに対して、世界中で非常に多くの訴訟が起こされています。

争われる問題はさまざまだが、概要はほぼ同じだ。一方的な侵入に対する抵抗、である。それには以下が含まれる。書籍のデジタル化、ストリートビューのWi-Fiとカメラ機能による個人情報の収集、音声通信の傍受、プライバシー設定のバイパス、検索結果の操作、検索データの広範な保持、スマートフォン位置データの追跡、ウェアラブル・テクノロジーと顔認識機能、商業目的の学生データの秘密収集、および、グーグルのサービスとデバイスすべてにわたるユーザープロファイルの統合である。今後、このリストに、ドローン、ボディセンサー、神経伝達物質、デジタル・アシスタント、その他、センサー付きデバイスが加わるはずだ。グーグールの強い権利意識と決意、大胆さには、唖然とさせられる。抽出要求ゆえに、グーグルは境界線を無防備な空間へと押し広げていく。

『監視資本主義』

これらプライバシーの侵害について著者は次のように指摘します。

わたしたちが直面しているこの新たな害悪は、個人の聖域に侵入する。特に深刻な問題は、個人の尊厳に関わる基本的権利の侵犯であり、それには、未来に対する権利と聖域に対する権利が含まれる。これらの権利は、意志の自由と民主主義社会の秩序にとって不可欠な、個人のエージェンシー(行動と選択の自由)と自律性を支えている。
しかし現在、監視資本主義がもたらした知識と力の極端な非対称性は、これらの基本的権利を無効にし、その結果、わたしたちの人生は一方的にデータ化され、強奪され、社会のコントロールという別の目的で利用されている。すべては他者の利益のためであって、わたしたちはそれに気づいておらず、気づいたとしても、戦う手段はない。

『監視資本主義』

 もちろん戦う手段がないというほど絶望的な状況ではなく、忘れられる権利などの裁判で勝利したこともあり、抵抗し、戦っていくために本書は書かれているわけです。ただこの問題の難しさは、この本を読める人がどれくらいいるだろうかという点にまずあります。私自身、はじめて読んで概略はつかめたくらいで、ではどうすればこの監視から逃れられるかについては本当にささやかな抵抗を始めたばかりです。ブラウザをDuckDuckGoに切り替えることなど、いくつか試みたことはありますが、それだけでこの複雑なシステムに抵抗できているとはとても思えないのですね。
 私のようにデジタルの知識も生半可な人は多いと思うし、それ以上に大半の人はそれ以下の知識しかないのだと思います。そういう現状において、この本を読める素地のある人が非常に少ないという現状があり、そのなかで個人情報の大切さなどに関心がある人でないとこんな話にはいっていかないと思うと、すごく読者層が限られる本だと思うのです。すべての人に読んでもらいたいけれども、広まりにくい話題でもあり、今回のこの本のご紹介をさせていただいたことで、日本語にして600頁の本を読んでみようと思う人が一人でもでてきてくれたらうれしいです。

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