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多忙なコンサルタントの学習
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● コンサルタントは【本】から学ぶな
サンフランシスコには今までに計50泊以上したことになる。
主たる訪問目的は、ODネットワーク(主催団体名)への参加である。
OD:Organization Development(組織開発)に関する<理論と実践に関する論文>の発表大会で全世界から数千人が集まる。
*主にモスコーニセンターSFの港近辺での開催が多かった。
その後ODネットワークは内紛で解散しASTD(American Society for Training and Development)に参加する。
行動科学におけるビックネームや新進気鋭の経営学者などが多く出演して、自説の発表や最近の研究成果をお披露目する大会であり、大きなイベント会場で、同時間帯に幾つかの部屋で講演会が開催される、これが一週間続く。
● 直接、本の著者・学者に会って話を聴いて学べ
私が勤務していたBコンサルタント会社の中興の祖である会長の方針は、「学者の理論を本だけで理解してはダメだ、直接本人に会い、話して人となりを理解して、初めてその人が言いたい理論や実践が腑に落ちるのだ」と言うことで、直接サンフランシスコまで接触しに行くのだ。
同じ理由で、海外の学者を日本に呼び研究会を開き、自社のコンサルタント多数とお客様と供に学ぶ勉強会を開催して理論を聴き、多くの議論や質疑を行い見識を深めて、その後日本流に加工して提供サービスにした。
毎年数人の学者と接触していたが、回数が重なると大きな知的財産になった。
この活動が将来的に大きな優位性となり高度な知見とスキルが評価された。
* 招聘した学者やコンサルタントのリストはいづれ<関連資料として上稿する予定
● 「学習する組織:Learning Organization」との出会い
ある年のODネットワーク大会で、「学習する組織」で名を馳せたピータ・センゲが講演をした。
● 無責任な発言に驚きの声
大勢の聴衆を前にこんなことを言いだした、「皆さん私の著書【学習する組織】をお買い上げ感謝いたします、売れに売れました、ご協力感謝いたします」 「でも【学習する組織】本の内容は難しく読みにくかったでしょう、その筈です、私にもよく分かってないことだらけでしたから・・・」
なんか無責任な発言である。
「きっとラーニングオーガニゼーションの言葉の響きが良かったのでしょうね」 「なんとなくこれからの時代に合いそうな予感を感じたのではないでしょうか」
「大ベストセラーになったので責任を感じて、その後、世界中の<ラーニングオーガニゼーション>に相応しいと言われる会社を数多く訪問しました、確信を持ちました、実態も明確になりました。」
「今日はそのお話をしましょう・・・・」
● 【学習する組織】の体験 ピーター・センゲの講演で
「皆さん隣の人の肩に片手を添えてください」 「空いた手を他の人の肩に添えてください」 「どうです全員が繋がりましたよね」 「これが学習する組織の姿ですよ」と語った。
聴衆の半分は拍手をしていたが、残りの半分はポカーンとしていた。
*我々は通訳を介してなので更に分かりにくかったが、後で実感は持てた。
● 日本の【学習する組織事例】
その時に、日本のセブンイレブンやコマツの名前と事例が出てきてピントくる話であり、以後私の講義でも随分使わせて貰った。
*関連記事:マガジン「老獪コンサルタント行動科学の展開・・・行動科学の展望内
● この大会に参加して日本人との文化の差を感じる出来事があった。
多くの学者やコンサルタントのプレゼンテーションの内容がつまらないと、聴衆は平気で席を立ち退席する。 講演者は、当然そのような事態は当たり前の現象として理解はしているようでありながら、額の汗をぬぐいながら必死の形相で話続けている。
確かに面白くなくても日本人は最後まで我慢して聞く、日本人同士はお互いに苦笑をし「何をか況や!」である。
● 夜は魅惑の街サンフランシスコでの会食である。
チャレンジ精神を発揮して多くのRestaurantを開拓した、私の得意な領域である。
当時「キャセーイドラルヒルホテル」を定宿にしていた。 ホテルの地階にあるレストランに初めて行った時に、<T-ボーンステーキ>と<豆のポタージュ>と<シーザーサラダ>を注文した、一緒に行った同僚4人も同じ注文をした。
サラダ、ポタージュと出てきて「完全に間違った!」ことを悟った、半分も食さない内に満腹である、T-ボーンステーキは1/10も食さない内に全員ギブアップ。
されど、近くのテーブルで、スレンダーな若い白人レディーが同じ注文をしていたが、パクパクとあっさり食い尽くしていたのである。
日本は戦争で負けるはずだと妙な納得をした。
● アメリカを実感した
人生で初めて<シーザースサラダ>を頼んだ(今では日本でも定番化している)
大きな木のボールにアンチョビを入れ、ニンニクと一緒に潰し、オリーブオイルを流し込み、かき混ぜ、卵を割り入れ更にかき混ぜる、そこにロメインレタスを入れて、粉チーズをタップリとクルトンを入れる、感激する美味しさであった、アメリカを実感した、そしてこれだけで腹いっぱいである。
帰国して早速大きな木のボールを探し求めた。
● 同じくアメリカの味
サウサリートで食べたHUMBERは美味しいがデカかった、とにかく何でもデカいのがアメリカの特徴だ。
大きな円形の鉄板が炭火の上をぐるぐる廻り、ハンバーグのパテや牛肉の大きな切り身を焼いている、人垣が何重にもなって自分の順番を待っている、料理を手にして岸壁のベンチに腰掛けてほおばる、日本で売ったら売れるだろうなと思った、その後似たような店が日本でも多く見られる。
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● 肉に対する各国の違い大きさ重視の米国に対して、Italyは実質重視で、ヨーロッパで初めてステーキを食べたのは、フレンチェの店である。夕方、予約無しで散歩中に飛び込んだ店は、隣の席との間隔も少ないヨーロッパの典型の店であった。 肉は単純な赤肉の部位であり塩を掛けただけ、その旨味にはびっくりした、ソアベワインとの相性もぴったりであった。 以来「ステーキは赤身」が信条になった。 Franceパリのle petiti vandome も似たような店で昼時はビジネスマンで混雑し活力がある。肉の旨いこと、しかも面白いのは、ワインが大きなカラフェで出てきて量り売りであり、清算時に飲んだ量を計量される。
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実質重視で何の飾り気もない「le severo 」がある。 ここは日本の雑誌に何度も取り上げられている、しかし料理は肉とポテトだけで、料金は前者の4割高く、愛想はなくボッタクリではないだろうか。 ビストロ風の店ばかりにしか行っていないのでこのような違いを感じるのだろうか。
● Germanyは牛肉と言うより豚肉の塊やソーセージのような調理肉が中心で、旨い牛肉には出会わなかった。
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● Koreaは<本場焼き肉>の元祖であった。
韓国は従来牛肉が高かったので、肉好きの韓国の人は、豚を良く食す。 豚の部位別の焼き肉屋さんがありとても美味しい。
カワ 顎 三段腹サムギョプサル 内臓の小腸をゴザのようにグルグル巻きにして焼きあがったら鋏みで切り分ける。円高だったころKoreaに出張で行きKoreanを食事に誘うと大喜びされた、滅多に牛肉は食べない、ご馳走なのだそうだ。 日本でもご馳走を食べようと言うと「すき焼き」であった。 今はあまり「すき焼き」を喜んで貰えない、寂しい限りだ。 Japanは黒毛和牛A5ランクなどが持て囃されている。 私はあまり好きになれない。日本独特の鉄板焼は、霜降り肉で旨いが直ぐに満腹になる、目の前で調理して切り分けてくれるが、どうしても焼き過ぎになる。大阪難波の「多平」が大阪に似つかわしく、炭火で焼くタン塩やカルビなど絶品である、韓国風のスープやキムチもあなどれない。最近では韓国風の焼き肉屋さんが少なく、いわゆる<焼肉や>が多く韓国惣菜を置いてないお店も多くなり変化を感じる。 ● 私が世界で最高に美味しい牛肉はローリーズ(赤坂、恵比寿、梅田)のローストビーフ300gで 赤身がしっとりと焼けていて肉本来の旨味が溢れる。
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