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【小説】繁華街 ☆寝る前の30分☆

第一章 堕落
都市ルピアでは荘園主義の撤廃を求める人間によるデモ抗議が成功した。そうして、支配層である上級種は荘園主義の終了とルピアに在住する全ての人間に対する労働の自由を保障した。
その直後、民間の研究事業が活発化したことで「応用魔力学」の著しい発展により魔力革命が起こった。従来、魔力は上級種のみが扱う未知の概念だったが、人間の熱心な研究により魔力を観測し、そこから抽出したエネルギーを応用するまでに至った。実は、ほぼ同時期に蒸気機関の発明も起こったのだが、魔力のエネルギー効率には遠く及ばず、見向きもされなかった。
荘園主義では上級種が支配する領地内において、人間が定められた職業に就き、多額の税金を納めることを強制されていた。また、領地から抜け出すことは大罪に当たり、人間たちは支配に応じるしかなかった。したがって、荘園主義の撤廃によって人間の経済活動が急加速したことは当然の結果だと言えよう。
しかし、多数の犠牲の上で掴み取った自由が、却って彼らの首を絞めるようになるなど誰が予想できただろうか。新たな問題が直ぐに起きてしまった。魔力革命による最も大きな社会変化は、魔動力を応用した大量生産向けの工場システムが普及したことだろう。そうはいっても、完全自動生産の実現には及ばず、実際には人間が働かなければならない部分が大きかった。そこで、資本家たちは自ら設置した工場に大量に人を雇ったのだが、それが問題に発展した。資本家は労働者に対して、低賃金かつ長時間の労働を強制するようになり、貧富の格差拡大は著しかった。その状況を受けて、労働者たちは上級種に対して、労働環境の改善を訴えたが、資本家もまた労働の自由を享受しているため救済は見込めなかった。さらに皮肉なことに、上級種は資本家たちから生産利益の一部を税金及び賄賂として受け取ることで、荘園主義よりも高額かつ安定した歳入を得ることに成功していた。そうであれば、尚更状況の改善は見込めない。
このような状況が二年ほど続き、ルピアの至る所にスラム街が形成された。辛うじて水や食料などの供給は保たれていたが、満足に活用できるのは富裕層だけで飢餓が起こることは容易く想像できた。

ルピアの源流は、魔力革命のおよそ三百年前に、デウス・グランデとその妻子が未開の地を切り拓いたことに端を発する。グランデ一族の者どもは魔力を利用した超常的な能力を銘々保有している。また、肌の色は人間と同じだが、頭部には銘々に特有の形状のツノが生えている。さらに、平均して二千年以上生きるという特徴故に、彼らは人間から神のように崇められ、上級種としての地位を得た。
かつてデウスはあらゆる人間の移住を許可し、全ての住民に適切な自由と権利を保障していた。その一方で、魔力革命の二十年前に隠居したデウスの後継として選ばれたジッド・グランデはかなり強欲な独裁者気質の男で、住民に反対されながらも荘園主義を強行した。それ故に、デウスの血筋の上級種は魔力革命後の惨状の中でも根強い人気を博していた。それに反して、ジッドの血筋の上級種を応援しているのは、魔力革命後に裕福な生活を送るようになった者だけである。
そして産業革命の三十年前、デウスの血筋として後に世界を変える、クロード・グランデが生まれた。

明日はジッド様の姪のジュゼルの誕生日だ。あまり話した愛読書である経済学の学問書の作者と語り合った日々を思い出した。彼が今のルピアを見たら何を思うだろうか……。
時刻は夜十時。私は作り終えた新聞を何度も往復して屋敷の裏口にある台車に積み込んでいった。一番上には夕食の残りと包帯や消毒などの医療用具を置き、落ちないように布を被せて縛り付けた。火を灯したランプで整備されていない野原を照らしながら台車を引いて行った。
しばらく野原を進むと、幅の広い用水路に架けられた橋の先に例のスラム街が見えて来た。何人かの人が焚火を囲んで談話しているようだ。
「あ! みんな、クロード様来たよ!」
 焚火を背にした幼女のシルエットが腕を広げて喜んだ。ほぼ毎日来ているこの場所は、昼間は子どもと老人、障害者以外は不当労働をさせられているため閑静な場所だが、夜中になると百人程度の人数が集まる。
「クロード様、本日もありがとうございます」
皆が新聞を分け合っている傍らでこのスラムの最年長の男が挨拶をした。
「いいのよ、オード。今日も皆元気だった?」
「おかげさまで、皆元気でございます。ただ、先刻の夕方にジッド派の者どもが集会を開いたようです。内容は分かりませんが、お気を付けください」
ここから少し離れたところには多少裕福な暮らしをするジッド派の人々が住む街がある。
「分かったわ。それと、知っていると思うけど明日はジュゼルの誕生日で来られないの。ごめんなさい」
「いえいえ、お構いなく。こうして我々のために動いてくださるだけで、皆この上ない幸せを感じているのですから」
礼儀よく頭を下げるオードの奥から子どもたちが寄ってきた。
「クロード様! 今日の宿題できたよ!」
「どれどれ……うん! 皆よくできたわね。じゃあ、これは明後日までの宿題よ」
彼らが持ってきた紙面の裏に新しい宿題を活字で記した。
「ありがとう!」と言って皆元気よく散っていく中、一人の子どもが駆け寄ってきた。
「あの、この前教えてくれたあたしの名前の書き方忘れちゃって…。もう一回教えてくれませんか?」
「もちろん。ここがこうで……こうして……」
今から約二十年前、荘園主義の到来によって民間の学校は継続困難となり全て取り壊された。未だにルピアでは義務教育が実施されていないため学校の授業料は高く、利用できるのは裕福な家庭だけだった。故に、ルピアでの識字率は毎年最低記録を更新し続けている。
文字を読めるというのは文明の証だと聞いたことがある。この子たちが文字を読めるようになれば、自分が望む未来を選択して自力で歩んでいけるようになるはずだ。そんな信念を持って毎日少しずつ文字や算数を教えている。
続けて輸送労働の男が声を掛けた。
「今日もありがとうございます、クロード様」
「いいのよ……って、怪我してるじゃない!」彼の腕や肩には鞭で打たれたような傷ができていた。
「ああ、また監督に叱られてしまいまして……。積むのが遅いと急かされても、皆体力には限界がありますので、どうにもできないのです。この程度なら三日も経てば勝手に治ります」
「最低でも消毒はしないとだめよ。破傷風になったら大変じゃない。それに、あなたは体が資本なんだから大切にしないと」丁寧に消毒をして包帯を巻きつけた。
その後は何人かと話をし、明後日に再び会う約束をして自分屋敷に戻った。
やけに軽く感じる台車を引く度にこの重さの分の幸福を手渡せたように思われて、不謹慎ながら喜びを感じる。屋敷の手前から街の方を見渡すと、奥の高級住宅地から顔を出すビルが華やかに光っているのが見える。その更に上に浮かぶ月には黒ずんだ雲が被さろうとしていた。

七月十一日の朝八時。メイドたちがざわざわ騒ぐ声で目を覚ました。誕生日パーティの準備には早すぎるし、朝食の食材が足りなかったのだろうか、と思いながら部屋を出てシャワーを浴びに行った。
濡れた真っ黒な髪の毛を丁寧に拭いて、母親が買ってくれた黒のスーツを身に纏った。
ようやく支度が終わりメイドたちの様子を見に行くと、こちらに気付いた一人が興奮気味に話し掛けてきた。
「クロード様! この内容は本当ですか!」今朝、各屋敷に配布されたらしい便覧を突き付けられた。
『ジュゼル・グランデはクロード・グランデによる虚偽の新聞記事の発行によって著しく名誉を損害されたことを受け、これを提訴する』
どうやら全く身に覚えのない容疑を着せられているようだ。内心焦りつつも、クリップ留めの二枚目に目を通した。
『ジュゼル 資本家に個人的な経済的支援か』『赤髪のメイドに対して差別疑惑』という見出しの新聞が留められていた。確かにジュゼルの評判を下げる内容だが、どうして私が?
未だ疑惑を抱えながらも二枚目の資料をめくると、私がスラム街の人々に新聞を配っている様子が何枚もの写真に鮮明に映されていた。

七月十日の午後五時。緊急の招集だと伝え、ジッド派の者を集会所に集めた。皆約束の時間通りに来場し、入り口の私の護衛に会員証を提示していく。今日の集会の内容は絶対に表に出せないものなので、特に厳重にチェックさせている。
「ジュゼルお姉さま、いよいよですね」妹のガゼットが嬉しそうに話し掛けた。
「ええ、そうね。やっとクロードの奴を潰せるわ」
私は昔からクロードが大嫌いだ。デウス政権の間はジッド家系の私たちは厳しい英才教育を受けさせられて休む暇もなかったというのに、あいつは何も考えずに親の笠を着て生きていた。あまつさえ、珍しくパーティに来たかと思えば「いつも稽古頑張っててすごいね、私も早く一人前になりたいな」などと憐れみやがった。何より気に食わないのがあいつの容姿だ。甘えて育ってきたくせに、二メートルの身長に加えて胸も腰もママより大きい、頭の養分が全部体に渡ったかのような身体をしてやがる。こっちは何年間も努力したってのに……。
クロードは生まれだけでなく、その容貌によって密かに人気を得ている。ただ高身長であるだけならば気味悪がられたかもしれないが、大きな胸と太く長い脚を携えつつ、太っているとは思わせない艶美な身体つきが却って男の目を集め、女の憧れになっていた。また、純白の肌に高い鼻と薄い唇、側頭部から緩やかな曲線を描いて真上に伸びていく太いツノ、体毛の色素が薄いルピアの人々とは異なる、毛量が多く緩やかなウェーブの真っ黒な頭髪などが目を引くようだ。ただし、引っ込み思案で弱々しく、服装に気を遣わない女だったので、熱心なファンよりもむしろ密かに視線を送る人々の方が多かった。
ジュゼルは集会に集まった者に向かって話始めた。
「今日は急な招集にお集まりいただきありがとうございます。感謝の印として、今月末にパーティにご招待致します。さて、早速本題なのですが、私はクロードを上級種から追い出すための計画を実行しようと思います。まず、皆さまにはこちらの新聞を受け取っていただきたいと思います」
護衛に指示を出し、会場にいる三百人余りの人々に新聞を行き渡らせた。
「ご覧の通り、第一面に私の評判を下げる記事が掲載されています。もちろん、こちらは私が作成した虚偽の内容ですのでご心配なく。これでどのようにクロードを貶めるのかと申しますと、あいつは毎晩スラム街の人々に能力で作った新聞の写しを配布しております。それを利用して、あいつがこの虚偽の新聞をここにいる皆さまに配布したことにして、家系裁判に連れ出そうと思います」
会員の一人が挙手し「この方法で上手くいくでしょうか?」と尋ねた。
「間違いなく成功しますわ。私の誕生日という住民全員が注目する機会に『スラム街の人々を揺さぶってデウス政権を取り戻そうとした』ように見せかければ十分戦えますわ。駄目押しで、あいつがスラム街の住宅に入っていく様子を写真に撮ったので、それを使って身体を売ったように見せかければ勝利は確実です。何より、裁判は我らがジッド様がお務めになるのですからこんなチャンスを逃すはずありません」
皆が計画の確実性を理解したようで、会場の至る所に悪い顔が浮かび始めた。
「明日の朝提訴する予定です。ジッド様のことですから、直ぐに追放が決まるでしょう。その間、皆様のうちの何人かにスラム街の住民のふりをして証人になっていただこうと思いますが、その際にはよろしくお願い致します。最後に、ご存じのようにこの集会での出来事を他言した者は全ての財産・権利を取り上げますのでご注意ください」
集会を終えてガゼットを連れて自分たちの屋敷に戻った。あとは今夜、護衛にクロードの写真を撮らせれば完璧だ。明日が楽しみ過ぎて笑みがこぼれてしまう。空を見上げると、計画の成功を予兆するような大きな満月が輝いていた。

七月十一日の午前十時。城の尋問室に閉じ込められて一時間近く経過した。
私が例の便覧を見た直後に、ジュゼルの両親と祖父母、ガゼットが怒り心頭にクロード家の屋敷に押し寄せた。ジッド様の指示によって直ぐに軍隊が動き、事情を聴くとしてジッド様の城に連れ込まれた。
どうしてことになってしまったのだろうか。ジュゼルの策略であることは明白なのに、自分の潔白を証明する手段が少なすぎる。それに比べて、ジュゼルは客観性には欠けるものの、でっちあげの写真や偽造した新聞のような具体物を武器にして戦っている。こんなにも不平等な戦いが認められていいのだろうか…。
自分の置かれている状況に対する焦りと不安に悶えていると、ついさっき証人として呼び出したオードが事情聴取を受けて尋問室に戻ってきた。
「オード、どうだった?」
「もう、何がなんだか……。朝になったら昨晩いただいた新聞が全て消えておりました。恐らくジッド派のスパイの仕業でしょう。できる限りの証言はしましたが、どこまで通用するか…」まだ話したいことがたくさんあったが、警備が「お帰りいただいて結構です」とオードに声を掛けると半ば強引に連れて行ってしまった。
一人になった尋問室で、自分の精神がゆっくりと底なしの絶望に沈んでいくのを感じた。
ジュゼルがジッド派の人々を動かしているのなら、向こうの証人は確実に仕込まれている。オードは反論してくれただろうが、実際の証拠が奪われたのでほとんど効果がないだろう。便覧の四枚目には私がスラム街の住居に入っていく写真を根拠に、人気欲しさに私が売春しているのではないかという主張が書かれていたが、こちらは両者とも有効な証拠を出せないので私が若干の不利を被っている状態だ。さらに、私は唯一の証拠となる本当の新聞を失ったことに対して、向こうはでっちあげの新聞を好きなだけ証拠として提出できる。それに、最終判決権がジッド様にある時点でデウス派閥の私には不利な状況なのだ。
自分の命運が懸かった崖っぷちの状況で、驚くほど冷静に頭が働く。悲しいかな、どれだけ甘く見積もろうとも私の心を安らげる結果は見えてこない。
——もう、勝ち目はないのだ。

ジッド様が待つ玉座の間へ移動すると、手の空いている親族が全員揃って私を待っていた。パパとママを含むデウス派閥の者は申し訳なさそうに視線を落とし、ジッド派閥の者は嬉しそうに見下している。
ジッド様が軽く咳払いすると場の空気がぱりっと張り詰めるのを感じた。
「クロード・グランデ。両者の証言を含む状況証拠を踏まえると、汝は虚偽の新聞の作成によりジュゼル・グランデの名誉を著しく毀損した可能性が極めて高い。我々上級種はルピアを適切に統治し、発展させていく義務を負っている。しかし、汝の此度の振る舞いを顧みると、そのような義務を全うすべき身分において在り得ない行動に値し、それ相応の罰を必要とするものである。したがって、今後はグランデを名乗ることを永遠に禁じ、上級種としての権利を全て剥奪するものとする」
涙が溢れた。これは判決の結果に対してではないようだ。分かっているつもりでいた、スラム街の人々や奴隷として売られている人々、不当労働を強いられている人々が直面している絶望をようやく目の当たりにし、権力に守られて甘えて生きてきた自分自身を情けなく思ったからだ。
そうか。彼らはあの笑顔の裏で、こんな理不尽な暴力に耐えていたのか。スラム街の皆の顔を一つ一つ思い描いているうちに、気が付けば涙は止まっていた。そして私にはこの国を変え、弱い人々を助ける義務があるようにさえ感じられ、泣きじゃくっていた私の心には、勇気と怒りが染み渡った。
ジッドが側近に手振りで指示すると、足元に魔法陣が浮かんだ。
「最後に申すことはあるか」
どこか嬉しそうな声色でジッドが尋ねた。こいつは私の情けない言い訳を聞きたがっている。どこまでも腐っているんだ。
「私がルピアを変える」
言い終わった瞬間に魔法陣が光ったかと思うと、視界が揺らいで意識が遠のいていくのを感じた。

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