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場面緘黙(かんもく)について

目にとめていただきありがとうございます。
いつもハイパー☆センシティブ☆
高感度センサーだらけの我が家へようこそ!

よよさんのつぶやきで
もらい泣きしそうにしそうになった
ハイセンスママです。

ハイパーセンシティブな
我が家の上の人も一時期、
場面緘黙症を疑っていたからです。

同じくセンシティブな下の人も
新しい環境では固まって顔も下向きに…
ちろと目を動かす程度…
発語0に。
でもこれは場面緘黙ではありませんよね。


場面緘黙、選択性緘黙とは

特定の場所や場面で
一定期間(1ヶ月以上が目安でしょうか)
声を出して話せない状態を指します。
自分で意図して話さないと誤解されがち
ですが、
話さないのではなく、話せないのです。

また、ストレス等により、
発声できなくなる失声症という状態も
ありますが、これとはまた別ものです。

話せないのですから、
さりげなく挨拶をハイタッチにしてくれたり
そっと気持ちを代弁してもらえたり

バーバル(言語的)コミュニケーションに
こだわらず、ノンバーバルを
コミュニケーションとして受け入れる

そんな環境を周りがつくってくれると
楽なこともあるかもしれませんね。

我が家のハイセンスっ子の場合

家の中と外とのギャップ

我が家の上の人の場合、
言語発達は問題なく
むしろ早いくらいでした。

ところが極度に不安の強い子どもで、
家族以外に会うと
完全に顔から表情が消え去り
抱っこから降りられません。

家ではマシンガントークで
ジョークばかり飛ばす陽気な子だなんて
誰も思いません。
いつも「おとなしいねぇ」「静かだねぇ」
と言われていました。

「育てやすそうな子ねぇ!」
そんなことないんだけどなぁ
大変なのは私の要領が悪いのかなぁ
とそんな具合でした。

親の愛情不足で分離不安が強いんじゃ
お母さん、外でにこにこしてても
家ではネグレクトなんじゃないか
そう思われてるかなぁ
と肩身の狭い思いでおりました。

知らない人に会って
もじもじしちゃうくらい、
誰でもありますよね。
少し慣れるのに時間がかかる
そういう子かなと思っていました。

完全に喋らない人だとわかったとき

母の認識に転機が訪れたのは、
下の子の出産前後で
無認可の保育園を利用したときです。

10人に満たない小規模な園
そしてシュタイナー教育の
あたたかいところでしたので
毎日ではありませんが、
安心して お世話になりました。

それまでに慣らしのつもりで
そこのサークルに母子で通い、
先生や子どもたちの顔ぶれも
わかった上での預かり開始でした。
上の人2歳半の頃です。

さて、一時預かりが始まり
蓋を開けてみれば、

最低限の頷き、首振り
たまに「うん」(だったか?)を
特定の1人の先生の耳元でだけ、
ささやく程度。
それ以外は6ヶ月間しゃべりませんでした。

(でも、本人はこのシュタイナーの園と
みんなの事が大好きなのです!)

あらぁ
と思ったのです。

やっぱりそうかぁ。
まぁいいかぁ。

ハイセンスな母の場合

だって
よくよく考えれば母も
大人になるまで場面緘黙児だったのです。

そして、それを全然
気にしていませんでした。
というか気付いていませんでした。

それは困らなかったから。

母も選択性だったので、喋れる状況と
そうでない状況がありました。

授業中の発表、
本読み、
友達と2人で並んでバスに座ってるとき

そんなのは、めっぽう得意だったのです。

友達が3人以上
すごく仲良しではない子
大人

これは全く喋れませんでした。
正確に言うと、ごくたまに
喋れるときもありました。

頭の中で何回も何回も
台詞を練り直して練習して
それから蚊のなくような声で
呟きました。

そして
「声が小さい」と
笑われていました。

でもいつも友達がいました。
友達がいっぱい喋って
私はにこにこしてるだけで
楽しく過ごしていたのです。

大人とは喋れなくて
大人が困っていましたが、

気付くと自分が大人になっていて
緘黙は消えていました。

それでもかわいそうに思う母

たくさんの環境の変化

上の人が年少になる1ヵ月前から、
それまでのシュタイナーにお別れをして
春から入園予定だった現在の園に
一時預かり先を変えました。

登園してもすぐに荷物をまとめ
帰り支度をして固まっているらしい。
先生がおやつに誘ってくれても
「家で食べますのでいいですから」と
丁重にお断りしたらしい。

何ヵ月も前から本人には説明して
上の人も納得済みのことでしたが、
(時間の概念が早くから確立していて、
遠い見通しを踏まえて今を説明した方が
安心して動ける子なので)

2日目には
「もう1回行ったから
行かなくていいよ」
と言い始めました。
(そういうことじゃない 笑)

そして、ここでも喋らなくなりました。
支援センターの担当で
前々から慣れていた先生が召喚されて
お昼ごはんがようやく食べられる
そんな様子でした。

ときどき園に預けられるより
あかちゃんとずっと家で遊んでいたい。
それが上の人の本音でした。

お迎えに行けば他の園児さんから
「あの子喋らんのん?」
「なんで喋らんのん?」

「まだまだ恥ずかしいから
もう大丈夫ってなるまで
待っていてくれる?」

転機は突然に

ところがです
春になり正式に入園した途端に
何かが変わりました。

もちろん学年も変わり
担任の先生も変わりました。

喋るようになったのです。

「かんもくが、あるかもしれない」
とは先生に伝えていましたが、

特別な配慮なしに
でも
見落とすことなく

先生方が上手に引き伸ばしてくれました。

年長さんの今
めちゃめちゃ喋ってます。

上の人の安全基地が確実に拡がっています。

場面緘黙はこわくない

母として今
私が思うのは

本人の生まれもった気質や器質
家庭環境

これは変えられるものではないし
善し悪しではないと思うのです。

ただ、生育環境は整えてゆくことが
できると思います。

良い仲間に恵まれてほしい。
これを願うばかりです。

マイノリティを障害にしてしまうのは
マジョリティ仕様の環境です。

本人が困らなければ
誰もがお互い補い合えれば
そう思います。

私たちはとても田舎に住んでいるので、
1学年1桁の規模でのんびり穏やかに育って
中学校から突然
マンモス校に吸収されます。

そこでまた喋れなくなる日が
くるかもしれない。

それでも それまでに
自分も他人も
幸せな価値ある人だと
信じて疑わない

そんな心を
育んでいってほしいと
切に願います。


かんもくで今がお辛い方へ
かんもくネットというサイトもあります。
https://www.kanmoku.org/
note にも記事を出されていますね。
ご参考までに。

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