縁が続けば、また明日。

距離置いた、その直後だろうか、分からないけれど、つぶやかれた言葉。わたしはそれにひっかかった。

「具合の悪さでまた人を失った」

と。そう書かれていた。ああ、伝わっていなかったんだなと、それを原因にしたんだなと、そう思った。
ここ数ヶ月の具合の悪さを理由に距離を置いたわけではない。短文であり、限界だとストレスだといったから、具合の悪さにしたのか。それとも今、具合が悪いからそういった思考に行き着くのか。
そうではない。なぜなら、もういつからだったかわからないほど前からの、精神的不調、愚痴、現状についてずっと、ずっと聞いていたからだ。

自分のことをこれでもかと、いつもいつもたくさんのLINEを送ってきましたね。連投してまで一から十まで説明してくれましたね。上記内容も含む人間関係について。

以前、

「カウンセラーさんの話の聞き方勉強になるなあって()」

という文字に、最初理解が追いつきませんでした。
思い返せば、いつの間にかわたしは聞き手、ともう決まっていて、あなたがずっと話し手でした。わたしに対しては、話の聞き手、聞き出し側にはならず、その勉強になった話の聞き方がわたしに発揮されることはないんだなあとそうあらためて実感していました。そこにわたしの体調は関係ないのでしょう。言わないわたしが悪い、と、そういうことなのでしょう。言えない自分が悪かった。
なにも言わないから順調ということになってしまっていた。わたしは。
ずっと、そりゃもうずっと前から昨日に至るまで、精神、人間関係、先輩と後輩、夫婦、友人、大変だったこと、褒めてほしいことをまるで返事のくる日記のように、そう、ひとこと日記を書く手軽さをもってして、わたしのスマホの通知を鳴らしていましたね。

そしてわたしは、なぜかあなたの周りの登場人物の名前を覚えなければならなかった。最初にそうあなたが言ったから。「わたしは名前で呼ぶから、と」では、あなたは、わたしと仲が良い人の名前を、何人言えますか?B型作業所の人、訪看の人の名前言えますか?言えないと思います。わたしは話していないし、聞かれたこともないですし、必要ではなかったんでしょう。わたしの交友関係等は。

どうすればいいだろうか?といった相談について、わたしは自分のことのように考えてきました、神経を消耗するほどに。そうするのなら、これならば、とさまざまな返事を考えていた。そしてよりきちんと考えたいと質問した時や、こう相手は考えていそう?と質問した時に、「わからない」と返事が来た時、わたしはどういえばいいのかと、この気持ちをどこにやったらいいかいつもわかりませんでした。
出来事を連投して、知らぬ誰かとのLINEのスクショを貼って、こんなことあって、時系列はこうで、この人はこう言っていて、他の人はこう言っていて、みたいな、あの読むことを前提とした連投。わたしはその人を知らないし、その不快だと思われている人の話を聞くのが不快でした。良い人の話や、良いことの話は好きでした。愚痴とかはたまにでいいんです。
読み返したら、聞いてる最中、「うん」と何度相槌を打ったんでしょう。その人に、あなたの周りのこれっぽちも知らない名前という記号を知らされた人間のことについてどう返すのが正解でしたか?

なぜいつもわたしはキャッチャーボックスに立っている。

誰が何を推していても良いと思っています。推し語りを書くのは好きです。でも、これをみて、これをみて、と興味の全くない(嫌いですらない)動画を見るのは、その間好きな物語を聞いていたかったので、嫌でした。ならば通話がしたかった。動画によっては、精神が不安定になり、薬を飲むことになったりしました。
やり取りで抑えていた感情のコントロールがうまくいかなくなり、叫びたくなり薬を飲んだ回数は数え切れません。マイナスの話はマイナスでしかありません。わたしの体調が悪い時はもっとマイナスでした。家族に迷惑をかけるほどに。

だから、ここ最近の出来事で限界がきんじゃない。
コップから溢れそうになった感情を、一旦リセットするために、溢れそうな感情を一度捨てよう、とそうして流しているうちにドロドロとした感情が上から流れてきて、コップ捨てる入れる捨てるを繰り返していましたが、もうそれに疲れたのです。
だから一旦距離を置きたいと言ったのです。

原因は、具合の悪さではありません。
あなたの今回の感情ごちゃごちゃのせいでもない。
積み重ねてきていたものにわたしが耐え切れなくなった、ただそれだけ。
やめてほしいことをやめてと言えなかったわたしも、同様によくなかったのです。
もう都合のいいわたしでいたくなかった。優しくしたくて優しくしました。見返りは求めていませんでした。それがこんなにも日常になり、かけてほしい言葉を言ってくれる人にしてほしくなかった。

限界がどんどん近くなっていったのは、父が亡くなったことがおおきいです。その辺りの事です。
父が亡くなり、葬式が終わり、バタバタして、ようやく一息ついて、気持ちを整理していこうとしていた時、なぜかわたしがあなたのことを慰めていましたね。お疲れさまといったLINEを送っていました。そうしてあなたの話をいつも通り聞いていた。亡くなってから、1週間も経っていない、それほどにすぐのことだった。
たった一人の父を亡くし、もう二度と、「ただいま」と言うあの声が返ってくることは、二度とない家の中、火葬場から帰ってきた、納められた遺骨。何時間も。悲しいとも、もう帰って来ないんだとも、すこしも実感がなかった。でもその遺骨を、みつめていた。広く感じる部屋、うるさくない呼吸器の音、シンッとした中に響く時計の音、何故いないんだろうと、いつものように父の薬の時間に薬を準備しようとしてやめたこと、いないことが、ほんの少しずつだけれど、突き付けられていた頃。
あなたは文字上ではもう大丈夫そうなわたしからの返信に、弱音も悲しいとも言わないわたしに、容赦なく、以前と変わらず日常の愚痴やこんなに大変だった、など、さまざまなことを、言葉を突きつけてきました。
産まれ落ちたその日から31年間、一緒に暮らしていた、大黒柱であった、とてもとても大きな存在父の死。わたしがどう感じているか、そんな配慮はありませんでしたね。そんなつもりじゃなく、自分のことで手一杯だったんだろうけど。
わたしも手一杯でした。生きてきて一番と言えるほどに。つらいにも関わらず上手に泣くこともできないわたしでした。でも少しづつ現実を見た。
死を受け入れるのは故人が思い出になっていくことの始まりだろう。

四十九日を迎えるもっともっと前から、いつも通り人間関係であなたの大切だったであろう知らない人に連絡した返事来るか来ないかで不安発作になったと、今まで頑張ったかな?と聞いてきましたね。そしてとどめに、「〇〇ちゃんは、いてくれる?」と、送られてきた時、わたしはこの人につらいと寂しいと、絶対に言えないと思いました。
いきなり倒れて救急車で運ばれ入院、数日後に死亡した、もうそばにはいてくれない父。亡くしたばかりの。そんなわたしに、「いてくれる?」と言いましたね。それは、荒い息の意識のない父に言いたいけれど、言えない。もう届かない、心配させないために言うことのできない言葉でした。

嫌いになったわけじゃない、元々のあなたは好きだ。
でも、ようやく、家族3人の日常が普通になってきて、精神も安定気味になり、よくなっていきたいとB型に通い始め、できる限り平穏に生きているわたしにとって、今は、無理だ。
LINEがこわい。また息苦しくなるんじゃないかと、叫び出したくなるんじゃないかと、コントロールできないところまで行ってしまわないようにするために、今のあなた、今のわたしは距離が近いのはお互いにとってマイナスだと思いました。
それもありますが、それ以上にわたしが耐えられません。

すみません。スタートは遅いですが、もう立ち止まっている時間が長すぎたのです。進まないと。
そう、ようやく心の底から思えたんです。

だから、また、いずれ、再会する日に。
それまでは、さようなら。


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