「シン・大谷会見」新しい形?
大谷翔平選手をめぐる不正送金事件。
連日、何かしらの報道がされています。
捜査の内容や事件の全容がわかっていない以上、どうしても状況から読み取れることを想像して報道することになります。
一時は、”水原氏自身が誰かにだまされた”、”大谷選手もスポーツ賭博にかかわっていたらしい”など、うわさベースのことが広がったこともありました。
そんな中で大谷翔平選手が行なった会見。
私には、新しい形のモノに見えました。
今回は、水原一平氏が通訳を解雇されたのは先月21日(日本時間)のあと、「メモを日本語で読む形でメディアの前で口を開いた3月26日の会見」についての見解を記しておきます。
声明自体は、非常にわかりやすく書かれています。
今の気持ち、予定内容の提示、自分の潔白、そして結論という構成でした。ここまでで、だいたいの状況はわかるのですが、数行とはいえ、必要なことを、自分の気持ちを交えて話す構成は素晴らしいです。
しかも、話し方は「読んでいない原稿」の形でした。
一般的に、「原稿を読む」、「原稿なのに読んでいない」、あるいは「原稿ではないメモ」、もしくは「箇条書きメモを自由度をもって話す」、など話し方には、いくつか方法があります。例えば、ニュース原稿を読むアナウンサーは「原稿なのに読んでいない」です。一方、自由度をもって話す場合、もっと本人のクセが出たり、「えー」「あの…」など接頭語がつくことが多くあります。今回は、どちらでもないので、おそらく「原稿ではないメモ」だった可能性が高いと思います。
そして、この先の話は「時系列」で話すことで、聞いている人の心をぐっと過去に引き寄せました。この時点でオーディエンスは「この人の話し方は信用できる」と感じているはずです。
そして今、いくつか明らかになった背景を知った上で、この声明を読むと、あらためてすぐれたモノだったと感じます。例えば、質疑応答のくだり。
記者会見には、必ずQ&Aがあります。メディアは質問することで疑問に思っていたことを、本人の口から聞こうとします。
ただ、先月の会見では、大谷選手は「話せることに限りがある」として、自由に発言することを避けました。 以下は最後の一文です。
なぜ、質疑応答を避けたのか。
質疑応答は、最近では、「はい、そうです」と言わせるために質の悪い質問をしたり、言質を取るために、何度も同じ質問をしたりすることが散見されます。
「AかB、どっちなんですか?」「BではないということはAなんですか。」 「それはAということと同義だと思いますが間違いないですね?」―というような質問の仕方は、嫌な感じが色濃くでてしまい、マスゴミなどと揶揄されてしまう要因にもなっています。
また、ジャーナリズムの使命の一つに「権力への監視」があるので、メディアは批評的な姿勢が一般的です。さらに、謝罪会見では、何かを隠していることはないか、うそはないだろうかと疑い、本音を漏らすことを期待して、各社が取材相手を言い負かす(困らせる)ような質問をすることはあります。ですから、今回、「大谷がメディアの前で生で話す」ことは、メディアにとって大きなチャンスだったと捉えることができます。
私は、大谷選手が質疑応答に応じないことで、無関係であることを証明したかったのではないか、本来の活動と切り離したかったのだと思いました。
国際弁護士の清原博さんは、会見について、自身が話す内容が憶測になってしまってはいけないため、あの形になったのだろうとテレビ番組でコメントしていました。まさに、大谷選手があの時点で口を開けば、水谷をかばったかたちのコメントをしてしまう可能性は十分にあったので、それを避けるためにも、メモを読むだけの会見は正しかったと言えると思います。
事実に即した、本人のライブ会見は、すぐに大きな反響となりました。これだけの有名人、しかも日米両国のスター選手ですので当然ですが、質疑応答なしの声明会見は、メディアにとっても新しい形でした。今後、彼を真似する経営者も増えると思います。ただ、それを予想した上で言いたいのは、
あれは大谷選手だからできた形だと言うことです。
誰も触れませんが、大谷選手は「会見で話す技術」が日本人としては高いと思います。ですから形だけ真似ても、同じようには出来ません。
メディア対応能力は、トレーニングをして得たものか、それとも独自の研究の成果なのかわかりませんが、あれだけ緻密な戦略をもって、野球人生を行っている選手がメディアトレーニングをしていないとは思えません。
真似をしようと考えている経営者のみなさんは、メディアトレーニング&プレゼントレーニングを受けてみてはいかがでしょうか。 (了)
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