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時間的、金銭的自由を手に入れた先に待っている現代を生きることの難しさ


今ラオスに1人で来ていますが、最近の興味は、自由とは何かということです。そのため、今回の旅では、たまたま気になった「暇と退屈の倫理学」という本を持ってきました。


まだ全部読めていませんが、今の私にはとても興味深い本です。
「暇」とか「退屈」というのは、昔から多くの哲学者たちが議論してきたテーマのようです。

多くの人たちにとって現代は、生きるために多くの時間を費やし、時間的、金銭的に余裕がありません。

ただ、60代以降になると、多くの人たちは、会社の一線から離れ、年金を手にして、時間的、金銭的な余裕を持ちはじめます。

私は、これからは60代を待たずしても、もっと自由な時間が多くの人にやってくると考えています。
そして、自分も時間的、金銭的な制約から離れて、自由をどう使おうかと考えているところです。

だから暇、退屈、自由ということにとても興味があります。

この本は最初から、とても興味深いことが書いてありました。

高度経済社会では、常に物やサービスが溢れており、供給が先にあって需要が後である
ということです。

そして、このように述べられています。

"現代人は自分が何をしたいのかを自分で意識することができなくなってしまっている。広告やセールスマンの言葉によって組み立てられて、初めて自分の欲望がはっきりするのだ。自分が欲しいものが何であるのかを広告屋に教えてもらうと言う事態になっている”

暇と退屈の倫理学

「生産者が消費者にあなたが欲しいのはこれですよ」と提案する中からしか、多くの人たちは選択していないのだ、とも書いてあります。

私たちの多くは、レストランで注文するかのように、渡されたメニューの中から選択しているに過ぎないということです。

上記は好きなことについての議論でしたが、
私が書いている「自由」についても同じことだと思いました。

お金の自由ができる
時間の自由ができる
でも、自由をどうしていいかわからないから、誰かに与えてもらった選択肢から選んで自由を埋めようとしている人が大半だということです。

モリスという人は
「暇な生活に飾りをつける」
「わたしたちはパンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾られねばならない」
と提案していたようです。

自由とは
「自分の頭、心、五感を使って、自分の中・外に対して自分を表現するクリエイティブなことだ」
と、私は、受け取りました。

まだ理解が追いついていませんが、自由というのは、最初に思っていたよりもとても難しいもののようです。

哲学の話にはまっていくと、日常生活が止まってしまいます。
だから、
「とにかく自分は今、何を感じているのか」を起点に
毎日を過ごしてみようと思います。

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