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1人っきりのラオスで気づいた、過去の青春と決別すること

私が一人旅にこだわっている理由

1つは自分と向き合う時間を作るため。
日常とは違う場所に身を置き、自分の思考や感情を整理する。誰にも干渉されない場所で、これからどうしていきたいのかを内省する。
これは今後も必要なことだと考えています。

そしてもう1つ、自分が若い頃にバックパッカーをしていたときの興奮を求めていたからだと気づきました。

一人旅をするたびに、沢木耕太郎さんの本を持ってきています。
「深夜特急」という、多くの若者にバックパッカーブームを作った作家です。

昨日の夜1人でご飯を食べながら、彼の本を読んでいたら、こんなことが書いてありました。

「いくつになっても旅はできる。しかし、旅にはその年齢にふさわしい旅というのがあるかもしれない。その年齢でなければできない旅が…」

沢木耕太郎「旅する力」

彼が香港からロンドンまでバックパッカーをしたのは、26歳の時。
あの時だから、あの旅ができたと、彼はこの本で振り返っています。
もっと色んな事を知って、体力が衰え、お金が無かったら同じことはできなかったというのです。

私が初めて海外に来たのは、1999年の12月のことでした。
ノストラダムスの大予言が流行って、2000年は本当に来るのか、21世紀になるとITシステムが狂って世の中がストップするのではないかという2000年問題が噂されていた時です。

海外にすら行ったことがなかった私は、初めての海外に東南アジアを選びました。
「バックパッカーの聖地といわれるカオサン通りに向かい、気の向くままにホテルを探し回り、見つけた宿で1人を楽しむ」
というシミュレーションを日本にいる間に何度もしてから行きました。

しかし、実際にカオサン通りに降り立つと、私は何もできずに、ただただ混乱していました。
日本でも知らない人に声をかけたことがない大学1年生の私にとって、知らない街で日本語の使えない環境で、1人で全てを選択するというのは想像していた感覚とは全く違うものでした。
1時間ほどカオサン通りを何回も往復しましたが、どこの宿にも1人で話しかけに行くことができません。
本当は日本語を使わないと思っていたのに、やけくそになって、日本人に声をかけました。ただ、彼は日本人ではなく韓国人でした。彼は私が困っている姿を察知して、日本人が多く宿泊している韓国人ゲストハウスに連れて行ってくれました。
それが私の旅の始まりでした。

当時はスマホもないので、地図だけで旅をしていました。夜にトゥクトゥクを捕まえて、ホテルに連れて行ってもらうときには、暗くて地図が読めません。どこに向かっているのか、今どこにいるのか分からないまま、田舎道を走っていました。もし、この運転手が悪い人で、誰もいない山に連れて行かれたとしたら、自分はそのまま死ぬんだろうなぁ、なんてことを考えながら人に命を預けている気分に何度もなりました。

そんなふうに、毎日恐怖と向き合いながら、たまに出会う人の優しさに触れたり、一緒にご飯を食べたりした思い出は今でも忘れません。

当時は部活をしていたので、まとまった休みは取れないと思い、成人式の日もタイで過ごしました。「今日、成人式なんです」といったらその日に出会った人たちに、ビールをご馳走になり、お祝いしてもらいました。

大人になってからも1人旅に出る度に、あの時と同じような興奮や感動を、自分はまだ求めていたのかもしれません。

それは、一人旅に対する未練が残っているからだと思います。
若い間にもっと旅をしておけばよかった。
親にお金を借りて、就職せずに、1年間世界を回ればよかった。

やりたかったのに、やらなかったことに対していつも引っかかっていました。

今はスマートフォンがあるので、自分が今どこにいるのかわかります。
5年前にインドのバラナシで飛行機がキャンセルになり、夜中にホテルを探さなきゃいけなかった時も、スマホを使えば現地に行って交渉することも無く、一瞬で宿を確保できました。

テクノロジーの進化だけでなく、大人になったので困ったらお金で解決することもできます。

そして、2回目の事には、初めての時ほどの興奮はありません。

沢木耕太郎さんの先ほどの言葉を読んで、もうあの頃の続きはできないんだという現実を突きつけられました。

沢木耕太郎さんは、こんなことも言っています
「旅に教科書は無い。教科書を作るのはあなたなのだ」

45歳には45歳なりの、
未来の自分には、未来の自分なりの
旅の教科書がある。

今の自分がやってみたい旅を考えてみました。
私は子供と旅に出たい。
私が、海外に仕事で招かれて、高校生や大学生になった子供を一緒に連れて行く。
日中は、私が会議や講演をする。子供はその街を旅する。
そして夕食を共にして、お互いにその日に会ったことを話し合う。

「あの美術館がどうだった」
「昼ご飯に行ったあの店はどうだった」
「駅前で面白いイベントがあったから、明日行ってみよう」

子どもがそれを望むかはわかりませんが、バカンス以外で、父親として子どもと行く旅には、初めての興奮がありそうです。

気づけば、私の後ろの席では、白人のお父さんと娘が2人でご飯を食べています。

明日、バンコクに戻ったら、カオサン通りにもう一度行ってちゃんと別れを告げてこよう。
バックパッカーの聖地は、もう今の私が行く場所ではない。

過去の未練とは決別して、未来に期待をしながら、今に集中して楽しみます。
若い頃とは違う形の青春をしていこう。

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