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#006 就職/閉所恐怖/大学卒業後の一〇年

 就職という選択肢を考えたことが人生において一度もない。いや、さすがに頭をよぎるくらいはあったから真剣に、と注釈をつけておくべきか。
 私は大学を二度出ており初めは当時まだぎりぎり四年制だった薬学部で、八割以上が大学院への進学、残りが就職という中、私は再度の大学受験という選択肢を採った。怠惰/柔弱/甘えとの世間的な印象をそれでも構わぬと思いきって言えば「働きたくない。」いや「絶対に何が何でも働きたくない。」との強い反抗心/気概が当時の私の支配的な感情で、ならばさしあたり大学院に進学しモラトリアムを延長すればよい、事実そうした何となく組/とりあえず勢も決して少数ではないのだからなどとの意見もあろうが、二年の猶予では短すぎる上モラトリアムを旨とするには国立理系大学院の生活はすさまじく、私的な時間をさほど確保できないうちに就職が避けがたく訪れることを思えば私には大学院進学なる選択肢の魅力は薄く、いや、そんなスマートな理由も噓ではないのだが私にとってはその遙か以前の問題、学問的に興味の薄かった薬学部の大学院入試がまるで理解できず勉強する気もてんで湧かなかったというのが情けない実情である。
 幸い合格した二度目の大学は理系で入り途中で転学部/文転を経て最終的には六年かかり教育学部を出たのだが、その際も就職は考えていなかった。いや一応は公務員/研究員/アカデミアなど思い描いてみた気もするがいずれも現実性を欠いた空想の域を出ず、就職活動のために動くことはおろか会社の資料を取りよせたことさえない私は〈エントリーシート〉や〈インターン〉なる言葉が何を意味するのかいまだに理解できていない。
 モラトリアムというところに戻ればこれは二度目の大学のお蔭で心ゆくまで堪能/消化できたと思っており、といって何も遊び呆けていたわけではなく、詳細は省くが雑に言えばいわゆる〈自己形成〉に必要な時間を充分確保でき、その実感/達成感もある程度得られたというようなことである。教育学部の私の指導教官が自らの経験をもとに「二〇代でできあがった性質はその後一生変わらない。」とおっしゃっていたが、まだ三〇代の若造にすぎない私にも折に触れはたと実感することがある。よくも悪くも私の基本的な性質は確かに二〇代のうちに発見され築かれ固定された。
 薬学部では薬剤師免許を取得していたため二度目の大学では入学直後からパート薬剤師として断続的に働いていたのだが(といって仕事はできず性にも合わず若さや学生という口実に逃げ騙しだまし働いていたにすぎないが)、卒業を挟む時期も一応は勤務先があり、そのため都合一〇年の大学生活は大学とドラッグストアの二本柱のうち一本がなくなったという割にあっさりとした感覚のうちに終わった。無論大学という帰属/身分がなくなった事実は大きく、いや世渡り的/世間体的にかなりの損失であることには徐々に気づかされていくわけだが、いずれにせよ〈免許がある〉との事実/安堵感が就職に対する私の真剣さを殺いだことは間違いなく、何とかなるだろうとの楽観はなかったにせよ結果的には就職なる選択肢を留保したままついに卒業まで来てしまったというところである。
 大学卒業後はシフトを増やすでもなくさしあたり生活を維持できる程度の時間給を得る働き方を続けた。他人に明言できるほど見込み/自信のある営みでもなかったがやりたいことが一応はあり、漠然と言って〈自己形成〉の続きを座学などの中に求める気持ちもあり、ともかくも時間が欲しかったためどこかの世界に自分の存在をゆだねる覚悟がつかなかった。正社員になるということは時間だけではなく己れのありよう/身体性を社会化する点においても私には後戻りできない一種の〈閉所〉であり、印象深い実体験には欠くがほぼ確実に空間的にも閉所恐怖である私にとって就職は一度入ってしまえば徐々にではあるがしかしついには完膚なきまでに〈私〉を損ない、あるいは喪いつくすまで何かを奪い去られる気がしてならない本能的な恐怖を駆りたてられる対象、そんな閉所をこれまで避けてこられたのは無論就職という選択肢を是が非でも選択せねばならぬのっぴきならぬ状況には幸い追い込まれずに済んだ甘さのゆえであるが、あるいはこれは別の見方をすればどこか組織に属してまで果たしたい仕事がない、いやそもそも組織というものを何か大きな仕事を為すためのプラットフォームとして積極的に眺められない私の性質を表しているとも言えよう。ともかく就職ということが私にはどうしようもなく怖い。
 その後も居住地や職場を必ずしも自らの意思からではなく転じる必要に迫られてきたこの一〇年のうちには致し方なく就職しかないようなぎりぎりの地点に立たされることも幾度かはあったが、しかしいつかなどは満行者がこの数百年に数えるほどしか存在しない、途中で引きかえしたり辞退したりすることが禁じられている千日回峰行/十二年籠山行を引きあいに出さねばならぬほど就職なる道を前に戦慄する我が身を前に、就職ごとき、とまでは言わぬが果たしてこれは一般に生死を賭すほどの大事(おおごと)であろうかとここまでくればむしろ自身が馬鹿らしくなり自嘲の苦笑、結局は時間を奪われる/その世界に己れの一切を拉し去られるといった圧倒的な恐怖/遂行できる自信のなさを前についに断念したのは言うまでもなく、働き口のない期間には両親に頼るなど苦々しさにおいては勝るとも劣らぬ、などと言うのは恐らくは口先のみ、実情は単なる甘えにすぎないのだろうがともかくも他の道を選ぶことで今日まで生きながらえてきたわけである。幸い家族親戚に大きな不幸のない現在はよいがしかし何らかの有事に際しても私はやはり就職しかねるであろう、とはもはや前提として呑みこまねばならぬと今さらながら腹をくくりつつある。といってどのように責任をとればよいのか、不甲斐ないことにわからないままであるが。
 大学卒業後の一〇年は概ねこの雰囲気の中に生活してきた。アルバイト生活や自分の営み/やりたいことなど根本的なところでまるで変わっていないのは、奇しくも二〇代に模索され形成された性質だから、だろうか。


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