14.いじわるなAくん

 私が通っていた小学校は、D大学附属の小学校。今はない。
小学校へはバスで通っていた。
バス停の近くにM女子大があり、この門の前を通る度に
いつか、この大学のおねえさんになる!!
と、決めていた。

お姉さんかどうか…
私は出産後、この大学の学生となったのだから、いつか必ず夢は叶うのだよ。
因みに、今は女子大ではなく共学となっている。

小学校は各学年一クラス。
担任はM先生といって、体が弱いらしく、しょっちゅうお休みするものだから、先生不在の日が多かった。
そのせいか私たちは自由人の子が多かった気がする。

中でも自由人なAくん。
いじめっ子…というより、兄弟が多すぎて一番末っ子の彼は、きっと寂しかったのだと思う。
ヒョロヒョロした体、いつもイライラしていて、制服も綺麗じゃない。
どこか汚れてる。

全く同じ名前のAくんは、歯医者さんの子。
体が大きくて、優しい彼は人気者だった。
お誕生日パーティーに呼ばれて彼の家に行くと、まぁ大きな一軒家。
トランポリンがある家なんて、未だかつて見たことがない。
このトランポリンで痩せるように親から言われたそうだ。

そうだろうなぁ…
あなた、痩せた方がいいと思うわ。

自由人のAくんは、女の子たちによく暴力を振るっていた。
蹴飛ばしたり叩いたり。
私もお腹を蹴られ、痛みが治らず病院へ行ったことがあった。

担任のM先生は2年生でも担任だったけど、休みのことが多かった記憶しかない。
先生がいないから、勝手に校庭で遊んでて叱られたこともある。
Aくんだけでなく、クラス全体が自由人だらけになっていた。

ある時、Mちゃんが泣きながら遅刻してきて、
「私車に轢かれたの」
と言った。
横断歩道で信号が青になるのを待ってたら、歩道ギリギリに走ってきた車に足を踏まれたというのだ。
クラスの女の子たちの勧めで、彼女は保健室に行き、痛みが治らないので病院へ行くため、早退した。
後から、彼女の足の親指が骨折していたと聞いた。
「ひき逃げじゃないか?」
と誰かが言ったけど、結局、犯人は捕まらないまま。
周りのの大人は誰も彼女を助けてあげなかったのか…。

そんな時も、担任が教室にはいないものだから、私たちはなんでも自分たちでやらなければならなかった。
Mちゃんが車に轢かれた件も、痛みでずっと泣いて過ごしてたことも、担任がいたらすぐ対処できただろうに。

ある時、母が
「Aくんの家に行くわよ」
と言った。
Aくんのママと私の母は、特別仲良かったとは記憶していない。
幼稚園が同じだったクラスの女の子のママと仲良かったはずだ。

どうして行くの?

「Aくんのママや、Aくんのお兄ちゃん、お姉ちゃんたちが、みんな風邪をひいちゃって、動けないんだって。
ゴハンを作る人がいないからママが行くのよ。」

仲良いわけでもないのに、どうしてママが行くんだろう…

私は母にくっついてAくんの家に行った。
みんな、具合が悪くて寝ていた。
母の後ろから、みんなを見た。
Aくんは熱もなくて元気そうだったけど、おとなしかった。
私の顔を見ても何にも言わない。
いつもの意地悪なAくんじゃなかった。

Aくんは末っ子。お兄ちゃんやお姉ちゃんが5人くらいいたかな。

Aくんは寂しいのかな…
だから意地悪しちゃうのかな…
でも、やっぱり意地悪はしちゃいけないのよ。

3年生になってT先生が担任になったけど、自由人クラスの私たちをまとめるのは、大変だったと思う。
自由人Aくんの暴力は、日を追うごとに激しいものになっていった。

「女全員、痛めつけてやる!!」

いつにも増して暴れ出したAくんを止められる人はいない。
これを機に、10人以上が他の学校に転校していった。
私も例外ではなく、一旦公立の小学校へ転入することになった。

…続く……🏫


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