46.中学受験

 いよいよ、第一志望の中学校の試験の日がやってきた。

不思議と緊張もせず、

なるようになるさ♪

能天気な私。
母の方が緊張していたようだ。

受験勉強中は、寝るのは夜中1時か2時くらい。
私の背が小さいのは、丁度、成長ホルモンが出ている間に起きていたから⁉︎
この頃の身長、140cmくらい。
手もそんなに大きくない、ピアノを弾く時、オクターブがギリギリ届くぐらい。
足も21cm〜21.5cm。

唯一、頭が大きくて、制帽が55cmの大きさ。
制帽を作る時に
「大きいねぇ!」
と言われたことに喜んでいた。
誰も褒めてはいない。

友達からも
「大きくていいなぁ。」
と言われていた。

なんでも “小さい” 私は、“大きい” という言葉だけに反応し、褒め言葉でもないのに、喜んでいた。
今でも、市販の帽子はほぼ入らない…くらい大きい。
頭が大きくても、決して得はしない。
困るだけ。

話が逸れてしまったが、成長期にはちゃんと睡眠を取った方がいい…という事が言いたかった。

母は、夜遅くまで受験勉強をする私に、寒い日も、付き合っていつも起きていてくれた。
でも、同じ部屋にいたら、私が気が散ってしまうといけないと、部屋の外にいたり、部屋の近くにいてくれていた。

それがいけなかった。
母は、胸の痛みを訴えるようになり、“肋間神経痛” と診断された。
私がもっと気の利く子どもだったら

ママ、寝てね。

と、ひとこと母に言ってあげてたら…
こんなことにはならなかった。
母は、とても痛がっていて、いつも胸を押さえていた。
申し訳ないことしてしまったと、今も思う。

2月1日、第一志望校の受験の日。
晴れていたけど、とても寒い朝。
朝ごはんは相変わらず食べられなくて、いつも永谷園のお茶漬け海苔で作ったお茶漬け。
とりあえず、それを数口食べてから出かけた。

国語も算数も理科も社会も…
全ての教科が時間内に問題が解けなかった。
けれど、書いたところは全て合ってる自信があった。

翌日、合格発表。
母だけが見に行った。

「まさえちゃんは勉強していなさい。」

と、言われて、家で勉強していた…ということは、母は不合格だと思っていたということかな。

母が帰宅した。

「補欠だったわ。
30番目の。」

……30番目⁇
え…30人も補欠がいるの⁇⁇
そんなの受かるわけないじゃん。

でも、私の中では満足だった。
第一志望校なのに、残念とか、悔しいとか、不思議とそういう気持ちはなかった。

最後まで問題が解けた教科はなかった。
でも、補欠ということは、やっぱり解いた問題は合っていて、
時間があったら、この子は全部解けていたのかもしれない。
だから補欠にしよう…

みたいに、学校の先生は思ったに違いない!
だから、私は補欠になったんだ。

そう自分勝手な解釈をして、勝手に納得して、

それなら仕方がない

と、これまた自分なりに納得して、次に進もうと、思った。
やっぱり能天気な子どもだなぁ…私って。

2月3日、2校目の受験。
算数と国語と作文しかない。
問題が簡単すぎて、3回見直してもまだ時間が余り、どうしようかと思った。

面接では

「ご両親に感謝していることは何ですか?」

と質問された。
一瞬、真っ白になった頭の中に浮かんだのが、自分の誕生日のことだった。

母は、最初、大きい産婦人科の病院へ通っていたが、あまりにも不親切だったので、個人医院に切り替えた。
(今では総合病院となり、看護学校の実習病院でもある。
名前も変わり、有名な病院になっている。)

「あなたが生まれた日は、空がどんよりしていて、今にも雪が降りそうな寒い日だった…」
と、何度も聞かされてきた。

お誕生日には、不二家のケーキ(今みたいに生クリームの美味しいケーキではない)で、父と母がお祝いしてくれて、私は

産んでくれてありがとう

という気持ちになる。

面接での答えは、この誕生日にケーキでお祝いをしてくれる両親に、
いつも産んでくれてありがとうという気持ちになる、
それが両親への感謝の気持ちだと答えた。

面接官の先生二人は、大きく頷いてくれたので、きっと気持ちは伝わったと思う。

受験が終わって帰るバスの中、母が私に聞いた。
「親への感謝の気持ちは何か聞かれたんでしょ?
なんて答えたの?」

私は、その誕生日のことを話したと説明すると、激怒された。
びっくり!!

「情けない!!
他にもっと親に感謝することはいっぱいあるでしょう!!
お母さんが受験勉強に付き合って、肋間神経痛になった事とか!!」

ママは、私が何をしても、何を言っても、納得することなんてないんだね
わたしは一生かかっても、ママが納得するような気の利いた言葉は言えない気がするよ

そう思った。

私は帰りのバスの中で

今回は絶対合格してるから安心して。
わたし、この学校でいい。
3つ目の学校は、受けなくてもいい?

と、母に聞いた。

3つ目の中学は、幼稚園から大学まであり、制服も可愛いし、学校も広くて緑が多く、本当は受けたかった。
だけど、受験に疲れたというより、母に疲れてしまった。
もうこれで終わりにしたかった。

次の日の合格発表、私は合格していた。

この二校目の学校は、前の年に校長とPTAとの間で何かトラブルがあったらしく、新聞にも載った。
そのためか、受験者数も前年度の半分、殆どの受験生が合格。
それでも人数が足りず、三次試験まで行ったと、後から聞いた。

前年度まで2クラスあったのに、私たちの学年だけが1クラスだけだった。

…続く……💮


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