41.ダイヤル104

 私がM学園に入った後、お父さんの転勤でYっぺが関西方面へ転校して行った。
彼女の家は、学校のすぐ近くで、遅刻しそうな時は、学校の壁を乗り越えたことがあると、大人になってから聞いた。
びっくり話。

私はM学園に4年生の夏休みから入ったが、夏の自由参加の補習授業であった記憶はない。
彼女が転校したのは4年生の3学期だから、一緒に勉強したのは2学期の間だけ。
少しぽっちゃりした高い声の女の子。
そんなに話してはいないけれど、人懐っこくて明るい性格の彼女をよく見ていた。
いつも笑顔でいる彼女。

わたしもあんなふうに誰とでも仲良くなれならいいのにな
もう少し仲良くなりたかったな

最後の登校日、彼女はクラス全員にお手紙を書いてきてくれた。
白地にお花模様が描かれている便箋と封筒。
お手紙って、どうして人の気持ちを温かくしてくれるのだろう。
とっても嬉しくて、彼女の引っ越し先にお返事を書いた。

何度かやり取りをした後、お互い受験勉強で忙しくなったからか、それ以来連絡を取らなかった。


それから20年近くが経った1995年1月17日
私はその日、夜勤明けだった。
朝の検温で回っていると…どの患者さんのテレビも、同じ画面が映っている。
いつも起きていない患者さんまで、テレビにかじりついている。

私は最初、特撮映画か何かと思った。
みんな同じ番組を、真剣に観ている。

どうしたんですか?
何かあったんですか?

「大地震が起きたんだんだよ。」
と、患者さんが教えてくれた。

阪神・淡路大震災が起きたニュースだった。

地震?
どこで⁇

手を止めて、患者さんの枕元にあるテレビを観て、状況が徐々に飲み込めてきた。

阪神?
Yっぺ!!
無事だろうか…

焦った。
彼女の無事を早く確かめたい。

帰宅してすぐ、彼女に電話をかけてみた。
繋がらない。繋がらない…繋がらない…
何度かけても…そりゃ繋がるわけないか…

テレビにかじりつき、観れば観るほど最悪の状況を想像させた。

NTTの電話番号案内サービスに電話してみた。
オペレーターの女性に事情を説明した。
Yっぺの名前を伝えると、
「お客様がかけた番号には違う方のお名前があります。
違う住所で、お父様でしょうか…同じお名前の方がいらっしゃいます。
こんな時なので、この番号をお教えいたしますのでかけてみてください。
もし違ったら、こちらにお電話いただけますか?
お友達のご無事をお祈りいたします。」

なんてなんて、なんて!!優しい人!!

ありがとうございます!!
かけてみます。

教えてもらった番号に電話をかけると、Yっぺが出た。
奇跡!!
良かった!!彼女は無事だった!!

私が最初にかけた番号は、人に貸していたが、その家は半壊してしまったとのこと。
自分たちが住んでいる家は、なんとか大丈夫。
元気だから安心して、と、私の知っている明るく元気な彼女の懐かしい声。

これをきっかけにYっぺと連絡を取るようになり、数年おきに行なっていた同窓会にも来てくれた。
23年ぶりに彼女に会うことができた。
その時は、お母様も一緒に出席してくださり、Wくんに
「大人になったわねぇ。」
と声をかけていた。

やっぱりWくんは、みんなが認めるヤンチャ君だったということだろう。
 
それ以来、Yっぺとは同窓会に来てもらったり、私が彼女の家に泊めてもらったりと、交流は続いている。

あの震災の時、電話案内で、とても頭の硬い、機転の利かないオペレーターに当たっていたら、Yっぺとは今も会えていなかったかもしれない。
でも、該当者以外の番号を教えることは違反なのかもしれないから、後から叱られていないといいけれど。
私だったら、そんな違反を犯して番号を伝える勇気…あるだろうか。

たまたまその方に当たったから、今の私たちがある。
オペレーターの方には、心から感謝。

お名前も知らない人だけど…
あの時は本当にありがとうございました。
おかげさまで、あれから何度も会って楽しい時間を過ごしています。
会って、時々あなたの話をしています。
今年は数年ぶりに、ほんの少しの時間、一緒に心地いい時間を過ごしました。
心から感謝します。
ありがとうございました。


…続く……☎︎


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