4.ひとりっ子遊び

 ひとりっ子、基本一人でいることが多いので(そりゃそうだ^^;)ひとり遊びがとっても上手。
兄弟・姉妹がいない分、おかずの取り合いも無いし、靴下を間違えて履くこともない。
おままごとは、ひとりで全役をこなさなければならないけど、お友達とおままごとをやる時は、それぞれ家庭の違いもあったせいだろうか…
意見の相違が多々あって、結構社会勉強になった。

私は内気で、幼稚園でもカーテンの影に隠れているような子供だった。
慣れてくればおてんば気質を発揮して、男の子と遊ぶことも多かったが、その “慣れてくるまで” に時間がかかる。

私の家は長屋のような作りで、お隣さんの山本さんとは廊下で繋がっているけど、ちゃんとそれぞれの家に玄関があった。
トイレは共同、お風呂はない。
大家さんは敷地内の大きな家に住んでいて、日本舞踊一家だった、Kさん。
一番仲のよかった、みゆきちゃんは私よりも一つ下。いくつか離れたお兄さんがいて、みゆきちゃんの妹がともみちゃん。
彼女たちが日舞のお稽古のない時は、いつも一緒に遊んでいた。
鬼ごっこ、缶蹴り、ゴム跳び、けんけんパ、ぐーちょきぱー。
遊んでいる時に、
『お稽古の時間だよ』
と、お母さんが呼びにきて、ひとりになると寂しかった。

ひとりおままごとをしに帰るか、ともみちゃんの家の庭で目が回るまでひたすら回り続けるか、ありを追いかけるか・・
ひとりの時は、いつもこんな感じ。

敷地はとても広くて、みゆきちゃんたちのいとこのやっちゃんという男の子の家族が住む家もあった。
やっちゃんは、ちょっとやんちゃなので私は苦手だったけど、ひとりが寂しい時は、彼と遊ぶこともあった。

その頃、魔法系のアニメが流行っていて、『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』
男の子が観るアニメや戦隊ものは、観たことがない。母が許さなかったから。
魔法使いみたいに空、飛べるかな…
現実は…

塀の上に初めて上がった時、その高さに驚いた。
下から見上げた時にはそんなに高いと思わなかった。
高いところが怖い…
と、初めて思った瞬間。
塀に登るまでの勢いはどこへやら…
無理だ…でも、飛ばなければならない。怖いなんて言ったら、きっと笑われる。
私は魔法使いだ!!
目をつぶって飛び降りたら…
転んで膝を擦りむいた。
案の定、家に帰って母にめちゃめちゃ怒らた。

私の母は、着物を縫う内職をしていて、Kさんご一家が日舞の舞台に合わせて、その時に着る衣装を縫っていた。
とても仕事が丁寧で着心地がいいと、とても評判がよかった。

母は時間があれば、私の洋服や着物も縫ってくれることもあった。
幼稚園の頃の私は、ひとりおままごとに飽きると、母から余り生地をもらって、小さなぬいぐるみの簡単な服を作ったり、毛糸をもらって、ぬいぐるみのマフラーを編んだりしていた。
編み物は特に、ひとりで黙々とできる作業。
編み方は、最初のひと編みだけ教えてもらって、あとは自己流。

母からかぎ針と編み棒をひと組み、紫の余り毛糸をもらって、あみ終わったら解いて、また編む。
永遠と編み続けられるので、退屈しない。

その時の経験が、私の洋裁好きになった私のルーツ。

母はとても字が綺麗だった。色々賞も取ったりしているらしく、達筆すぎて、正直読める人は余りいない。
その娘の字が汚いと、母にはよく怒鳴られていた。
『どうしてそんなに字が汚いの!!』
まだ幼稚園児ですしね、自分の名前を書くのが精一杯。ひらがなと漢字を毎日練習させられて、嫌だったなぁ。
鉛筆って右手で持つんだっけ?
あれ⁈ 左手で持つんだっけ⁇
分からなくなることがよくあった。

どうして “字” ってあるんだろう。

そういえば…
私はめちゃくちゃ胡麻が好き。
でも、ゴハンにかけたりするのは、ほんの少し。
お腹を壊すといけないから、と。

そんな大好きな胡麻をたくさん食べてみたくて、私は狙っていた。
ある時、急にチャンスが訪れた。
夕ご飯の時に電話が鳴ったのだ。
母は私に背を向けて話をし始めたので、
これはチャンス!!
と思って、小袋に入った胡麻を、ざざっと一気に口の中に入れた。

電話が終わって振り向いた母はビックリ!!
食卓に飛び散った胡麻と、空になった胡麻の袋。
『お腹壊すわよ!!』
と、いつものよう叱られると思ったら、母は笑って
『食べたかったの?』
と優しく私に聞いた。
怒らない母に私は驚いた。

案の定、私はお腹を壊し、次の日から数日幼稚園を休んだ。
母の言う通りだった。
もう二度としない。
でも…満足!!

…続く……🍚


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