58.何もできない自分

 いつの頃からだったか…
私が13歳の誕生日を迎えた頃だったかな。
母が腰の痛みを訴えるようになった。
頻回に腰に手を当てている。
母は近くの内科医院に受診した。

今は 〇〇科クリニックとか、たくさんあってどこにかかればいいのか迷うくらいだけれど、その当時は主に内科医院が周りには多く、小児科とか整形外科とか、希望の科に行くのであれば総合病院に行く、でも大きな病院は時間がかかるから、とりあえず近くの内科に行ってみる…という人が多かったように思う。
だから私も、小さい頃から、小児科には行ったことはなく、内科で診てもらっていた。

母も同様で、腰が痛いと言ってかかりつけの内科に受診した。

「去年、肋間神経痛って言われたでしょ。
あれの延長みたいな感じだって。
湿布と痛み止めもらったわ。」

それが、初夏になると痛み止めでは効かなくなり、何度もかかりつけ医に相談したが、湿布しか処方されないと、母は話していた。

日を追うごとに辛そうにしている母に、私は何もできずにいた。
単身赴任先の父へ電話をかけ現状を説明した。

パパ、帰ってきて。
わたし、どうしていいか分からないの

学校の友達には言えない

 
夏の終わり頃、母は足を引きずるようになり、トイレに行くのもしんどそう。
だんだん四つん這いにならないとトイレに行かれなくなり、ついには立つこともできなくなった。
私はかかりつけの先生のところに行ったが、本人が来ないとダメだと言われ、門前払い。

誰に相談していいのかも分からなかった。

そして、母が入信していた宗教団体のおばさま方が家に来て、直径3cmくらいの白い軟膏入れに入った、白い塗り薬を一つ置いて行った。
「これは神様のお薬だから効くわよ。
塗ってあげてね。」

ふぅ〜ん…
こんなんでホントに効くの?

母は相談先を間違えてるんじゃないかと思いつつ、かと言ってどうしていいのかもわからず、母の腰にその軟膏を塗った。

母の具合が悪くなったため、父が鹿島建設を辞めて、単身赴任先から家に戻ってきた。

「手続きに時間がかかって、遅くなってごめんね。」
不安そうな私に父は謝った。

父の顔を見て安心した。
出ない答えを、もう一人で考えなくていい。

すでに2学期が始まっていたので、学校から帰ると、まず母にお茶を淹れて持っていく。
部活は、顧問のK先生に話をして、休部の許可をもらった。

ママ、ただいま。
痛い?

母は、私が淹れたお茶を、おいしいね、と飲んでくれた。

知識のない私は、寝ている母の体を拭いたり、お茶を持って行ったり、トイレにも行かれなくなったので、代わりに洗面器を持って行ったりした。
そして、神様の薬とかいう白い軟膏を痛いところに塗った。
他に何をしていいのか分からなかった。
無知って怖い…

食事は父が作ってくれた。
父が母に病院へ行こうと言っても、首を横に振る。
父も困っていた。

父もかかりつけの先生のところに行ったみたいだけど、往診とかは断られたみたい。

数日経った日の朝、学校へ行こうと支度をしていた私に、父が言った。
「ママを病院に連れて行くよ。
入院になると思うけど、ママは帰って来られなくなるかもしれないよ。」

帰ってこられない…
それはどういうことだろう

でも、父の顔を見ていたら、それ以上のことは聞けなかった。

病院の先生にみてもらえたら、痛いのもなくなるよね
そしたら帰ってこられるんじゃないの?
違うの?

父が救急車を呼んだ。
「周りに迷惑をかけるだろうから、9時くらいにきて欲しかったんだけど、救急車はそれはできないんだって。
すぐ救急車が来るよ。」

父が学校に欠席の電話をかけている間、私は急いで制服から私服に着替えた。

これから、どうなるんだろう
でも、もう今はパパがいてくれる

救急車が到着し、父の誘導で救急隊の方が二人、担架を持って家に入ってきた。
救急隊の方が、担架に乗せようとしたが、母は体の痛さに悲鳴をあげた。
痛みが強すぎて担架には乗せられないため、救急隊の方が小さな母をおんぶして、救急車に連れて行ってくれた。

母は小さい頃病気ばかりしていたとのことで、そのせいか身長が140cmしかない。

そして、父と私も救急車に乗った。
9月17日、父のお誕生日の前日。
母が私を身籠った時に、最初に通っていた田無の総合病院に救急車は向かった。

…続く……🚑


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