52.母の教育方針

 母は相変わらず、厳しい人。
「勉強だけしていればいいから。
家の手伝いなんて、あなたはしなくていい。」
それが口癖のような感じ。

とにかく本を読まされた。
母は沢山本を買ってくる。

本といえば…
幼稚園の頃、『いやいやえん』という本を読まされて、正直、字を覚えるのが苦痛すぎて、本まで読まされるのが嫌だった。
右手で鉛筆を持たなければいけないのに、

どっちだっけ⁇

と、左手で鉛筆を持ち、字の練習をしていることも多々あり、よく手を叩かれた。

「あなたの字は汚い。
汚いのは仕方ないから、丁寧に書く努力をしなさい。」
これは最後の最後まで言われ続けた。
自分では汚い字だと思っていないけど、認めてもらえることはなかった。

そりゃ…母の字は綺麗すぎる。
知り合いが母の字に感動して、手紙をずっと取ってあると話していたくらい。
習字の先生もしていたようなので、当然と言えば当然。
比べないでほしい…。

赤い表紙の『いやいやえん』は、何度も読まされた。
(今でも本棚にある。)

小学校5年生の時は、『大草原の小さな家』シリーズを全部読まされて、あとは宮沢賢治やキューリー夫人などなどの伝記物。
読んでしまえば、全て面白い本ばかりなのだが、読み始めの数ページが面白くないと、なかやか進まない。
中でも『路傍の石』が、最初の数ページが面白くない本の代表みたいなもので、小学生の私にはちょっと苦痛な本だった。

でも、母のおかげで本が好きになり、電車やバスの中では、よく読んでいた。

そんな母が、何の影響を受けたのか…
「たまにはマンガを読んでみない?」
と、小学校5年生の終わりの頃に、大和和紀の『はいからさんが通る』の1巻を買ってきた。

1巻で完結しないマンガなんて、続きを読みたくなるじゃない。
しかも、まだ最終回も発売されていない。

この漫画の内容は、大正時代の関東大震災前後の話だから、読ませたかったのかもしれない。
私の両親は大正生まれで、父は宮崎、母は福島県出身だが、今居る関東で何が起こったのかを教えたかったのだろうと思うけれど、恋愛ものだから、やっぱりそちらに気はいきますね。

友達のNっちも、『はいからさんが通る』を読んでいて、2巻は私が先に買ってもらったけど、3巻、最終回の4巻はNっちが私より先に買ってもらっていて、彼女は内容を知っていた。

「私買ってもらったよ。
教えようか〜」

それを、臨海学校に行く朝の電車の中で言われた。

買ってもらうから、いい!!

別に競っていたわけではないけれど、なんか悔しかった。

M学園で、業者さんがきて販売した『〇〇県のむかしばなし』シリーズがある。
各都道府県にまつわる、昔話が集められた本である。
母は、両親の出身地に加え、関東地区のむかしばなし全て買ってくれた。
確か、Yちゃんは全国のむかしばなしを買ってもらったと言っていた気がする。

母は何事にも一生懸命。
それは全て私のため。
私は常に
「女の子らしくしなさい。」
と言われた。
電車の中で座る時は、膝を閉じること。
O脚の私は足が閉じなかったため、座るのが苦痛だった。
そのO脚を直さないとみっともないと言われ、母が私の両膝を縛った。
膝がくっつくように、勉強する時やピアノを弾くときなど、常に縛っていたものだから、X脚みたいに変な足の形になった。

文字を書くときのノートや紙は、机と平行に、斜めに置いて書いてはいけない。
学校が休みの日は、その日の予定を書き、やったことをひとつづつ消していく。

〇〇時 起床
〇〇時 朝食
〇〇時 国語の勉強
〇〇時 ピアノの練習
…とかとか。

今でも、スケジュールを立てて行動するのは癖になっている。
そして書くこと大好き。
何でもメモを取る。
いわゆるメモ魔。
これは小さい時から変わらないし、止められない。
いいのか…悪いのか…

机に向かうときは姿勢は正しくしなさいと、背中にスケールを入れられる。
本を読む時は目から本までの距離30cm
物差しで測る。
暗い部屋で読んではいけない。
必ず電気を点けること。

私は小学校3年生の時、泣いてばかりいたせいか、急激に視力が落ち、視力検査で両目1.5あったのが0.3になっていた。
母は激怒し
「泣いてばっかりいるとそうなるのよ!!」
と言った、
視力が良くなるようにと、眼科には何度も通わされた。
でも0.5くらいまでにしかならず、20歳までに失明するよと脅された。

目から本までの距離が30cmだと、文字がかすんで読めないが、一度それを伝えたら激怒されたので、それ以来言わないようにしたが、見えていないことはすぐバレる。
結局、中学入学式前にメガネを作った。

…続く……📕


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