Katsutoshi Nakano

近代彫刻家によるメダル、絵葉書のコレクター コレクションより作品を紹介します

Katsutoshi Nakano

近代彫刻家によるメダル、絵葉書のコレクター コレクションより作品を紹介します

最近の記事

復興記念合同彫塑展覧会 絵葉書

1923(大正13)年5月3日から18日まで上野で行われた「復興記念合同彫塑展覧会」の絵葉書です。 前年の9月1日に起きた関東大震災への慰撫を目的に行われた、彫刻の展覧会ですね。 その年に官展が行われなかったことで、彫刻家の大きな収入源も閉ざされたために行ったという面もあるでしょう。 生活が大変な時に芸術なんて後回しになるものですからね~ 安藤照「芽」 陽咸二「日高川」 松平栄之助「婉」 長谷川栄作「懐胎」 朝倉文夫「容羞」 この中で、私が紹介したことのない作家は松平栄之

    • 畑正吉 作「國民精神作興ニ関スル詔書」レリーフ

      『国民精神作興ニ関スル詔書(國民精󠄀神󠄀作興ニ關スル詔書)は、1923(大正12)年11月10日に大正天皇の名で摂政宮(皇太子裕仁、後の昭和天皇)が渙発した詔書』です・ https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317939.htm これを記念し、造幣局から出された畑正吉によるレリーフです。 左下に「畑正吉謹作」とありますね。 作成日の記載はありませんが、同じく大正12年頃だと思われます。 揮毫は書家

      • 沼田雅一書簡 竹内久一宛

        久しぶりに、がんばってヤフオクで落としました! 竹内久一宛の沼田雅一書簡です。 沼田雅一の父、沼田一珍の書簡に一緒に送られたもののようです。 一珍は元福井藩士。維新後大阪に移って商業を試みて失敗、京都に移り美術商池田清助に陶土を分けて貰って拮りものを作って生計をたてていたそう。 竹内久一は、沼田雅一の彫刻の師であり、正木直彦著『回顧七十年』では、一珍の下で働いていた雅一を、通りがかった竹内久一が見つけ、その才を認めて東京に連れてきたそうです。 ただ、京都に来た海野美盛が見つ

        • 昭和16年 東京芝浦電気 特許メダル

          東京芝浦電気による陶製のメダルになります。 明治神宮のメダルが。和15年頃からメダルが陶製が出てきますので、このメダルも時節に合わせて作られたのでしょう。 特許への賞牌として作られたこのメダルの裏には「特許 第一四〇五一三号 辻重己 昭和十六年六月」とあります。 この特許について調べると、純度の低いアルミニウムの表面に酸化被膜を施し、反射鏡を作るもののようです。昭和13年に出願され15年に特許をとってます。 表には、神話の女神が描かれてます。 桃を手に取る姿から意富加牟豆美

        復興記念合同彫塑展覧会 絵葉書

          世界美術月報 広報誌

          以前、佐藤忠良によるメダルで紹介しました下中弥三郎。 https://prewar-sculptors.blogspot.com/2018/06/blog-post.html 今回紹介するのは、戦前に彼によって創刊された「世界美術月報」の広報誌になります。 冊子とはいっても、当時の著名な美術評論家による記事から美術用語の説明までと、濃厚なつくりになってます。 彫刻関連では、第7号に小原生による「ロダンのデッサン」。 第22号には田邊孝次による「アトリエに於けるブルデル、ベル

          世界美術月報 広報誌

          乃木将軍銅像と大日本国防婦人会

          割烹着姿に白襷、1932年に結成された「大日本国防婦人会」の写真です。 大阪で生まれたこの会ですが、全国に展開します。 https://ja.wikipedia.org/wiki/国防婦人会 真ん中に立つ像は、その姿から乃木希典の銅像と思われます。 当時存在した乃木将軍の銅像は、山口県の長谷川栄作による像、香川県の田中雄一による像、愛知県西尾の像、そして江の島の片瀬海岸の像。 この像の姿に似ているのは愛知県西尾の像なのですが、戦時中にコンクリートに変えられ、現在は西尾市の熊

          乃木将軍銅像と大日本国防婦人会

          牧雅雄 画「開運だるま」

          彫刻家 牧雅雄によ目達磨図です。 彼の軸はこれ二幅めになります。 一幅めを買ったのが2015年ですから、もう10年経つのですね~ https://prewar-sculptors.blogspot.com/2015/04/blog-post.html 彼の作品では、軍鶏の木彫を所持しています。 なのでこれで3点目、私が死ぬまでにあとどれだけ集めれるかな? 牧雅雄をコレクションしている理由は、彼が昭和10年に亡くなった作家だからです。 この昭和10年ですが、先の記事にも書いて

          牧雅雄 画「開運だるま」

          朝日新聞社MOTO作 メダル 泉二勝磨?

          戦前に作成された朝日新聞社の記念メダルになります。 鹿にまたがる天使、天使の腕には松明。 鹿の周りには、花(梅?)が咲き乱れています。 作者はメダル内に「MOTO」とあります。 この銘に該当する彫刻家と言えば、泉二勝磨(もとじ かつま)ですが、どうでしょう? 今まで紹介しました朝日新聞社のメダルを制作した彫刻家といえば、北村西望、日名子実三、陽咸二らと特にこだわってこの作家というものでもないようです。 ただ、大阪朝日と東京朝日で作家の選別に若干と違いはある感じを受けます。

          朝日新聞社MOTO作 メダル 泉二勝磨?

          舟越桂氏 死去

          9日、舟越桂氏が亡くなりました。 72歳でした。 https://www.yomiuri.co.jp/culture/20240330-OYT1T50036/ 私個人としては、2008年に東京都庭園美術館で開催された「舟越桂 夏の邸宅 アール・デコ空間と彫刻、ドローイング、版画」展が思い出深いですね。 場所の美しさも相まって、すてきな時間でした。 彼の作品は、「内省的で静謐な」「精神性」を表現しているとされます。 ただ日本を代表する木彫作家でありながら、これを時代的な文脈

          舟越桂氏 死去

          関東大震災と東京美術学校

          東京東京美術学校「交友会月報」です。 大正12年発行された第弐拾弐巻は、同1923(大正12)年9月1日11時58に起きた関東大震災の影響を受けた内容となっています。 「会告」とし「今般の大震災大火災に羅災せられたる、本会特別会員併に、正会員諸君に対する吊慰方法に就き、本校は交友会委員会を開催し、左の議案を満場一致を以て解決し、夫々贈呈を了せり、右報告す。」とし死亡者、その家族に見舞金を送ることを決めています。 羅災特別会員として、亡くなった生徒に「日本画科 星川清雄」「

          関東大震災と東京美術学校

          彫刻家「石井鶴三先生 講演筆記」

          石井鶴三は、彫刻家でもあり挿絵画家でもありました。 そして、山本鼎が始めた自由画運にも関わりを持っていました。 特に長野の教育には深く関わり、上田市には彼の資料室があります。 この資料は、そんな石井鶴三が学校から子供たちの絵の評価を頼まれ、総評を講演した内容を記したものです。 図画委員会編集とあるのみで、いつの時代のどこの学校かはわかりません。 時代を測れそうな箇所は、文章中にある『最初の時の刷物(昭和六年度作品短評後記)』とあることから、1931(昭和6)年以降であることが

          彫刻家「石井鶴三先生 講演筆記」

          大正14年 平野吉兵衛原型「桑田正三翁壽像 石井吉之助胸像」絵葉書

          1925(大正14)年に建てられた「桑田正三翁壽像 石井吉之助胸像」の除幕式記念絵葉書です。 桑田正三は、1855(安政2)年生まれ1933(昭和8)年没、明治期の大阪を代表する写真材料店「桑田商会」を営んだ人物で、石井吉之助はその甥にあたります。 彼らは、1904年より現在も続く浪華写真倶楽部の創立者です。 絵葉書には記念碑の全体写真、各人肖像の碑文の写真が載っていますが、倶楽部の写真家たちが撮ったものなのでしょうね。 葉書にある工事概要です。 設置された場所は、大阪

          大正14年 平野吉兵衛原型「桑田正三翁壽像 石井吉之助胸像」絵葉書

          河野真太郎著『正義はどこへ行くのか 映画・アニメで読み解く「ヒーロー」』を読む

          昨年の12月に出版された河野真太郎著『正義はどこへ行くのか 映画・アニメで読み解く「ヒーロー」』を読みました。 「アイアンマン」や「スパイダーマン」、「X-MEN」のような有名作品だけでなく、あの「ザ・ボーイ―ズ」まで網羅し、そこから見ることのできる現在のこの世界を論じています。 私の興味ある分野でもあり、とても面白く読みました。けれど、その後にザ・ボーイズのスピンオフ「GEN V」や「ザ・フラッシュ」、問題作「マーベルズ」等が公開され、ある意味ヒーロー物である「ゴジラー1

          河野真太郎著『正義はどこへ行くのか 映画・アニメで読み解く「ヒーロー」』を読む

          小倉一利 塑像領布会 会員芳名録 安藤照推薦文

          彫刻家小倉一利の塑像領布会会員芳名録になります。 10年前、私がコレクションを始めたころに手に入れ、以来とても大切にしているものです。 その頃のブログでも紹介しましたが、今回再度皆さんにお目にかけたく、引っ張り出してきました。 この芳名録は、昭和7年に書かれたようですね。 彫刻家安藤照による趣旨、次に賛助員、小倉一利の言葉と履歴、そして彼の作品絵葉書が貼ってあります。 それによると、小倉一利は昭和2年に東京美術学校彫塑科卒、朝倉塾生を経て塊人社で研究を重ね、昭和2年第八回

          小倉一利 塑像領布会 会員芳名録 安藤照推薦文

          植民地の銅像 絵葉書

          1928(昭和3)年、朝鮮の釜山商業会議所に建てられた「大池忠助翁銅像」の絵葉書です。 作者は上田直次。 明治13年広島生まれ、木彫を山崎朝雲に、塑像を朝倉文夫に学いびます。 晩年は広島県美術展の彫刻部発展に尽力されました。 ・文化遺産オンライン 広島県立美術館には、上田直次作「杉本五郎像」(1938年)が所蔵されています。 銅像となった「大池忠助」は、安政3年生まれ。明治8年朝鮮釜山にいき、海運・製塩・水産・旅館業などの事業を起こします。 1915年の第12回衆議院議員総選

          植民地の銅像 絵葉書

          安永良徳 作「ダナエ」レリーフ再制作?

          安永良徳については数回前に書きましたね。 彼のレリーフ作品です。 この作品の素材は石膏。額と作家名が左から記されていることから、戦後の作だと思われます。 ただし、この作品に似た立体を安永良徳は作っています。 それは、1937(昭和12)年に行われた第拾回構造社展覧会において「ダナエ」と題された立体です。 「ダナエ」はギリシャ神話に出てくる女性で、ゼウスとの間に英雄ペルセウスを生みます。 彼女の父アルゴス王アクリシオスに恐れられ、母子ともに箱に閉じ込められて海に流されますが、

          安永良徳 作「ダナエ」レリーフ再制作?