Katsutoshi Nakano

近代彫刻家によるメダル、絵葉書のコレクター コレクションより作品を紹介します

Katsutoshi Nakano

近代彫刻家によるメダル、絵葉書のコレクター コレクションより作品を紹介します

最近の記事

乃木将軍銅像と大日本国防婦人会

割烹着姿に白襷、1932年に結成された「大日本国防婦人会」の写真です。 大阪で生まれたこの会ですが、全国に展開します。 https://ja.wikipedia.org/wiki/国防婦人会 真ん中に立つ像は、その姿から乃木希典の銅像と思われます。 当時存在した乃木将軍の銅像は、山口県の長谷川栄作による像、香川県の田中雄一による像、愛知県西尾の像、そして江の島の片瀬海岸の像。 この像の姿に似ているのは愛知県西尾の像なのですが、戦時中にコンクリートに変えられ、現在は西尾市の熊

    • 牧雅雄 画「開運だるま」

      彫刻家 牧雅雄によ目達磨図です。 彼の軸はこれ二幅めになります。 一幅めを買ったのが2015年ですから、もう10年経つのですね~ https://prewar-sculptors.blogspot.com/2015/04/blog-post.html 彼の作品では、軍鶏の木彫を所持しています。 なのでこれで3点目、私が死ぬまでにあとどれだけ集めれるかな? 牧雅雄をコレクションしている理由は、彼が昭和10年に亡くなった作家だからです。 この昭和10年ですが、先の記事にも書いて

      • 朝日新聞社MOTO作 メダル 泉二勝磨?

        戦前に作成された朝日新聞社の記念メダルになります。 鹿にまたがる天使、天使の腕には松明。 鹿の周りには、花(梅?)が咲き乱れています。 作者はメダル内に「MOTO」とあります。 この銘に該当する彫刻家と言えば、泉二勝磨(もとじ かつま)ですが、どうでしょう? 今まで紹介しました朝日新聞社のメダルを制作した彫刻家といえば、北村西望、日名子実三、陽咸二らと特にこだわってこの作家というものでもないようです。 ただ、大阪朝日と東京朝日で作家の選別に若干と違いはある感じを受けます。

        • 舟越桂氏 死去

          9日、舟越桂氏が亡くなりました。 72歳でした。 https://www.yomiuri.co.jp/culture/20240330-OYT1T50036/ 私個人としては、2008年に東京都庭園美術館で開催された「舟越桂 夏の邸宅 アール・デコ空間と彫刻、ドローイング、版画」展が思い出深いですね。 場所の美しさも相まって、すてきな時間でした。 彼の作品は、「内省的で静謐な」「精神性」を表現しているとされます。 ただ日本を代表する木彫作家でありながら、これを時代的な文脈

        乃木将軍銅像と大日本国防婦人会

          関東大震災と東京美術学校

          東京東京美術学校「交友会月報」です。 大正12年発行された第弐拾弐巻は、同1923(大正12)年9月1日11時58に起きた関東大震災の影響を受けた内容となっています。 「会告」とし「今般の大震災大火災に羅災せられたる、本会特別会員併に、正会員諸君に対する吊慰方法に就き、本校は交友会委員会を開催し、左の議案を満場一致を以て解決し、夫々贈呈を了せり、右報告す。」とし死亡者、その家族に見舞金を送ることを決めています。 羅災特別会員として、亡くなった生徒に「日本画科 星川清雄」「

          関東大震災と東京美術学校

          彫刻家「石井鶴三先生 講演筆記」

          石井鶴三は、彫刻家でもあり挿絵画家でもありました。 そして、山本鼎が始めた自由画運にも関わりを持っていました。 特に長野の教育には深く関わり、上田市には彼の資料室があります。 この資料は、そんな石井鶴三が学校から子供たちの絵の評価を頼まれ、総評を講演した内容を記したものです。 図画委員会編集とあるのみで、いつの時代のどこの学校かはわかりません。 時代を測れそうな箇所は、文章中にある『最初の時の刷物(昭和六年度作品短評後記)』とあることから、1931(昭和6)年以降であることが

          彫刻家「石井鶴三先生 講演筆記」

          大正14年 平野吉兵衛原型「桑田正三翁壽像 石井吉之助胸像」絵葉書

          1925(大正14)年に建てられた「桑田正三翁壽像 石井吉之助胸像」の除幕式記念絵葉書です。 桑田正三は、1855(安政2)年生まれ1933(昭和8)年没、明治期の大阪を代表する写真材料店「桑田商会」を営んだ人物で、石井吉之助はその甥にあたります。 彼らは、1904年より現在も続く浪華写真倶楽部の創立者です。 絵葉書には記念碑の全体写真、各人肖像の碑文の写真が載っていますが、倶楽部の写真家たちが撮ったものなのでしょうね。 葉書にある工事概要です。 設置された場所は、大阪

          大正14年 平野吉兵衛原型「桑田正三翁壽像 石井吉之助胸像」絵葉書

          河野真太郎著『正義はどこへ行くのか 映画・アニメで読み解く「ヒーロー」』を読む

          昨年の12月に出版された河野真太郎著『正義はどこへ行くのか 映画・アニメで読み解く「ヒーロー」』を読みました。 「アイアンマン」や「スパイダーマン」、「X-MEN」のような有名作品だけでなく、あの「ザ・ボーイ―ズ」まで網羅し、そこから見ることのできる現在のこの世界を論じています。 私の興味ある分野でもあり、とても面白く読みました。けれど、その後にザ・ボーイズのスピンオフ「GEN V」や「ザ・フラッシュ」、問題作「マーベルズ」等が公開され、ある意味ヒーロー物である「ゴジラー1

          河野真太郎著『正義はどこへ行くのか 映画・アニメで読み解く「ヒーロー」』を読む

          小倉一利 塑像領布会 会員芳名録 安藤照推薦文

          彫刻家小倉一利の塑像領布会会員芳名録になります。 10年前、私がコレクションを始めたころに手に入れ、以来とても大切にしているものです。 その頃のブログでも紹介しましたが、今回再度皆さんにお目にかけたく、引っ張り出してきました。 この芳名録は、昭和7年に書かれたようですね。 彫刻家安藤照による趣旨、次に賛助員、小倉一利の言葉と履歴、そして彼の作品絵葉書が貼ってあります。 それによると、小倉一利は昭和2年に東京美術学校彫塑科卒、朝倉塾生を経て塊人社で研究を重ね、昭和2年第八回

          小倉一利 塑像領布会 会員芳名録 安藤照推薦文

          植民地の銅像 絵葉書

          1928(昭和3)年、朝鮮の釜山商業会議所に建てられた「大池忠助翁銅像」の絵葉書です。 作者は上田直次。 明治13年広島生まれ、木彫を山崎朝雲に、塑像を朝倉文夫に学いびます。 晩年は広島県美術展の彫刻部発展に尽力されました。 ・文化遺産オンライン 広島県立美術館には、上田直次作「杉本五郎像」(1938年)が所蔵されています。 銅像となった「大池忠助」は、安政3年生まれ。明治8年朝鮮釜山にいき、海運・製塩・水産・旅館業などの事業を起こします。 1915年の第12回衆議院議員総選

          植民地の銅像 絵葉書

          安永良徳 作「ダナエ」レリーフ再制作?

          安永良徳については数回前に書きましたね。 彼のレリーフ作品です。 この作品の素材は石膏。額と作家名が左から記されていることから、戦後の作だと思われます。 ただし、この作品に似た立体を安永良徳は作っています。 それは、1937(昭和12)年に行われた第拾回構造社展覧会において「ダナエ」と題された立体です。 「ダナエ」はギリシャ神話に出てくる女性で、ゼウスとの間に英雄ペルセウスを生みます。 彼女の父アルゴス王アクリシオスに恐れられ、母子ともに箱に閉じ込められて海に流されますが、

          安永良徳 作「ダナエ」レリーフ再制作?

          美術史家「野間清六」肉筆原稿

          美術史家とか美術評論家って、彫刻家や画家以上に同時代的で消費されて忘れられていくのですよね~ そこが好きで、チョコチョコとそういった方々の原稿や葉書をコレクションしています。 ※大正12年 森口多里の年賀状 今回は 美術史家「野間清六」の肉筆原稿です。 野間清六は、戦前の帝国博物館東京から東京国立博物館まで長年勤められた、古代~前近代彫刻の研究者です。その分野の著作を多く出しています。その著作をネットで拾い上げても、 ・日本古楽面(昭和10年) ・日本美術大系-彫刻(16年

          美術史家「野間清六」肉筆原稿

          中国によるチベット問題プロパガンダ彫刻「塑像群 《農奴の怒り》」

          この 「塑像群 《農奴の怒り》」は、1977年に中華人民共和国にて発行された彫刻作品のカタログです。日本語で表記されています。 つまり、中国によるアートを用いた日本向けのプロパガンダ本なんですね。 複数人の共同制作作品で、中央五・七芸術大学美術学院教師及び潘陽魯迅学院の教師、そしてチベットの芸術家たちによるものと記されています。 等身大の人物像が106点、動物像6点、舞台のような構成がなされています。 赤茶色の像であるからテラコッタなのでしょう。 この作品は、抑圧されたチベ

          中国によるチベット問題プロパガンダ彫刻「塑像群 《農奴の怒り》」

          吉田久継 作 「日本武尊」メダル

          吉田久継は、1888(明治21)年東京市本郷区に生まれ。 若く10代で高橋楽水に蠟型技術、馬場正寿に彫金、白井雨山彫塑研究所でに彫塑を学びます。 東京美術学校彫刻選科卒、その後に太平洋画会研究所、さらに本郷洋画研究所で岡田三郎助にデッサンを師事。 第7回帝展から審査員となり、東台彫塑会、赤洵社を組織、第一美術協会結成に参加、東土会結成に洋風版画会結成、三部会結成と忙しい作家だったようです。 「ハニベ会」にも参加してますしね。 1929(昭和4)年日本には、日本美術学校彫刻部教

          吉田久継 作 「日本武尊」メダル

          安永良徳作 木彫花丈煙具

          謹賀新年 皆さん地震は大丈夫でしたか? 我が家もかなり揺れましたが、誰も怪我無く、皆無事でした。 コレクションは木彫が若干破損、倒れたのブロンズ像には傷は無いよう、梱包されている作品の確認はまだできていません。 なかなかしんどい一年のはじめとなりました。 今年も少しづつコレクションの紹介をしていきます。 できることを一歩ずつですね。 さて、今年の一回目は構造社の彫刻家、安永良徳による煙管です。 昭和26年の作になります。 煙管は3本あり、ひまわり、菊、そして女性の顔が描か

          安永良徳作 木彫花丈煙具

          黒田頼綱 作 「海」と「ゴジラ-1.0」

          画家黒田頼綱による「海」です。 板に油彩。 裏側には「文展無審査 光風会会員 〇〇美術〇〇 陸軍美術協会会員 海洋絵画協会会員」と書かれています。 このことから、戦前の作品と思われます。 黒田頼綱は、1940(昭和15)年に近衛文麿内閣によって対中政策のため設置された興亜院の委託で北京に、1943(昭和18)年には海軍報道班員としてフィリピン・ジャワなどに従軍しています。 板に描かれていることからも、このころに現地で描かれた作品なのではないでしょうか? 手元に1941(

          黒田頼綱 作 「海」と「ゴジラ-1.0」