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【ほぼ全文書き起こし】はっぴーの家の「あり方」を考える。あなたにとって、はっぴーの家とは?【1万5000字超え】

2020年12月30日に、公開雑談会という名の打ち合わせが、はっぴーの家で行われました。去年の夏から、株式会社ここにある代表の藤本遼さんと、はっぴーの家の「スタンス」や「あり方」の言語化を続けてきました。今回は初めての公開雑談会。関心のある方々とZoomでつながり、2021.1.17日のホームページ公開に向けて、はっぴー家の「あり方」について話し合いました。

<登場人物>
首藤 義敬(しゅとう よしひろ):株式会社Happy代表
藤本 遼(ふじもと りょう):株式会社ここにある代表/場を編む人
前田 彰(まえだ あきら):はっぴーの家のSNSやイベント企画などを担当/掬ぶ人
W係長:某係長
岩本 茂(いわもと しげる):株式会社Happyの右腕/ケアマネージャー
鈴木 七沖(すずき なおき):はっぴーの家の映画『今日も、宇宙のまんなかに』を撮影中
和田 健(ワダケン):コロナ禍ではっぴーの家に仲間入りした元教師/教育事業を担当
ヨーコさん:入居者さん/ロッケンガールズ
その他何も知らずに偶然巻き込まれた見守り隊の皆さん3-4名



自分は小さく社会とつながっている 「エゴ」を社会化する

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(※呑み食いしながらはじまりました)

藤本:加藤哲夫さんって知ってますか?

首藤:全然知らない。

藤本:1980年代から、市民活動、NPO、エイズとかの支援をしていた宮城の人なんですけど。「他人に対する思いやりを」みたいなのって学校にあるじゃないですか。「友達を思いやろう」みたいな。彼が学校の現場に行ったときに、その標語を見て、全部のクラスに貼ってあったと。1年生から6年生まで全て「他人に対する思いやりを」みたいなことを書いてあって。強烈な違和感を感じて、先生全員に質問をした。自分に対する思いやりはどこに行ったんですかって、全ての先生に聞いて回って。でも、全員ぽかんとしたっていう話があって。

他人のためになることは大事なんだけど、その前に自分が本質的に求めていることとか、本当に大事なことを抜いて、そっちに言っちゃうと自分がどんどん枯渇しちゃうみたいな感覚。それが首藤くんの中にあったんかなって、ちょっと思ったりする。

首藤:あるかもしれへん。自分の中の心と社会が繋がり出してるなと思ってて。自分が何が欲しいのかを求めるのが、実は小さく社会とめっちゃ繋がってるねん。

藤本:そうやんな。だって自分は社会の一員だから。

首藤:そうそう。社会って人の関わりやからな。「『エゴ』を社会化する」っていう言葉を(ホームページに)入れようと思ったのは、そんな感覚かな。


違和感を3つ重ねると、どうでもよくなる

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彰:「どうでもよくなる」っていうのが、今回スタンスを言語化する上で、大事なんじゃないかなって、この間ミーティングの最後の方でしていて。それを(今回)話そうよっていうことになりました。

僕自身も東京に行ったりして、色んな経験をしている中で、一昨年夏季休暇で(神戸に)帰ってくることもあったんですけど。東京での仕事に疲れていて、(はっぴーに)帰ってきて30分くらい経ったら、仕事とか悩んでることがどうでもよくなる瞬間があって。はっぴーって何って言われたときに、自分の中でこれを伝えたいなというか。言語化はまだしにくいけど、これを言葉にできたらいいなっていうのはずっと思っているので。この感覚ってなんだろうっていう。

首藤:「どうでもよくなる」っていうこの場所の価値と言うとやけど。そもそも俺ら解決しようとしてない。社会には解決できない問題の方が多いと思ってて。今まで問題解決をみんなやろうとしているけど、いや解決できないじゃん。でもそれでも別にいいよねにはならへんやん。なのでここでは「違和感を3つ重ねる」って言ってるけど。もちろんそれは方法論として大事やけど、「どうでもよくなる」っていう状態の方が、掘りがいがあるなって。「どうでもよくなる」の価値ってなんなんやろう。そこに答えがある気がする。

藤本:「どうでもよくなる」ね。やっぱりすごい気になっちゃうじゃないですか。関係がなかったとしても、ツイッターとかを見て、「すげぇ。なんか羨ましいかもしれへん。この生き方」とかさ。悪いことしたからって、すごいコメントしたり叩いたりするっていう。それって、どうでもよくないっていうかんじやん。なんでどうでもよくならないんだろうとか。どうでもよくなってる状態って、どういうことやろうなっていうのは、僕もすごい気になるね。

首藤:例が飛んでるかもしれへんけどさ。靴の中に石入っとったら、うっとうしいやん。めっちゃ気になるやん。1個入っとったら、気になるやんか。でもそれでさ、水溜りに足入れて、びっちゃびちゃになったらさ、最悪やなと思ってさ。そういう状況。雨でびっちゃびちゃになって、靴に水が入って。色んなことが重なったら、靴のことどうでもよくなるやん。そういうことかなと思ってて。

でも、それって不快じゃん。でもそのとき、めっちゃ寒いなって歩いているとき、焚き火をやってるおっさんがおってさ。そこにいたらめっちゃ心地いいやん。あの感覚かなと思ってて。はっぴーの家にある問題って、解決しがたい問題ばっかり。認知症もそうやし、罵詈雑言もそうやし。でもその人を止めることはできないじゃん。色んなことが重なるけど、この場所ってどうでもよくなる。その価値ってなんなんやろう。

藤本:ただ一方で、どうでもよくしてはいけないっていうのもあるよね。

首藤:あるある。

藤本:治外法権っていう話でもない。(何でもして)いい場所では当然なくて。

首藤:ない。

藤本:だけれども、人を取り締まったりとか、かくまったりとかするっていうことも、違うよねっていう。そこに向かっていこうとしているスタンスに、僕はすごい興味があるし。多分今は悪いことをしたら叩いて消化して終わりみたいな話とか、誰かに取り締まってもらってっていう話なんだけど。そうじゃないアプローチをしようとしているところに、僕はすごく未来の可能性を感じる。そこがおもろいなって。

弱さを共有することで、誰かの居場所が生まれる

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首藤:一個一個の問題を放置しているわけじゃない。自分の中では戦略的放置やねん。弱さの共有というか、一個の問題と、時間軸長く付き合おうとしてる。今解決するのは無理やから。でも間接的に見てる。

首藤:自分が例えば事故に遭って障害をおったときに、どうなるかなんてわからないじゃん。はっぴーには、人に対して人格否定みたいな言葉を使ってしまうような人がいたり、すぐカッとなって手を出しそうになっちゃう人もいるけど。はっぴーやからおれるっていう不思議な感覚。弱さの共有。でもそれって結局誰かの弱さを共有することによって、違う人に居場所が生まれるという。

例えば走り回っている子どもを許すことによって、おばあちゃんが居場所として生まれるというか。弱さが他の人の居場所を作っていくっていう感覚なんかなと思ってて。結局、みんなで将来の弱い自分の居場所を作っている作業というか。

藤本:弱さが居場所になる話、もうちょっと教えてもらってもいい?どんな感じ?

首藤:どんな感じなんやろう。弱さが居場所になるっていう、誰かの弱さを共有することによって誰かの居場所になる。この前あのおじいちゃんがOKやったら、この人もOKでしょ。だからより強烈な弱さを容認することによって、この場所の許容量が上がっていく。

はっぴーの家も、はじめからこの許容量を持っていたわけじゃなくて。けど、関係性が濃いから、これ将来の自分かもしれへんなっていうスタンスで、なんとかおらしてやりたいなって。そうしたら、長期的な人の関わりになるから、その人が許容されていくとか、変わっていくねん。居場所を見つけていくというか。(これまでのことが)おさまっていく瞬間も見てるから。

藤本:面白いね。でも一緒に住んでるっていうのはあるのかもしれないね。

 
慣れている間に、お互いが変化していく

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首藤:過去にも色んな人がいた。例えば子どもに手をあげようとするじいさんとか。

藤本:でもなんで変化があるの?なんで(その状況が)変わっていったんやろ。

首藤:なんでなんやろう。W係長なんでやと思います?変化していくのはなんでやと思います?

W係長:個人的に思うのは2つあって、1つは、はっぴーの職員が慣れるっていうのはある。

首藤:慣れる(笑)

藤本:それも本質やな。

W係長:それが当たり前になると、気にならなくなるっていうのはある。絶対あると思う。もう一つはその人も多分受け入れられるってことがなかった可能性が高いから、そういう振る舞いが減っていっているというのもあるのかな。2つが歩み寄っている考え方に、結果的になっている気がする。

彰:慣れるのはあるかもしれない。慣れている間に、じわっと許容範囲が広がってっていう感じは確かに。

藤本:それって面白いよね。本人だけが変わっている話じゃないやん。むしろ、受け入れ側の度量が増えているっていう話で。それは多分ルールとかテキスト化されたものでやってしまうと、ここから外はダメですっていう話にしかならなくて。こちらの変容がないわけやん。それが明示されてない。ある種ファジーにされていることこそが、すごく大事にしているスタンスに近いのかな。

全体をどう再現するか

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藤本:話を聞いていて思った。全体みたいなものを、どう再現するかを考えている気がする。つまりさっきの排除するみたいな話って、腫瘍を摘出するみたいな話じゃない。でもそうじゃない。腫瘍も俺たちの体の中にあるんだ。うんこもあるし。美しいとか汚いとかじゃないねん。あるねん。そういうことをちゃんとある種の1つの社会として、ここで実現しようとしているというか。

首藤:そこを大事にしたいというか。綺麗なものだけってめっちゃ不自然やん。気持ち悪いねん。子どもがいるダイバーシティーな環境、多世代の居場所、そんな家ですって、一般的なイメージとかキラキラした要素を集めたとしても多分成り立たへん。多分それって存続できなくて。

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やっぱり暮らしになったときに、良くも悪くも、「悪く」の部分を無視してはいけないと思っていて。その「悪く」の部分を解決できたらしたらいいと思う。でも、できないことの方が多い。そこに対してどう向き合うのかっていうアプローチが環境であって。それを受け入れるっていうことが多分結構自然で。ここが不自然の中にある自然っていうのは、まさにそうで。すげえ自然な場所やと思ってて。

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だから学びの場としてここ良いんじゃねえかなとずっと思ってて。ここをずっと学びの場やと思ってて。


違和感を作り出す

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首藤:「違和感を3つ以上重ねるとどうでもよくなる」の「どうでもよくなる」を深ぼると、そもそも違和感を作り出すねん。違和感がなかったらおもんないから、アクシデント起こらんかなっていうのを期待してるのが俺と岩本さんやと思ってて。

岩本:他の介護施設がやっていないことをやるのが、はっぴーらしいではない。

藤本:ではないんや。良いっすね。

岩本:介護施設としてやっているわけじゃないから。関わっている人たちひとりひとりであるおじいちゃん、おばあちゃん含めて、全員の暮らしを扱っている。その暮らしの中で、自分でも気づけなかったものに気づけることが一番の喜びというか。(そのことに)嬉しい、幸せ、はっぴーと感じるから。それに気づくために、ハプニングをどう起こせるかっていう視点があって。そのためにはここで働いている人と、ここに住んでいるおじいちゃんおばあちゃんだけでは成り立たない。それ以外の人も混ざらないと。

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「自分は常に正しい」を問う

首藤:「日常の登場人物を増やす」ってはっぴーの中であるじゃん。あれも(スタンスに)入れた方がいいと思うねんけど。例えば、登場人物の中で遼くんがこうやって来てて、何か問題があったら、そこに対してはめちゃくちゃ愛を持って向き合うよねっていう。それが良い問題なのか悪い問題なのかに関係なく。

彰:それはすごいある。わかる。その安心感。どこかで捕まって5年服役して出てきても、ここなら帰ってきていいかなと思える。

首藤:それでも受け入れるでっていう。何やるかなんかわからんじゃん。そこの深さというか。

W係長:義くん(首藤さん)は、自分のことをダメ人間だってわかってる。自分がいつそうなるかと思えるところのスペース。

首藤:そうそう。自分がダメやから(笑)

W係長:それは岩本さんも一緒やと思う

全員:(笑)

W係長:自分のためにも(はっぴーを)作っているというのもある。それと、排除みたいな話のときに、自分は常に本当に正しいかをずっと問い続けているから、そういう発想にならないのかなと思って。自分が正しいと思っちゃうと相手を。

藤本:排除しちゃう。

W係長:そうそう。

正解を作らず、問い続ける

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藤本:なるほど。それは問い続けるっていうことなんか。問い続けるってことは正解を持ってない。常に正解を作らない。

首藤:うまくいったことなんて、何の価値もないよ。再現性もないし。だって、今俺らの中に起こる問題は、常に答えがなくて、その瞬間瞬間やから。同じ問題でも時間軸とか、いる人が変わったら、変わるわけやんか。そこに正解はなくて。

うまくいったことをどうやって忘れるかっていうことは、すごい大事にしてて。うまくいったなって思ったときに、そこに味をしめないというか。だから常に瞬間瞬間同じ問題でも、新しいことやと思って楽しむのがめっちゃ好きで。だから成功法とか嫌い。嫌やねん。

藤本:もうちょっとそれ掘り下げていい?成功したら楽やん。次もそれでうまくいくみたいなことじゃないですか。

首藤:例えばここでやっているビジネスでも、ある程度軌道に乗ってきたら、俺めっちゃモチベーション下がるんすよ。もう見えてきたな、次に行かないとってなるし。ゴールが見えることが面白くないっていうのもあるし。

さっき言ったプロセスの並びには、価値を置いていない。これをやったから正しいじゃなくて、そのとき、その瞬間、そのメンバー、その状況でやったから、よかっただけの話。暮らしを問い続ける。正解やと思っていないっていう。それって多分はっぴーのスタンスで。

藤本:うんうん。その危険性みたいなものを、体験的なのか本能的なのか、何か感じてるのかね?正解を持っちゃうとか、正しさにすがっちゃうみたいなことも、危険性とか怖さがあるんかね?大体そっちの方が安心やん。マジョリティーであるとか、正しいっていうハンコを押されている方がいいし。でもそうじゃないと思うってことは、なんらかそう思わないことがある?

岩本:さっき首藤さんが言ったみたいに、そもそも正しいことは、時間が経てばその正しさって不正解になるから。それは常に考える。だから今正しくても時間が経つと、正しくない。自分たちの中にしかないというか。

首藤:うんうん。あれやね。物の見方の時間軸が長いねんな。

藤本:長いねんな。それは今日話を聞いて改めて感じたな。

場の許容量が、変化を生む

岩本:「待つ」っていうのはあると思う。

藤本:なるほど。「待つ」について、もうちょっと言ってください。「待つ」ってどんな感じですか。具体的なエピソードは?

岩本:積極的にこっちがアプローチや行動、声かけとかをすることなく、待つ。沈黙も僕はコミュニケーションやと思ってるんで。何も言わない中に、思いをのせていて、何も言ってこないということの中で、行動していくというか。

首藤:わかるわかる。待つ大事さ、めっちゃある。多分それを俺らがめっちゃ大事にしてて。関わる人もスタッフもそうで、はじめから完璧を全然求めてない。それよりも面白い入りとか、背景。ここで働きたいですってどうかしてるなって思うくらいで。でも何かの瞬間にここに関わってっていうストーリーが共有できていれば、その先が見たいなって思うというか。例えば彰なんかそうやんな。めっちゃかっこええ仕事してるやん。

彰:かっこいい仕事してます(笑) 

首藤:色んなところで広報やって、映画撮るアシスタントしてるとか、東京行ったりとか。(今に至る前にはっぴーに)来て、飯食えてないから一緒に食べようみたいな話になって。ずっといて、はじめ誰かもわからへん。素性もわからへんし。おもろいなってなった瞬間から、じゃあどうやって彰は成り合うんやろうって考えるようになって。そのチャンスがここで生まれたらいいなっていうのを楽しみ出すというか。色々あるわけよ。はじめ完璧じゃないから、色んな不具合があったりとか。本人も葛藤したりもあるけど。それすらも待つっていうか。

それは彰だけじゃなくて。でもそれがポジティブに変わっていく。さっきのおじいちゃんの話だけではなくて。その場の許容量だけで、人は変わるっていうのを常に諦めていないというか。今こうかもしれへんけど、どんどんどんどん時間軸とともに変化していくよねっていう。新入スタッフも全員そう。いきなり結果を出せるわけじゃないやん。でも、多分3ヶ月から半年いつも待ってるねん。今めっちゃおもろいこと言ってるけど、そのままいっても面白くないな。もっと色んな方に変わらんかなっていうのを待ちながら、じわじわじわじわやっていく。こう寝かすことによって、もっと本質的なアプローチが見えると言うか。時間軸をすごい見てて。

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藤本:評価みたいなのはどういう風に考えてるん?「待つ」っていうことは、すぐに成果を出さなくてもいいっていう評価をしてることやと思うねん。だけど、どこかのタイミングではちゃんと動いてくれよとか、ちゃんとやってくれやなあかんでとか。成果みたいなものを出さなあかんでって、どこかのタイミングで区切りをつけて思っているのか。それとも、それは大丈夫、絶対自然に出てくるものだからって、最終的なところまで待つっていうスタンスなのか。その辺ってどんな感じ?

首藤:例えば、すごく難しい背景が流れていて、どう考えてもこの人を雇っても、この人を住ましてもっていう人たちに向き合っていく、一緒に伴走していくこと。それ自体が、そこに関わる人にも大きな価値があると思ってる。フリースクールとしても、子どもたちの学びとしても。

藤本:なるほどな。


首藤:解決し難い問題、難しさに向き合うっていうこと自体が、大前提として大きな価値がある。それで、その人が結果を出していく感動ってやばい。過去の何かあった、悪いことがあったって言うのも、全て最終的にプロセスに変わるっていうのを知ってるねん。俺も岩本さんもまともなルートで生きてきてないから(笑)今まで人に言えないこととかも色々あったのが、今逆に全部ストーリーになっちゃうわけ。もしかしたらその感動を一緒に味わいたいっていうのがあるかもしれん。

岩本:本当にその通りです。幼少期、育ってきた家族、それがあって今の自分がいるところはあるので。そこがなかったら多分今そういう感じで物事を考えたりとか、こういう生き方をしてないやろうなって。

藤本:(チャット欄を見て)良い言葉出てる。発酵ですねって。

首藤:発酵。なるほど。

藤本:発酵させたり熟成させたりしてるんやろうね。すぐ食べたら苦いやん、酸っぱいやんってなってるけど、ちょっと置いとこって、良い感じのタイミングで食べるんやんね。それで一番美味しいっていうのをやってるのかもしれへんな。

この人だから、一緒に仕事をしたい

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W係長:義くん(首藤さん)の、「待つ」っていうのがちょっと違う気がして。

藤本、首藤:いいね、いいね。

W係長:誰とやるかやと思ってて。やりたい仕組みは頭の中にあるけど、そのピースがはまらないかぎり絶対しない。

首藤:そうそうそう(笑)

W係長:教育事業もわだけんが来てやろうってなったし。そこがすごく大事な気がする。時間軸と人の軸が2つ合わさっている気がする。

首藤:この人やからこそ、これを一緒にやりたいとか。状況が整っているっていうのもあるし。人もそうだし、タイミングっていうのもある。そうじゃないと多分嫌や。

W係長:だってやりたいこといっぱいあるやん。でも人が揃わんかったら、絶対やらへんやん。タイミングが来てても、人が来てなかったら、タイミングじゃないっていう。そんなところもはっぴーらしい気がする。どこまでも義くん(首藤さん)は友達と一緒にやりたいんだろうな。

藤本:(笑)

首藤:(笑)そうかもしれん。今、言ってくれたことにすごい共感してて。誰とやるかって、むっちゃ大事。コロナ禍ではっぴーに入ってきたわだけんっていう元教師がいるねんけど。教育事業をやり出して、結構良いこといっぱいやってる。企業として利益だけ出したいってなったら違う方法っていっぱいあるし。でもわだけんの色んな背景とか、人間性、生きづらさであったりとか。良いところ、ダメなところ。ダメなところってすごい大事。弱さのところ。

藤本:好きになる。

首藤:そう。そこがはまるっていう。その事業にはまるっていうことが、多分俺の中のすごい大事にしてるスタンス。だから、ワダケンとやりたいっていう。例えば、ワダケンがパートナーにふられたと。鬱になって、仕事できませんってなったら、多分一旦俺その事業をストップする。そういうことなんかなって思った。

弱さを認めないと自己否定に

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藤本:ダメなところを許容するとか、愛するみたいなことって、なんでするんですか?

首藤:ダメなところを許容しているわけでもないもんな。

岩本:多分W係長が言ったことが近い気がする。自分自身がダメってわかってるから。

首藤:そう。

岩本:それを否定しちゃうと、自分が否定されるから。

首藤:自分のためにやってるんや。 

全員:(笑)

藤本:組織や集団として、俺が弱いから弱さを認めないと自己否定になっちゃうっていうメッセージを会社が出すことってあんまりないと思うんですよ。だって会社は、基本的にはスキルとかできることで集まって、新しい価値を作り出しましょうよっていう集団じゃないですか。

そういう基本的な前提がある状況の中で、そうじゃないものを出すということが、すごく大事というか好きやなと思う。それに、それを中心人物のみんなが言ってるっていうのは、すごい良いことで、面白くて、大事なこと。


関わっている人が、どうなっていくか見たい

首藤:完璧な人が完璧なことをやって、完璧な事業を作ったとしても、あんまり心動かんもんな。日常の全てのことをエンタメやと思ってるのかも。だから、(関わる)人が子どもたちを感動させるストーリーってむちゃくちゃ良い。良いんか知らんけど。

全員:(笑)

首藤:いつも子どもの世話をしている優しいおばあちゃんが、何かしてあげるよりも、そうでない人が何かやったときに、こうなるんだって、すごい深いなって。そんなところを俺は見たいんだと思う。多分どこか潜在意識的に。

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七沖さんがはっぴーの映画を今撮ってくれてる。そこも同じで、映画を撮りたいっていうのは今までずっとあってんけど、流しててん。俺この人って思わへんと、絶対動かへんねん。

七沖さんとなんでやりたいかっていうと、七沖さん自身の話を聞いたから。はっぴーは色んな家族の在り方とか、家族の変化とかが見えますよねって話を七沖さんがしてくれて。それで七沖さんが息子さんの話もしてくれて。七沖さんと息子さんだけで暮らしていて、息子さんは学校に行ってなかった。今(息子さんが)映像を撮る仕事をしてて。二人で一緒に撮ってみようかなって思うんですよって。そのチャレンジ自体がめっちゃ面白いなって。一緒に伴走したいなと思って。

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だから映画自体には全く興味がないんすよ。でも映画を撮っている七沖さんと息子さんの後ろ姿を俺は見てたくて。それを見た上で、映画を見たい。結果はどっちでもいいんかな。

鈴木:泣きそうになる話やな。

全員:(笑)

首藤:でもそれ多分はっぴーのスタンスじゃない?

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藤本:結果どっちでもいいっていう。

首藤:結果どっちでもいい(笑)

全員:(笑)

藤本:結果どっちでもいいってサイトに書きたくない?むっちゃよくない?俺そんな企業と仕事したい。

その人と、一緒にいる

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首藤:そう思ったらなんでワダケンと教育事業やってるんやろう。

ワダケン:思いっきり失敗できるっていうのはめっちゃ良い。

首藤:失敗したら笑ってくれるもんな。

W係長:0点の答案の人を笑ってくれる。

ワダケン:ミスるんやったらどっちでも良いです。結果失敗するんやったら何しても一緒じゃないすか。だったら別に自分の好きなことやろう。

首藤:そんなワダケンと作っていくっていうことじゃないと意味がないって思った。瞬間瞬間めっちゃ速くて。その人のやりたいっていうことを一緒にやってみようかなってなっちゃうわけ。

最近やったら、はっぴーに入ってきて1年経つんかな。鍼灸師の女の子がいて。結構俺めっちゃ大好きやねん。本当に鉄砲玉みたいな子で。表も裏もなくて。突き進んじゃうねん。そのスタイル自体が危うさもあり、でもすごく素敵なわけ。それで、彼女がここにいるおじいちゃん、おばあちゃんとかに、鍼灸をやってあげたいって。お金がないからどうするっていう葛藤。彼女であれば他のところにいれば、もっと給料も稼げるし、色々あるねんけど、ここでやりたいって言ってくれてる。でも簡単に利益を出すのは大変やなと思いながら。でも一緒にうまくいくかわからんけどやってみたいなって思うわけ。まだ何やるかって決めてないねん。

やっぱり関わってくれてる人がなんかしたいなっていうところを、一緒に作っていくプロセスがここの良さで、やりながら決めていくというか。だからこれから新規の子が色んな難しさとか葛藤をこの中で抱えていくことすら、一緒に向き合いたい。

それがさっきの入居者さんもそうで。その人たちが何かを抱えながらも暮らしていくっていうことと、俺らがこの中でやりたいことをやっていくっていうプロセスが形は違えど多分一緒やねん。何か不都合があって、色んな難しさがあるけど、前を向いて生きていく大人に囲まれるっていうことしか、多分ここで伝える教育的な要素ってなくて。それが綺麗すぎるものだけは嘘になっちゃうわけ。

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藤本:俺「待つ」っていう言葉も良いんやけど、待つだけじゃないかんじがするよね。居てるんよね。一緒に居てるんやと思うねん。待ってるっていうのってちょっと対象を待ってるかんじがする。なんかちょっと違う。相手がちょっと違う。待つじゃなくて、居てるねん。わかる?居てるんやん、多分君たち。そんなかんじがしたよ、俺は。一緒に居てるんやと思う。良い距離感で、居てる。

岩本:確かにただ居てる。

首藤:だって俺よく考えたら何もしてない。

藤本:何もしてないってよく言うもんな。

首藤:ほんま何もしてなくて。俺最近思ってん。俺この会社でどんな仕事してるんかなって考えたときに、目に見えるものって牛乳用品買ってるだけ。

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藤本:(笑)「ここにあるですね」って言ってくれてる(チャット欄を見て)。(首藤さんと)俺が超シンパシー感じてて。喋っててもすごい俺が考えていることと近いなって。すごい近い感覚で仕事してるなって。

首藤:アワード(介護施設AWARD2020)を取ってるのに、みんな働いてる人、実は完璧じゃない。そこがここの面白さ。みんな弱さであったりとか、凄さを持っている人たちが多いって俺は思っていて。多分他の会社やったら、やりたいことにチャレンジしてもちょっと難しかったんやろうなとか。そんなみんなが集まってるってかんじ。

それで住んでいる人もそうやねん。多分他のところとかやったら、ちょっと順応しづらいなって人たちが集まってる。だから弱さというよりも広さ、深さっていうところがあるんかもしれん。深さを受容しようと思ったら、やっぱりもうルール化できない。

藤本:サイトに書くときも、ちょっと決め切りたくない感じで書きたいな。


決めないことを、決める

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首藤:ワダケンはどう思う?

ワダケン:難しいすよね。ワードを入れちゃうと、決まっちゃうかんじがするから、悶々としてる。何かを決めた瞬間に、その逆ができるじゃないですか。そこを受け入れられなくなるじゃないですか。

藤本:おもろいな。そうやな。

ワダケン:認知症の人を受け入れますって言っちゃった瞬間に、認知症じゃない人は入れなくなるじゃないですか。そんな現象を多分起こしたくないから。

藤本:決めないっていうことを決めている。それも大事なことやと思う。

首藤:決まったことは暫定でしかなくて。

藤本:だってはっぴーの家もさ、看板がないって言ったりして、何の場所かよくわからないっていう。来た人が決めるみたいな。あなたにとってはどうですかみたいな。委ねるとか、決めないっていうことをこっち側で決めてるっていうのって、すごい強みやなって思うけどな。

対話を続ける

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首藤:僕らがやってることってなんなんすかね。

藤本:(笑)暫定のものを書いとくしかない。それが大事やん。「これがはっぴーのスタンスなんです」じゃないねん。一緒に変えていきませんかってかんじやと思う。

首藤:ほんまそう。

彰:問い続ける姿勢。

藤本:せやね、せやね。

首藤:問い続ける姿勢。決めるということにあんまり価値がない。

W係長:会社もずっと問い続けてるんやね。だってはっぴーが何かもずっと問い続けているわけやん。

首藤:俺らずっとその話してるもんな。

藤本:概念について葛藤しているわけよね。サイトに掲載するとか外部に出すときに、どうある程度まとまったものにして出すのかっていうことと、一方でまとまらないものをずっと対話し続けるっていう、続けられるっていうことの大事さもあるじゃないですか。そこの両面をみんなで一緒に抱えながら、ちょっとずつその仲間が増えていくとか、関係者が増えていくっていうのがベターな姿なんかなって俺は思ってるけど。

首藤:(様々なコメントを読んで)俺らだけで頑張ろうとしていたこと自体が、大反省というか。一人でしないって自分たちで言っているのに、そうしてたっていうことに今日気付けてよかった。今日のプロセスでそれができてよかった。スタンスを一回募集してもいいんちゃうん?

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議事録担当の田中です。

毎日生きる中で、人との関わりの中で、自分の輪郭が、にじんだりぼやけたりしてしまうことがあります。私も目の前の人の、まだ会っていない誰かの、輪郭を薄めてしまっていることがあると思います。

「いるのに、いない」というのは、胸のあたりがざわざわします。

でも、はっぴーの家では、自分がちゃんとここにいる、ここにあるということを感じました。

「一緒にいる」中で、自分の輪郭が強くなった気がします。一言では言い表せない色んな気持ちが湧き上がってきました。胸の奥の方に、じんわりとしたあかりが灯った感覚がありました。これからも一緒に、考え続けていきたいです。(議事録がんばります!)

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ということで、2021.1.17日のホームページ公開を目指し開催された公開Mtg。対話に対話を重ねて現在も進行中・・・と言うことで現在も対話中のため未だ完成しておりません。

まぁ、そんなこともあるよね、、😅
どうなるのかお楽しみに。

では、ずっと後ろでこの回の様子を見ていた花子。
締めの言葉、よろしく。



ライター&議事録とか:田中美奈
編集&構成とか:前田彰



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