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そういう誤解を雪(すす)ぐのが現代の日本人の務めなのに。毎日新聞の岸井成格は生前、尤もらし気に「満洲国は麻薬が資金源だった」と嘘を吹きまくった。先日の朝日新聞も学者の小林元裕に… 

以下は、本日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
日本国民のみならず世界中の人が必読である。

売人はだれだ
「迷信を真実と教えてはいけない」と美貌の天文学者ヒュパティアがイエスの奇跡について語った。 
そしたら怒った信徒が彼女を襲って牡蠣の貝殻で肉を削いで殺した。 
狭量で残忍な宗教を日本は家光の時代までかかって追い出したが、欧州の白人どもは、その代わりに阿片を持ち出してきた。 
まずはオランダ人が台湾まで持ってきた。 
台湾の支那人はすぐその虜になり、それは海峡を渡って本土の支那人たちにも伝搬していった。 
そのころ支那人の新しい支配者として満洲人の清朝が建った。
彼らは阿片の煙をくゆらせる支那人を見て、もともと怠惰な民がもっと怠惰になると最初の阿片禁止令(雍正帝)を出した。 
しかし支那人がやめるわけもない。それを見て英国は直に支那へ阿片を持ち込んで大儲けをした。 
清朝は怒って1840年阿片戦争が始まった。 
戦いに勝った英国は香港を阿片ビジネスの拠点に、珠江デルタの支那人を使って支那本土は元より東南アジアや豪州、米国まで阿片の販売ネットを築いた。 
それぞれの地には多くの苦力が出ていた。 
20世紀に入ると青幇が芥子栽培からヘロイン精製まで仕切って支那の市場を独占した。 
それでも英国は東南アジア市場で圧倒的なシェアを誇って儲け続けた。 
ペナンで会った元駐日シンガポール大使リー・クンチョイは「作業を終えた苦力が夕日を背に、くゆらす阿片の煙と臭いを覚えている」と遠い目で子供時代の思い出を話してくれた。 
あの辺ではマラリアの瘧(おこり)に阿片が効くと言われて吸飲者は増え続けた。 
支那でもアジアでも阿片売買は笑いが止まらないほど儲かった。 
それをフランスが羨んだ。
清朝に戦争を吹っ掛けてベトナムを手に入れると、まず「阿片専売公社(レジ・オピオム)を建て、阿片を配給して中毒患者を増やして」 (アンドレ・ヴィオリス『インドシナSOS』)大儲けした。 
そういう時期、日本は日清戦争に勝って台湾を得た。 
そこは疫病と毒蛇と阿片吸飲患者が溢れる瘴癘の地だった。 
民政長官に就いた後藤新平は阿片患者に鑑札を出し、彼らだけに阿片を売った。
売り上げはすべて阿片治療に充てた。 
結果、16万人いた患者が20年後には6万、終戦時にはゼロにまでなった。 
リー・クンチョイの父ら支那人が阿片を売りまくった英領マレーでは、独立時には数十万の患者がいた。 
マハティールは阿片を持つ者はすべて死刑にして患者ゼロを目指しているが、道は遠い。 台湾より30年遅れで建国された満洲国もひどい療病地で、人々は梅毒と眼病と痔と阿片に侵されていた。 
政府は上下水道を整備し、入浴を勧め、阿片患者には台湾と同じに鑑札制を取った。 
同時に支那本土の阿片禍にも介入した。
そこでは青幇の杜月笙と蒋介石が手を組んで阿片の生産からヘロインの精製、販売を仕切って儲けていた。 
日本は蒋を追い、青幇を抑え、代わりに興亜院を置いて満洲に不法な阿片が流入しないよう図った。 
しかしこの麻薬撲滅方式を「米国と蒋介石は故意に曲解して日本は支那を阿片で汚染し、ぼろ儲けしていると宣伝した」(F・ウィリアムズ『中国の戦争宣伝の内幕』)。 
ウィリアムズは「日本人は宣伝下手で、逆襲する代わりに拗ねて黙りこくった」と続けている。 
そういう誤解を雪(すす)ぐのが現代の日本人の務めなのに。
毎日新聞の岸井成格は生前、尤もらし気に「満洲国は麻薬が資金源だった」と嘘を吹きまくった。 
先日の朝日新聞も学者の小林元裕に「関東軍はカネ欲しさに阿片を売った」「日本は英国に代わって支那の阿片商売を仕切った」とか。
米国の主張と同じに「すべて日本が悪かった」論を語らせていた。 
孫たちが祖父の善意を信じなくて誰が信じるか。

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