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何者にも成れなかった、モブのこれから。

幼いころ何かになりたかった。
まわりから称賛され、圧倒的凄さを身に着けた何かに。でも、その何かが一体何なのか、あまりにもフワッとしていて掴み所がなく、あちこち手を延ばしてみた。

いったい何者になりたいのか、それが全く掴めないままもがき続けて十数年。

結果、何にも成れなかった残念なおばちゃんの出来上がりである。

…が、しかし。
私ぐらいの年齢になると残念な人とそうじゃない人の違いが明確になってくる。

立ち居振る舞いや雰囲気にその人らしさが滲み出ているのだ。いわばこれまでの人生経験が深みや渋み、その人の味となるのである。

それが素敵になるのか、残念になるのかは自己肯定感次第なんじゃないかと、残念側の私は思う。

人生経験のひとつひとつを肯定してきたかどうか、小さな自信を積み重ねてきたかどうかはとても大切なのだ。


人が仮に80歳まで生きるとしたら、私の人生は後数十年ある。まだ大分先まで長い。

残念側を生きている私は、素敵にならなくてもいいから、死ぬまでに自分自身をまぁいっかと肯定するのが目標である。


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