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生まれた日

母親のおなかの中に戻ってみました。
 
 
おなかの中はとてもあたたかくて、気持ちがよくて、なんと中から外を見ることもできました。
 
 
早くお母さんに会いたいな
お母さんやお父さんに会える日が楽しみだな
って思ってました。
 
 
 
私は、お母さんやお父さんの意識と一体になることもできました。
 
 
お母さんはとても幸せそうで、私が生まれてくるのをとても楽しみにしていました。
お父さんも早く私と会いたいと思ってくれていました。抱っこしたり、遊んだりしたいと言っていました。
 
 
私が生まれたその日、外はとてもまぶしかった。
お母さんと離れてびっくりしたけど、抱っこされるとうれしくなりました。
「やっと会えた!」

お母さんは出産後にぐったりしながらも、
「かわいい・・・」
と涙ぐみながら喜んでいました。

お父さんに会えたのは次の日で
「かわいいな…。小さいな…。あったかいな…」
と言ってくれました。
お父さんにも抱っこしてもらえてうれしくなりました。

私はたくさんの涙を流しながら、
「うれしい」という言葉と大きな大きな感情を味わいました。
私は希望でいっぱいでした。
 
  
  
 
  
 

私は、私として生まれる前にも
何人もの「私」として生きていました。

 
 
 
コミュニケーションが苦手で一人でいるのが気楽な少年だったときは
太平洋に浮かぶ小さな島に住んでいました。

海で魚を捕ることが大好きで、いつも海にばかり行ってました。
大人になり、家族をもっても、いつも海に出ていました。
船が沈み、人生を終えたときに、家族がみんな泣いていました。
あんなに家にいなかったのに、家族が自分のことをこんなに大切に思っていてくれたなんて思いもしなかったから、ショックを受けました。

次に生まれるときは、一人で勝手に生きるのではなく、家族を大事にしようと思いました。
 
 
 
 
 
しっかり者の女の子に生まれたときは、スイスの山奥の村に住んでいました。

大好きなお母さんは体が弱く、小さいときに亡くなってしまい、自分がお母さんの代わりになると決めて家の仕事を必死にがんばっていました。
そんな私を家族は心配に思っていました。
そんなに一人でがんばらないで、ってみんなが思っていたのに私はそれを聞こうとしませんでした。

そんなある日、夢の中でお母さんに出会えたことがありました。 
お母さんは、「いつもありがとう。一人でがんばりすぎないでね。みんな、あなたを助けたいと思っているからね」
と言っていました。
お父さんも妹たちも「そんなにがんばらないで。みんなで助け合おう」と言っていました。
私は、そんな言葉を受け取るよりも「お母さん、なんで死んじゃったの?さびしいよ」と泣くことしかできませんでした。

その子の人生は最後まで見ることができなかったけど、次の人生では、一人だけでがんばらずに家族と支えあって生きていきたいという思いは感じることができました。
 
 
 
 
 
 
これらは、私がヒプノセラピストになりたいと思って、4月に養成講座に通ったとき、年齢退行療法の実習で見ることができたお話です。
セラピスト役の仲間が導いてくれて、私の潜在意識が見せてくれました。

事実だったのか、想像の世界なのかは誰もわかりません。 
でも私がそれらを見て、感じて、心が震えたことは事実。
 
 
 
今日、11月8日は、45年前に私が生まれた日。
昨夜布団に入って目を閉じたときに、4月の講座で見た世界がふと頭をチラついたので、せっかくだからしっかり思い出してみました。
 
そう。

私は生まれてくるのをこんなにも楽しみにしていた。
お母さんに会いたかった。

一人でがんばろうとせず、家族の愛を受け取りながら生きようと思ってきた。 
 
 
  
私からのメッセージをしっかり受け取って、
今日一日を過ごしてみようと思います。

特別な一日になるような気がしています。

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