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一樹の蔭〜放免の平安事件簿〜

第六章 大切なもの


「『殺す計画』って。『京に死罪があってはならず』だったんじゃないのかい?」
「建前上は確かにそうなっていますが。わざわざ死罪にせずとも、獄死などありふれているでしょう。尋問の際に誤って殴り殺してしまったことにするといったように、厄介者を処分する方法などいくらでもあります」
「むごい……」
 雅近は誠に何と声を掛けたらいいのかわからなかった。
何かに苦しんでいるなら救ってあげたいと思っていたはずなのに。露わになった傷があまりにも深くて、怖気づいてしまっていた。

 誠はさらに、血を吐くように語る。
「かつて親しかった人々からは、残らず縁を切られてしまいました。仕方のないことです。私は、主人と同僚を殺して重要なものを盗もうとした、裏切り者。そう思われているのですから」
 おぞましい過去の映像がいくつも浮かんでは消え。
「私は、恨まれている。特に恨みが激しかったのが、此度の女君。あの方は、篤良様の御母上です。事件の後、一度会いに来てくださったのですが。目の前で大泣きされ、激しく罵られましたよ。息子の仇だと思われているのですから当然ですけどね」
 口調は淡々としたものを貫くが、体中、がくがくと震えが止まらない。
「世の人が生涯の伴侶と出会う時期を、全て獄中で過ごした。家族というものをつくる機会を逃してしまいました。私は、孤独の身です。放免になってしまってからは、近づいて来るのはたちの悪い輩ばかり。善良な民は皆、この装束を見るだけで恐れ、蔑み、避けていきます。もう、普通の幸せは望めない。主人や友や、妻や子。大切な人々と穏やかに過ごす日々は、もう二度と手に入らない」
 呼吸がどんどん浅く、速くなっていく。
「しかし、それでいいのです。私は、誰の従者にも誰の父親にもならない。大切な人も、自分を大切にしてくれる人も、決してつくらない。そうでないと、二人に顔向けできません。二人は死んだのに、私は生きている。これでもう不公平なのに、私が何かを望むことなど、あってはならないのですよ」
 最後の方は完全に、自分に言い聞かせるための言葉だった。
そうだ。そうだった。誠は、目が覚めた心地になる。
何を寂しがっているんだ。何に絶望しているんだ。
信頼し、信頼される。そんな交わりを持つ資格など、私ごときにはなかったはずだ。
束の間、夢を見られただけでも、本来なら許されない贅沢じゃないか。
「私は再び、ただの放免としての日々に戻ります。人々に侮蔑され、同僚に絡まれて、汚れを一身に背負い、ぼんやりと他人の意のままに操られる、人形の日々に。機敏に動きながらも心はまどろんだまま、過去を思い出して独り苦しむ日々に。あなた様との日々は、本当に楽しかった。素敵な夢を見させていただきました。しかし…………」
 儚い夢の終わりが来たようです。
視界がぼやけてゆく。怪我の回復に思ったよりも消耗しているらしい。
「さようなら」
 そう告げると、雅近様はくっと目を見開いた気がする。よく見えないが。誠は微苦笑した。
心が張り裂けんばかりに痛い。
我慢しなくては。これも罰なんだ。自分が未熟だったせいで篤良様や頼安をむざむざと殺させた、弱く愚かな私への。誠は自身にそう言い聞かせる。
しかし、今回の痛みは何故か、どんな責め苦より、どんな罵声よりも苦しく、こらえ難かった。

 ぎゅっと目を瞑ると、押し付けられたのは、上質な絹の感触。
「こ〜んなに泣きながら言われてもねえ」
 雅近は装束の袖を誠の目頭に当てていた。
わ、たしは、泣いている? なら、視界がぼやけているのは、そのせいなのか? 誠は動揺して身を引き、涙でめちゃくちゃになっているかもしれない顔を俯ける。
それも手遅れで、雅近は誠の表情をしっかりと確認していた。
「そんな表情の君を言われた通りに見捨てたら、自殺とかしかねない」
「あなた様には関係のないことです」
「その言い方、冷たいなあ。前に言ったでしょ。僕は、せめて自分の手の届く範囲の人だけでも救いたいんだ」
 雅近の姿勢は、誠には眩しすぎて、妬ましくすらあった。
「私はっ、私は、それどころか、一番大切なものすら守れなかったのですよ」
「過ちは、やり直せない。でも、同じことをしないように前を向いて頑張ることはできるじゃないか」
「罪は、消えません。私は、一生償い続けなくてはならないのです。それに、前を向くことは、二人を犠牲にしてしまった過去から目を背けることではありませんか」
「それは違う」
「どこがです? あなた様に私の気持ちはわからない」
「ああ、わからないよ」
 その返答に、誠はいささか拍子抜けした。
「で、では」
「でも、これだけはわかる。君の忠義は尊いものだけど、行動の方向性がちょっとずれているっていうことはね!」
「な…………!」
 誠は暫くあっけにとられ、我に返ると次は怒りが湧き上がってきた。
「どういうことですか!」
 食って掛かる。同じくらいの勢いで、雅近も怒鳴り返した。
「君は自分を貶めると同時に、大切な人やものまで侮辱したり傷つけたりしている! それを自覚すべきだ!」
 息を整えた後、一転して諭すような落ち着いた口調で続ける。
「犠牲になった二人は、優しい人だったんだろう? 君を大切に思ってくれていたんだろう? なら、一人生き残った君が幸せになることをむしろ喜んでくれるはずだよ。それを信じてあげないことこそ、二人に顔向けできない行為じゃないかな」
「そ、そんなことはわかっています。ただ……」
 誠はひどくうろたえた。慌てて言い返そうとするが、自分でも自分の心がわからない。何か口に出しかけて、言葉を濁す。なんだろう。私が人を拒もうとする本当の理由は。誠は自身に何度も問いかけた。
『理由が必要だって言うなら、いくらでも考えられるけど。どれも真実でありながら気持ちの核心ではない気がするというか。』この発言が、腑に落ちた気がする。
「そっか。どっちかというと、自分で自分を赦せない感じか」
 雅近の言葉に、誠は頭を殴られたような衝撃を受けた。しかしすぐ、
「難儀だなあ。そんなに硬い感じだったら生きるのも大変でしょ」
 けらけらと緊張感のない笑い声を出す雅近に、困惑が上回る。
「……似たことを、頼安にも言われました」
「そっか」
 辛いことを一度吐き出してみると、過去の幸せな場面を思い出すのが苦痛ではなくなった。
頼安に言われた時は、苛立ってさらに面白がられたな。
雅近の視線は弟分を見守るような、温かいものだ。それが篤良や頼安のものとどことなく似通っているように感じて、誠はくすぐったい気持ちになる。
「一応言っておこう。僕が君を従者にしたいっていうのは、本気だよ」
「ですから、私は」
 もう断ったではありませんか。と誠が言おうとするのを雅近は制する。
「罪悪感はどうしようもない。もしかして、篤良っていう人と約束したのかな? 『一生、私の主はあなた様だけです』とか」
 何故、そこまで見透かすことができるのか。誠は動揺する。ただ、雅近に呆れた様子はなかった。
「安心して良いよ。別に、僕を主人と仰がなくたって一向に構わないとも。僕は、味方が少なくてね。屋敷に使用人は置いているけど、僕に敵意を持つ誰かの息がかかっている可能性が高い。そういう意味で、権力闘争とは無縁な、信用できる人が一人でも側にいてくれると心強いんだ」
 雅近はいつも、わりと深刻なことを笑顔であっけらかんと明かす。
それを見ているとなんだか、いつか唐突にいなくなってしまう気がして。前触れなど全く感じさせず、それこそ篤良や頼安のように。
少し前まで一緒に笑っていたのに、いつも通りの別れが、今生の別れになってしまいそう。
そんな気がして、誠は放っておけなくなる。
「別に、私でなくとも良いでしょう」
 本音に反して口はまだつれないことを言う。
「そんなことはない。僕は意外と疑り深いんだ。君は信用できる。僕にこんな確信を持たせられるのは今のところ誠、君だけだよ」
「私は放免ですよ」
「その上で誘っている」
「私は、大事なものを守れなかった。心強いとおっしゃいますが、あなた様を守るのも、失敗するかもしれません」
「有能な護衛なら、探せば掃いて捨てる程いる。僕はこれから、身の安全を君に委ねるような、重荷にしかならない形の信頼は寄せない。自分の身はできる限り自分で守る。死んだり大怪我を負ったりして君を悲しませることがないように努力する。そう、約束するよ」
「しかし……」
 退路を完全に断たれた。誠は口籠り、甘美な苦境にしばし身を任せる。
「何を迷う必要があるのかな? 君の気持ちは、もう決まっていそうだけど。心に正直になって」
 雅近は、傍からは根拠のなしの自信を持っているとしか思えない台詞を口にする。
ただ、それは誠の心をばっちり言い当てていた。
「わ、わかりました」
 言ってみると、雅近が心底嬉しそうな笑顔になる。今まで見た中で一番明るい、底抜けの笑み。
誠は不思議なくらい清々しい気分になった。
「主人と仰がないなんて、とんでもない。精一杯仕えさせていただきます、我が君」


「さてと。君はまだ狙われているだろうね。僕の屋敷に引っ越して来たら良い。そうすれば、手出しはできまい」
「ありがとうございます」
 誠は素直に頷いた。
それが良かろう。これまでの恩返しをする意味でも、住み込みで働けるのは好都合だ。
対して雅近は、我が意を得たりと笑う。
「そっか。あそこに住むんだ。じゃあ、向き合わなきゃいけないね、真白に」
「あっ」
 忘れていた。誠は目を泳がせる。
「前は急に怒ってごめんね」
「い、いえ。私こそ、かなり失礼なことを」 
 唐突に謝られて、あわあわと謝り返す誠。
真白の件で二人が気まずくなった時に、誠がとった態度。相手が雅近でなかったら。罪に問われるか、その場で殺されるかしていてもおかしくない。
「お互い、水に流そうか。でも、主人になった記念にお願いを叶えてよ。真白の、父親になってあげてくれないかな」
 雅近は、精一杯軽い感じを装う。
それでも自身の『お願い』には自然と強制力が付随してしまう。そのことが不快だったらしい。窮屈そうに眉をひそめる。
「あ〜、ごめん。僕は、母を幼い頃に亡くしていてね。腹違いの兄がたくさんいるから跡継ぎ問題とかには無縁で、父にはまともに会ったことすらほとんどないんだ。親に愛情を注がれない境遇の空虚さをよく知っている。ましてや、親に冷たくされるのはどのくらい辛いだろうって想像すると、やるせなくなるんだよね」
「雅近様……」
 張り付いた作り笑顔が、痛々しくて。雅近を見ている誠の方がやるせなくなる。
誠はここ数年こそどん底だが、それまでの暮らしは穏やかで、ある程度恵まれていた。
家族とは、篤良の一族へ奉公に出てからは連絡が途絶えている。とはいえ、幼い頃は愛されて育った。別れるその瞬間まで良い関係を保てていたというのが、誠の実感だ。
血の繋がった者達に疎まれる。自分を守ってくれるべき親や年上のきょうだい達を警戒しなくてはならないという状況。誠には想像も及ばない。
「そういえば、あの子の母親はどうしたんだい?」
「あっ……牢に、繋いでしまいました」
「だと思った」
 雅近は、やれやれと嘆息した。
真白の母親は、上流貴族である雅近を襲撃したのだ。未遂に終わったとはいえ、重い刑を科される可能性は大いにある。
「今の真白は、母親と会えず、父親と思っている人からも拒絶されて、かなり不安定だ。母親は近いうちに釈放されるよう、僕が裏から手回ししておくよ。晴れて出られたら、彼女は屋敷に引き取ろうと思う」
「何から何まで、ありがとうございます。あの者は虚弱そうでしたので、あまり手荒に扱われないように、私も気をつけておきます」
「ふふっ、君の口からそんな言葉を聞けるとはね」
 雅近は本気で楽しそうだ。誠は照れくさくなり、頬を掻いた。
「親子は、主従とは別物でしょう。血縁によるものですから、契約でどうこうするのは不可能かと」
 照れ隠しから、強引に本題へ戻る。
誠の意図は見え透いていたが、雅近は知らぬ振りをして流れに乗った。
「今さら、そういった定義の話をするのも不毛だと思うよ。じゃあ、『真白の父親みたいな存在になってほしい』って言ったら頷いてくれるのかな?」
「『父親みたいな存在』と言われましても。『父親』とは、具体的に何をすれば良いのでしょうか」
「僕は詳しくわからないな」
「雅近様っ!」
 無責任な物言いを咎めるような目を向けた誠は
「そういうのはむしろ、君の方が詳しいはずだよ」
 思いの外真剣に返され、ぐっと言葉に詰まる。
「し、しかし。真白は、私を怖がっているのでは?」
「全然。君の帰りを待っているから、大丈夫」
「何故、そうなるのです」
「さて。何故だろう。とにかく、会ってみればわかるよ」