ここが世界の全てじゃない

忘れられない女性の一人に、大野 一枝先生がいる。

私の中学一年生の時の国語教諭だった。

そして、今はもういない。

大野先生は私より10歳年上。新卒の国語教師として私の中学校に配属された。

当時、私のクラスは学級崩壊状態。

小学校から一緒だった子たちが、ある日
いきなり化粧をし出して、きれいなお姉さんに豹変したり
頭には剃り込み、学ランを短くして歩き方まで変わったり。

授業中も歩き回ってはしゃいでいる子ばかりで、先生の声なんか聞こえやしない。

大野先生の国語の時間も同様。

そんなカオス状態のなかで、大野先生はご自身の書かれたツーリングレポートを私たちに配ってくれた。

『光と影の南アフリカ』
バイクを愛する大学生だった大野先生が
南アフリカを走り抜き喜望峰へ向かう、
というストーリーだ。

『月刊オートバイ』誌に(おそらく)1987年4月号から4回にわたり連載になった。

月刊オートバイの連載記事
懐かしいわら半紙(笑)

南アフリカ、当時はまだ
アパルトヘイト(人種隔離政策)の時代。

女子大生が一人で走破することが
どんなに破天荒で困難なことか。

大野先生は南アフリカを走るために、
京都まで往復1000㎞の自転車旅に出たり、
青森県大間崎までノンストップ走行の野宿旅をしたり
国内でできる限りの体力・精神力を付ける
努力を重ねた。

南アフリカツーリングを応援してくれる
スポンサーも自力で探した。

アパルトヘイトで国際的な非難を浴びていた南アフリカにとって日本は重要な貿易国で
あったため、

日本人は有色人種であるにもかかわらず
『名誉白人』という扱いをされたこと。

一方で混血児が増えると白人の優位性を
脅かす恐れがあるので、
白人との性交渉は犯罪になること。

多くの黒人は不毛の地に押し込められ、
共存している都市でも駅そのものが白人用、黒人用に分かれている現実。

町に着いたらまずは一人歩きしている
白人女性を探す、
それが安全度を測るバロメーター。

物乞いをしてくる黒人。
物をあげるのは簡単だけど、
それって本当に彼らのためになっている?

肌の色に敏感になっていく自分が嫌になる。白人も黒人もいい人も居れば悪い人もいる。なのになんで肌の色だけで判断される?

大野先生が現地に行ったからこそ感じた
ヒリヒリ感が伝わってきた。


中一の私は、楽しかった小学校から激変した環境にうんざりしたり、
投げやりになっていたけれど
目の前にいる先生がそんな世界を
走り抜いてきたなんて!

いま、私がいる環境が全てではないんだ、
世界には私の知らないことが沢山あるんだ、現状を憂いている場合じゃないんだ、

と幼かった私の頭に稲妻が走った。

そして数年後、大学生になった私も
アフリカの地を踏んだ。
大野先生が導いてくれたんだ。

あの当時、多くの先生は我がクラスの崩壊ぶりに手を焼いて

ある先生は「なめんな!」と怒鳴ったり、
ある先生は鬱で長期のお休みに入ったり、
ある先生は見て見ぬふりをしていたけれど

私はどの先生の言うことよりも大野先生の
手記が心に響いた。
だから今も記事のコピーを大事にしている。

先生が本当にやるべきことって、
今がどんなにクソみたいな状況でも、
未来は自分次第で変えられるっていう
可能性を見せることだよね。

でもそれは教師の専売特許ではなく、
いまの私でも、周りに居る人にプラスの
メッセージを送ることはできるのだと思う。

後悔は、私が先生から受けた影響の大きさを直接伝える前に、先生が亡くなったことだ。

私もあなたも、いつ死ぬかかわからない。

だから生きているうちに
「ありがとう」「すきだよ」や
「私はこう思うよ」を
周りの皆さんに伝えておこうと思う。

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