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書き始めてみたけど、情けないほど書けなかった!

noteを書こうとするときに、執筆を担当した記事のことを思いだす。


この対談で、「自分の世界を豊かにするためには、自分の以外のことについて書くことが重要」と、話している。
YouTubeの対談を観て、記事を書きながら、わたしは自分のことについてばかり書いていたなぁと振り返っていた。

そして、今もなお、自分のことばかり書いている。
心が動いた作品や好きなものについて書こうとする手は進まず、どうしようかと頭の中をまわっていることをつらつらと書きだしてしまう。

考えたいことの軸が見つからなくて、気持ち悪くて、どうにかしたく私はひとりnoteにむかう。

むかいながら、いま自分に必要な問いはなんだろうか、と考える。
考えて書いているのだからいいだろうと、思っていたりする。


ある記事に出会ったときに、その賛否どちらに、どれくらいの距離で加担するかを判断するのではなく、その記事から着想して自分の手であたらしく問いを設定し、世界に存在する視点を増やすこと。それこそが、自分の内面世界をも豊かにする発信だよね。
小説や映画についてでも構わないし、料理や家具についてでも構わない。自分の外にある対象について書くことで、自分と対象との関係性を記述する行為であり、そこから生まれた思考で、世界の見え方を変える行為なんだよね。それを繰り返すことで、自分の世界が広がっていくんだよ。

逆に、自分についてばかり書いていると、コミュニケーションが貧しくなって、いつまで経っても世界は広がらない。

だから、好きなものでも、嫌いなものでもいいから、自分の心を動かされた対象について書いてみる。このとき、「ヒト」について書くのをやめるのがコツだと思う。
日常である「自分の物語」をよく生きるために、非日常の「他人の物語」をどう使うかについて考えているんだ。

今の「自分の物語」しか見えなくなってくると、ネット上で他人にマウントを取ったり、自分の生活を盛って書くことしかできなくなって、タイムラインに流されるだけのつまらない奴になっていくと思うんだよね。自分で考える力を失い、自立することができなくなってしまう。
(中略)
重要なのは、与えられた「他人の物語」を、「自分の物語」に編み直すこと。つまり、批評が大事なんだよね。


自分の生活のあれこれを書いているつもりはないけれど、自分の物語しか見えなくなってしまいがちではある。

最近、どうして派遣で働いてきたのかって改めて考えても、私には手っ取り早く興味があるところで働いてみる方法だったから。学歴と実績はなくて、職歴だけ増えている自分の経歴に自信がなくて。
できることのハードルをずっと下げつつげてしまった。
(敢えていうことでもないけれど、派遣という働き方を選ぶ理由も千差万別だ。それが最適である人も、今だけの割り切りの人も知っている。わたしは、わたしのことだけを見て表現している)

そういう働き方のことを考えたくて、この記事のことも出しながらもっと具体的に述べようと思って今日の題材にしたのに、情けないほど言葉がでてこない……。

書けるまで粘れよ! と言いたいが、いったん出す。
この記事も、ちゃんとアップデートして書ける日を目指したい……。

毎日、自分の頭の中に浮かぶことを書いていてよかったのは、本当に少しずつだけど読んだこと聞いたこと、体験したことがつながってくることだと思う。


(あと118日)

ありがとうございます。ロックンロールと生クリームとマンガと物語に使いながら、自分の中のことばを探っていきまます。