オンラインも経験と場数

オンラインでのコミュニケーションが苦手だといいつつ、
オンラインでのイベントに、ROM専(聞いているだけ)で参加することは、よくある。

自分はいるけどいない状態で会話が進んでいるのを、ただ聞いている。

オンラインだと、自分が混ざらない会話を、その場で穏やかに聞いていられる。オフラインの時は、自分がいるのにいないように会話が進められるとがっかりしている。混ざりたい混ざれない葛藤に心をよく痛めている。

オンラインで参加するときには、「自分がそういう時間だと決めて参加している」からなのだろうと思った。
参加するためのURLを開く時はドキドキするけれど、(オフラインでも集合時間は一番ドキドキする)開いた後は聞いているだけど、話し手のことを少しずつ知れるのはいいなと思う。

会話をする方がお互いの理解を深められるんだけど、先に他者を知ることが自分の心理的安全性につながるのであれば、オンラインの利点を活用すればいいのだ。

一方で、ただただオンライン上の会話を聞いていると、盗み聞きしている気分にも少しなってしまう。
公にされていて参加を許可されている場所だけど、忍び込んでしまった気分になってしまうのだ。

なんとなく、オンラインでのコミュニケーションが主流になり始めたころは、「なにが」というわけではないものの「all or nothing」を求めていたように思う。

全部はないけど、何もないわけじゃないと、数か月を経て気づく。
なじみ方は多様だった。


私は常に雑談が苦手って言い続けているが、会話に加わる機会を自ら受け身になっているのだから、苦手は苦手であるしかない。
聞いているという、楽な方をつい選んでしまうから。

それでもいいのだけれど、苦手だ~苦手だ~とチラつかせておくのも落ち着かない。何事も、経験と場数で、本当に苦手なのか、ただの言い訳かがある程度整理できるはず。

来年は、オンラインでのコミュニケーションは、ROM専を減らして、双方向の会話を増やしていきたいと思った。


「オンラインだから」「オフラインだから」を区別して設計することが必要なところと、区別する必要がないところを混同しているようにも思う。そういうのも、整理してみることも大事だよねってことは思っているってことを、ここに記録しておこう。


ありがとうございます。ロックンロールと生クリームとマンガと物語に使いながら、自分の中のことばを探っていきまます。