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無言がこわい

さて、無言の時間というもののやり過ごし方をついぞ身につけずに大人になってしまったあたし。

無言という不穏な状況でも自分というものを貫き通すことができず、その場を何とか穏便にやり抜けることが社会で身につけた技なのだとしたら、あたしはとっくに社会不適合者なのかもしれない。

7年も働いた職場でさえも無言の時間を避けてしまう、今日このごろ。
ほぼ一人作業で稼働する職場なので、それだけの歳月を勤労できたのだろうが、それでも、少しの間、暇な時間とか休憩の時間とかに同僚と話すとなると、突然多弁になり、あたしってこんなにどうしようもないんですよ的な雰囲気をおっ広げて、くだらない話でどうにかその場をやり過ごそうとする。元々口下手で話す速度ものんびりだし、えーと、あのーを常用してしまうため、話のテンポが悪く、面白くもない。

昔から、そう、小学校高学年くらいから道徳や委員会の時間で、あまり答えの出そうにない質問に「意見のある人!!」と威勢よく先生が問いかける場面。いっこうに手が挙がらなかったりすると、そこに居合わせた一同が汲々とした空気を目や鼻や脳天から醸し出しているのに耐えられず、あたしとてろくな意見など思いついていないのに、小さく手を挙げては、当たり障りのないことを発言したりしていたものだ。

あたしはかんたんに、無言で傷つく。

上司や先輩との二人きりの時間は、断罪の時間だと感じてしまう。
同行した先輩は、気分屋で、最初こそ楽しく仕事の話や昨日食べたご飯の話で車の中は明るかったのに、花粉で調子が悪かったのだろう(あたしはそうやって無言に対しての苦し紛れの安心材料を探し当ててみている)、先輩はそのうち「へえ」やら「そうですね」などのあからさまな相槌しかしなくなり、あたしの搾り出した仕事の質問や終いには自分自身を卑下したおかしくもない話までもが、先輩の吸うたばこの煙のように少し開いた窓から霞み消えていった。

家に帰って、
心がずんっっっと地にへばりついてしまっているのを、スマホから流れてくるどこの国の人かわからないような動画を下から上にスワイプしながら、鈍く確かに感じ入る。「今日は疲れたし、な」とお菓子を口にしても、手元の短い動画の合間にあの時間のあの場面が目の裏から流れてくる。

なんか悪いことしたのかな、あの時あたしが信号が青になっても車を発進させるのが遅かったからかな、報告する時にメモを出して内容を確認するのが鈍臭かったからかな、あたしがあんなにいっぱい喋ったりするからかな、あたしが昨日は休みだったからかな、

花粉のせいだよな、

昔からそうだったから、いまさら、人の機嫌や顔色を見計らって、思ってもないようなことを言ったりするのをやめたりするなんてできるわけないとは、諦めている。

人との距離がうまく保てないから、プライベートでも極親しい友達にしか会いたくないし、それでも数時間相手の顔を前にすると疲れる日だってある。今のパートナーはあたしのそんな部分を見てもなお、一緒にいることを拒まないのだから、ありがたいとも感じている。

だけど、心が傷つく瞬間はいつもひとりで
きっとあの先輩には
このあたしの秘密の瞬間があることなんて
思ってもないんやろな
って思って、
他の人が、少なくとも先輩が気付けないことに気付いて
他の人よりも心を動かしているのだから

やった!

って思うようにしてる。
だって、あたしの心の顔色だって、うかがっておきたいもんな。

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