伊上きりん

ものを書く人。 ペンネームは偶蹄類に由来する。 筋ジストロフィー症、車いすユーザー。

伊上きりん

ものを書く人。 ペンネームは偶蹄類に由来する。 筋ジストロフィー症、車いすユーザー。

最近の記事

三つ葉のクローバー#11

僕は再び、いろめき立つキャンパス内をうろつく事になった。しかし、勧誘の期間もすでに半分は過ぎている。客引きのような上回生も、断られた人間に何度も声をかけることはしなくなっていた。 少し安心した僕は、同じ専攻の関本くんと学内を散策していた。すると急に、上回生の女性に「ちょっといいですか」と声をかけられた。普通の勧誘とは違い、僕のことを知っている風である。訝っていると、関本くんが何か勘違いして「用事を思い出した」と言ってそそくさと去っていった。 セミロングの黒髪の、芯の強そう

    • 三つ葉のクローバー#10

      混声合唱団の部室はサークル会館の4階にある。尻込みしながら約束の時間に足を踏み入れると、すでに十数人のサークル員が集まっており、僕のほかにも新入生が2人待っていた。 まだ参加者が揃っていないらしく、説明会はすぐには始まらなかった。しばらく待っていると、予定された時間から5分ほど遅れて、同回生の女の子が入ってきた。これで僕らは男女二人ずつになった。 団長のややスベり気味なあいさつがあったのち、それぞれのパートのリーダーから合唱団の説明がなされた。団員は、ソプラノ、アルト、テ

      • 三つ葉のクローバー#9

        父が荷物を運んできてくれたおかげで、ここでの生活に必要なものがひととおり揃った。その様子をみて母はひと安心したらしい。京都みやげを買い込むと、父の運転するワゴン車で田舎へと帰っていった。 入学式が終わると、講義が始まるまで少し間がある。そのあいだは学内のサークルが公式に新入生を勧誘することが許されている。キャンパスの中央あたりにはにぎやかにブースが並び、まるで客引きのように上回生が待ち構えていた。 僕は最初から文化系のサークルに入ろうと決めていた。地元の友人から、大学の体

        • 三つ葉のクローバー#8

          入学式を終えたあと、僕を含めた哲学専攻の新入生が教室に集められた。60人余りいる新入生を便宜上、30人ずつ二つのクラスに分け、オリエンテーションを行うのだ。 最初に、基礎演習を担当する山本教授から挨拶がある。山本先生は茶色のジャケットにノーネクタイ姿で、いかにも人の良さそうな笑顔を浮かべていた。しかし、ときおり見せる眼差しには哲学者らしい鋭さがあった。 「大学生というのはもう子供ではない。そうである以上、私は君たちを大人として扱う。大人であるからには相応の行動をとりなさい

        三つ葉のクローバー#11

          三つ葉のクローバー#7

          神山大学の入学式は、体育館に入れる人数の都合で、午前と午後の二部に分けて開催される。文学部に所属する僕は、午前の部に割り振られていた。 ライトグレーのスーツに、薄桃色のネクタイを締めてキャンパスへ向かうと、同じような格好をした新入生たちが体育館の前に集まっていた。母はすでに保護者の席に行っていた。 式には専攻ごとに分かれて並ぶことになっている。大学の職員の指示で僕らは入り口の前に集められた。そのうち、タイミングを見て順番に中に入っていく。 哲学科という紙を貼ったプラカー

          三つ葉のクローバー#7

          三つ葉のクローバー#6

          入学式の前日になってようやく、業者の立ち合いのもとでガスの開栓が行われた。 「これで煮炊きができる」 母はそう言って僕よりも喜んでいた。よほどコンビニのご飯が気に食わなかったらしい。さっそく、左の五徳で味噌汁を作りながら、右の五徳でお湯を沸かしてお茶を飲んでいた。 これは、ドレッドヘアの職員の「二口コンロを置ける部屋は限られている」という的確な助言をうけて新居が決まってから購入したものだ。 冷蔵庫などはまだ届いていないが、部屋の片付けもおおかた落ち着いてきた。そこで僕

          三つ葉のクローバー#6

          三つ葉のクローバー#5

          鍵を受け取った翌日には、電気とガスと水道を開通する手続きを行った。 電気はすぐ使えるようになったが、水道に関しては京都駅にほど近い水道局まで行って手続きをしなければならなかった。 僕が新居で掃除をしている間に、母が水道局まで行ってくれた。ただ、土地勘がない母には大変な道のりに感じられたらしく、しきりに遠かったとぼやいていた。 注文した家具類はまだ届いていない。その日、僕はほとんど何もない部屋で一晩を過ごした。母が疲れたと言ってホテルに戻った後、がらんとした部屋に一人でい

          三つ葉のクローバー#5

          三つ葉のクローバー#4

          コーポクローバーの契約手続きはすぐに始まった。 占い師のおばちゃんが大家さんと電話でやりとりをして、ほどなく話はまとまった。 契約の段になると、宅建の資格をもつ生協の職員が奥のカウンターから出張ってきた。黒縁メガネをかけ、髪の分け目がきっちりとしている、いかにも真面目そうな男性である。 おばちゃんから、家賃や敷金、更新料といった契約内容と、ゴミの出し方などの細々とした決まり事の説明を受けた。そのあと、黒縁メガネの職員から契約に間違いがないか最後の確認を受けて、契約書に判

          三つ葉のクローバー#4

          三つ葉のクローバー#3

          大家さんに電話をして鍵を借りたあと、僕らは部屋の中に入った。 部屋は十畳ほどの広さで、玄関の真横にトイレがあり、その奥に台所、風呂という並びになっている。このタイプの部屋には珍しく、風呂とトイレがセパレートになっていた。部屋の奥には大きなクローゼットが二つあり、かなり多くの物を収容できそうだった。これはおばちゃんのおすすめポイントの一つでもある。 道路に面した西側に小さな窓がついていて、駐車場の高いブロック塀が見える。南側のサッシ戸を開けると、狭いベランダの真向かいに隣家

          三つ葉のクローバー#3

          三つ葉のクローバー#2

          僕らは占い師のおばちゃんの、 「お昼までに内見を済ませて戻ってきてくれたら、すぐに手配できる」 という言葉を受けていったん大学から出た。 三月の京都は思ったよりもかなり寒かった。入学式のために買ったスーツの上から、萌黄色の春物コートを着たのではとてもまに合わない。ただ、肌寒さを全身で感じつつも、これからの新生活への高揚で足取りは軽かった。 ひとつめの物件は、琵琶湖疏水に沿って建つこぢんまりとしたアパートである。アパートといっても、2階建ての小さな家をふたつくっつけたよう

          三つ葉のクローバー#2

          三つ葉のクローバー

          私はこれまでの人生で二度、絶望したことがある。一度めはまだ学生だった20代前半のころで、二度めは三か月ほど前である。 あまりおおっぴらに語るようなことでもないが、大切な人のために、私の人生の一部を話してみようと思う。今回は学生だったころの出来事を、小説という形で語ってみることにする。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー まだ肌寒い3月の終わりに、僕は京都にやってきた。新しく大学生としての生活を送るためだ。京都には中学の修学旅行と卒業旅行で

          三つ葉のクローバー