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弥太郎、冷静になる

一月二十七日~三十日 二十六日の暴走を反省し、落ち着いたのか気落ちしたのか、日記が短くなります。が、「問題児」今井純正が絡むと調子が変わります。

二十七日 風邪気味で「終日不出戸」。「聊斎志異りょうさいしい」を読み(弥太郎が物語の類を読むのは珍しい)、旧作(漢詩)を推敲しました。晩には「隅田(敬治)に頼んで、二宮(如山)から薬二服を取り寄せて飲む

二十八日 午前中はいつものように読書、勉強。竹内静渓が来て、明後日阿園家に行く約束ありとのこと。その後「街市徘徊」。中沢寅太郎を訪ねると、風邪なのか伏せっていました。

二十九日 朝飯後、砲術家中島名左衛門を訪ねて談話。久松寛三郎が来て「今日は砲術の打ち初めを行う。見物してもらって結構(随分苦しからず)」とのこと。昼食後、下許と中島を再訪しました。「打ち手が小銃を持ってたくさん集まり、金銀の的を狙い打ち(注射)していた

三十日 この日は候体の長文。まず昨夕の話。今井が来て、町年寄の久松善兵衛に遠ざけられていることについて、下許武兵衛から事情を聞こうとしました。その際、「余はそばで明かりを灯して読書しつつ、応答を聞いていた」下許は不快の様子。

 この件は、翌日久松氏に尋ねることになり、今井は去ります。当日朝、下許が久松家に行き、そこに中沢も来合わせたので、今井も呼んだ上で久松氏から話を聞きました。これで一件落着かと思われたのですが……。

 午後、下許、静渓、楊秋平ら清人二人と阿園家から小さな茶屋へ。「筆語(筆談)往復」。学校制度について尋ねると、帰館後に書面にして返答とのこと。飲めや歌え。箸拳を行って痛飲。阿園が辞去した後に下許と静渓がなぜか怒りだし、「樓屋は殆ど震え出し、樓主は大恐怖して取りなそうとしたところ、下許は怒って盃を壁に投げて粉砕した」困った連中です。

 その後、「平和に復す」。途中、下許は知り合いに誘われて有名な遊女屋花楼樓へ。この後、「今井が刀を帯び、余らの跡をつけるような様が見えた」と物騒な文言があり、弥太郎は不安を覚えたようで、「精神を取り直して枕に就く」。結局落ち着かず「夜更けに目覚め、明かりを灯して五更(午前4時、5時頃)まで「中外新報」(清の新聞)を読む

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