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岩崎弥太郎、もう一つの日記(告知あり)

 このnoteアカウントでは、刊本『岩崎彌太郎日記』冒頭の安政七年(1860年)元旦から紹介を始めました。弥太郎の日記は、かつてこの刊本が元とした原本以外には知られていなかったのですが、実は別に「征西雑録」という日記が存在していました。弥太郎が土佐から長崎に向けて旅立った安政六年十月から土佐帰着後の七月までの間(長崎時代の日記「瓊浦けいほ日録」記載時は中断)、細かい字で記した袖珍しゅうちん本(小型本)です。

「征西雑録」は、存在をほぼ知られないまま岩崎家に所蔵されていましたが、2010年に三菱史料館に寄贈されました。その後、同館の伊藤由美子氏によって2017年に翻刻、紹介されました。私は、つい先日、別の事項のネット検索中に偶然発見するまでこのことを知りませんでした。何という迂闊さ!

 伊藤由美子「《史料紹介》 岩崎彌太郎 征西雑録」、「三菱史料館論集」第18号(2017年)。なお、トップの写真は同号の口絵写真より。弥太郎が長崎に向かう際に携行した「往来手形」で、中の「松平鹿次郎」とは土佐藩主山内豊範とよのりのことだそうです。

 私は、刊本の日記の一部を訳し、紹介文を書きながら、弥太郎が長崎に来た十二月のことが不明であるためにもやもや・・・・することが少なくありませんでした。このもやもや・・・・は、「征西雑録」を読んだおかげで、かなり解消できました。一方で、私が刊本を読んで「こうではないか」と推測したことは、おおむね間違っていなかったことも判明しました。

 しかし、すでにnoteにアップした記事の中に、「征西雑録」読後には不正確あるいは不十分と考えられる箇所があります。これらについては、漸次、遡って修正します(すでに修正済みです―11月9日追記)。なお、上記のように記事に決定的な誤りはないと考えており、すでに読まれた方が改めて読んでいただくには及びません。

 ただ、今井純正(長岡謙吉)の件に関して、「征西雑録」中に思いがけない発見がありました。これを書くと長くなりそうな上に、弥太郎の日記を紹介するという趣旨からやや外れそうなので、少し視点を変え、別アカウント「はるかな昔」の方で記事にします。

 私が迂闊にも「征西雑録」に気づかないままでいたことの言い訳にはできませんが、岩崎弥太郎の「新発見」の日記の翻刻という事績が、世に殆ど知られないままだったのは大変に残念です。「征西雑録」は、あのひどかったNHK大河ドラマ「龍馬伝」が放送されたのと同じ2010年の11月に三菱史料館に寄贈されています。

 これは、「龍馬伝」によってさらに毀損された弥太郎像の更新がなされるのを、岩崎家が期待してのことではなかったか、と私は勝手に想像しました。しかしながら、今に至るまで岩崎弥太郎に関する情報の偏りは正されていません。私は、「征西雑録」を史料として活かしつつ、個人的に弥太郎日記の紹介を続けます。

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