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全人類にとっての共通した正解が欲しい

僕は普通になりたい。
そして絶対的な正解や価値が欲しい。

僕は自分を《普通ではない》《正しくない》人間だと思っている。

しかし人によって自分の評価する点数や善悪が違うので混乱する。
医者は「発達障害の傾向がある」というが、別の医者は「そのような気はない」と言う。結果知的障害だったのだが、親は「気のせいだ」と言う。

混乱する。

自分では幼少期から周りについていけずに自分だけ出来なかったり、不思議がられた人間だったので普通ではないし、現在無職なので、正しくない人間だと思う。
自分の認識通り、社会に出てからも低い評価をされる事が多かった。
しかし全員ではない。自分では明らかに能力が低いと思っているが、満場一致の意見は聞いたことがない。
そして低いと分析した人も「甘え」や「努力不足」から「先天的なもの」と、様々な内容の分析だった。

そして自分で自分を不細工だと思っているが、これまた人によって評価が割れる。
「虫みたい」と評する人もいれば、「ブスではない」と評する人もいる。

統一してくれ。頼む。

優劣の基準も絶対であって欲しい。共通していて欲しい。
そう。お金のような普遍的な価値であってほしい。

今のネット社会は、個々の正解が垂れ流されているだけで、答え合わせができていない。
Xのコミュニティノートは画期的だが、それでもまだ不足している。

「優れた人間になりたいよね」

「障害者って生産性ないよね」

「戦争は良くないよね」

「ニートって生きてる価値ないよね」

「幸せになりたいよね」

「人から認められたいよね」

「お金って価値あるよね」

「子供を産むことは社会貢献だよね。だから産むべき」

「免許持ってない男はダサいよね」

「中卒の人間は教養がないよね」

「30で童貞とか処女って普通じゃないよね」

「黒人は白人より能力的に劣っているよね」

「独身で非正規は欠陥品」

皆で答え合わせした時に、満場一致の価値観が欲しい。

ワンピースは全人類が面白いと思わなければならないし、ラーメンが嫌いな人間は否定されるべきだ。
ゴキブリも好きな人がいてはいけないし、カブトムシはみんなのアイドルでないといけない。
藤崎マーケットは皆が面白いと感じなければいけない。
GLAYのwinter againは、皆が「いい曲だ!」と思わなければいけない。
コロナワクチンは安全な薬であると皆が思って欲しい。
犯罪者は誰にも好かれてはいけない。
任天堂のピクミンは、皆が可愛いと思う。
新垣結衣は万人にとっての美女でないといけないし、誰かにとっての発達障害者は、別の誰かが見ても発達障害者だと認識されなければいけない。

人によって
「え?俺はそう思わないな」
という認識のズレは起こって欲しくない。
認知的不協和を起こすからだ。

ワンピースが嫌いな人間や、GLAYに興味がない人。
戦争に賛成する人。
ピクミンをキモイと思う人。
新垣結衣を美女だと認識していない人。
藤崎マーケットで笑わない人─────これらの人間は存在してはいけない。
誰かの正義が誰かの悪であってはいけない。

価値観の統一
自分の価値は皆の価値であり、皆の価値は自分の価値。
自分にとっての正義正解は皆の正義正解であり、皆にとっての悪、不正解は皆にとっての悪、不正解であってほしい。
そう数学のテストのように。
式は時代によって変わらないものであり絶対に答えがある。

だから僕に会う人全員が
「君はワンピースが嫌いで、障害を持っていて、ゴキブリが嫌いじゃないから普通じゃない」
「君は無職でコロナワクチンを拒否した。だから正しくない」
と言って欲しい。
会う人全員にそう認識されたい。

しかしそうはならない。
日本規模で見ると《普通》で《正しい》としても、世界規模で見ると満場一致にならない。
ワンピースが嫌いな人間なんてゴロゴロいるだろうし、中国はゴキブリが嫌いなどころか、食べる文化がある。

少なくとも日本規模で想定する分には、全日本人が認める《普通》かつ《正しさ》になれるのだろうか。

「ワンピースが好きで、コロナワクチン接種へは抵抗意識がない。正社員で自動車免許持ち。子供もいて、自分も任天堂のゲームが好き」
これは《普通》であり、《正しい》のだろう。

しかし同時に誰かにとっての《普通》は、誰かにとっての《異常》だったりする。
僕はゲームが好きだが、それは普通の趣味だと思っている。しかし《ゲームをすると頭がおかしくなる》と思う人もいる。
そして僕は鯨やイカを食べたり、ホヤやウニを食べたりするのは異常だと思う。しかしそれらを食べる人は普通だと思っている。


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