結婚式の加害性

Twitterで前にトレンド入りした言葉だ。

結婚式に同性愛者を呼ぶのは傷付けるかどうか

というツイートが発端だが、トレンドになると元ネタの意味が歪みがちなの何とかして…。
結局このいわゆる《パワーワード》がひとり歩きする結果となったのですが。
湾曲したニュアンスでは、《結婚式をする人は加害者だ》という事だろう。 

幸福な人を見せつけられると、自己否定されているように感じる。嫉妬に内面の負のエネルギーが加算されて、憎しみになる。

人と比較するのは人間の本能。しかし比べるのには2種類ある。他者の劣っている要素を見て優越感に浸る比較と、優れた他者の優れた要素を見て向上心を持つ。つまり下を見て優越感を抱くと成長しない。攻撃的になる場合もある。

…らしい。


でも人の幸せに傷付く気持ちは分かる。

「なんで俺だけできないんだろう」
と思うことが多かった。

人からバカにされる事も多かった。


《学校》には皆通っていただろう。
しかし学校に対して抱く印象は皆違う。 

友達にも異性にも恵まれ、勉強も部活もできて輝けた人間は、学校に対してポジティブなイメージを抱くだろう。

しかし友達も恋人も居ないどころか、虐められていて不登校だった人間などからしたら、学校は嫌な場所という認識になるのも無理はない。

そんな人間が、学校の紹介文にある「イジメのないアットホームなクラスです!」なんていう文言を見たら「そんなわけないじゃん…」と、闇を感じることになるだろう。

《結婚式》もそれと似たようなものだと思う。
散々未婚イジリをされてきた人間が他人の結婚式を見たら被害的になるのも無理はない。

僕はいじめられた経験は無い(主観)が、上記のようなクラス紹介文を見たら闇を感じる。《人を傷つけないお笑い》と同じで、結局認知していないだけの生存バイアスだから。


ニュースで見る不幸は悲しくなる事が多い。
自分には関係がないというのは大前提で。

幸せは…別に興味が無い。
さっきも書いたが、劣等感から嫌な気持ちになる。

記事がまとまらなくなった。なんなんだろう。俺は。

…どんなものでも人は傷付くのだろうが、それは受け取る側の問題なのかもしれない。
嫉妬はそうだ。

仮に相手がマウントをとってきても、土俵に乗らなければいいだけなのだから。


解説サイト


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?