見出し画像

一目惚れは性欲と欺瞞の産物である



1.はじめに

一目惚れ(ひとめぼれ)

一度見ただけで、ほれること。ちょっと見ただけで好きになること。

精選版 日本国語大辞典

私は昔から一目惚れという感覚がわからない。

誤解を防ぐために前置きすると、身体的魅力を感じないわけではないし、恋愛する上で容姿を度外視するというわけでもない。

ただ私は相手を一目見ただけで中身を知ることはできないにも関わらず、どうして好きと言えるのか疑問なのである。

一目惚れの対象は人間に留まらず、街の景観や美術館の絵画、アルバムのジャケット、アンティークショップの雑貨まで多岐に渡る。

例えば絵画や彫刻といった美術作品は人物や風景を単に描写したものではない。

写実的な絵画でも画題を視る時に必ず作者の感情や思想というフィルターがかかる。そしてそれらは作品に大いに反映される。

つまりその作品を真に理解するためには視覚的情報を吸収するだけでなく、作品に込められた意味や想いを知ることが必要である。
美術館にキャプション(解説パネル)があるのはこのためであろう。

果たして絵画に添えられたキャプションを見ずに、その作品に向き合っていると言えるのだろうか。

恋愛的な文脈に戻すと、一目惚れとは相手の内面を十分に知らないまま、外見の性的魅力のみに着目し好意を寄せる行為と言える。

外見的魅力のみでその対象を価値づける行為、それを「好き」と称していいのだろうか。 


2(1).先行研究:愛の種類

そもそも愛とは非常に複雑で多義的な概念であるが、その正体は一体何なのだろうか。

人類学者のヘレン・フィッシャーは、愛は『欲望・魅了・愛着』の3つに分類され、それぞれの要素が互いに補強し合っていると論じた。

同氏によると、この3要素は相互に関係し合っているものの、脳の中では別々のプロセスとして処理されているとのことだ。

具体的には、脳の扁桃体によって調整されているテストステロンやエストロゲンといったホルモンが「欲望」に関与している一方で、相手に引きつけられる「魅了」は報酬や快感などの感覚に対して重要な働きをしている側坐核と腹側被蓋野で決定されている。また、人が誰かに魅力を感じている時はドーパミンやノルアドレナリン、コルチゾールといった神経伝達物質が作用しており、「愛着」を感じている時はオキシトシンやパソプレシンというホルモンが優位に働いている状態である。

イギリスのThe Bath Couples Therapy Practiceの臨床心理学博士であるエリック・ライデン氏は 3つのタイプの愛のうち、一目惚れをした瞬間の脳を支配しているのは「欲望」であると指摘している。

同氏が考える愛とは、「多幸感や強迫観念的な考えが心を満たすのと同時に、肉体では幸せホルモンの1つであるドーパミンや、愛情ホルモンと呼ばれることもあるオキシトシンの分泌が増加する」状態であり、これを前述の内分泌系の研究に当てはめると、「欲望・魅了・愛着」の3つの中で最も"真実の愛"に最も近いのは「愛着」と言える。


2(2).先行研究:一目惚れは性欲によって生じる

フローニンゲン大学の研究によれば、396人の男女に対し恋愛に関する様々な質問をした後で、全員にお見合いパーティーに参加をしてもらい「一目惚れ」をしたという人にヒアリングを行った。

その結果、相手に対して情熱的になったり運命的なものを感じたりするというよりは、相手のルックスと身体の魅力に対して興味が湧いたと多くの参加者は述べた。

結論として異性に対する「外見と肉体的な魅力」が一目惚れの感情を湧き起こすということがわかった。

そこにはロマンチックな感情や運命的といった甘いお伽話ではなく、相手の顔と肉体に反応しているだけと言うことだそうだ。

研究者は、一目惚れと言われる状態とは、情熱的な愛とか一般的な人との繋がりを求めるというものではなく、一般的な夫婦間にある愛情といったものとも違うのが「一目惚れ」の感情だったと述べている。


2(3).先行研究:一目惚れは記憶の仕組みによって美化される

一目惚れに関する研究を調べると「初めて出会った瞬間に一目惚れが起きた」のか、それとも既に恋に落ちた状態で初めての出会いを思い出し、「あれは一目惚れだった」と感じているのかについては記されていない。
被験者の「一目惚れだった」という申告をもとにした研究結果しか存在せず、科学的に「一目惚れが起きた」ということを示せているものは存在していなかった。

つまり一目惚れから愛が始まったのかのように思える場合、記憶を処理する脳の仕組みがそうさせている可能性がある。

人の記憶はそれを思い出した時の感情によって変化する。
そのため、パートナーを愛している人が相手との出会いについて思い返すと、当時はそれほど気になっていなかったのに最初から好きだったかのように思えてしまうと考えられる。

最初の出会いで感じるのは相手の肉体的な魅力であり、時間の経過の中で成長した感情に置き換えられていくのである。出会ったそばから愛があったというのならば、それは欺瞞であり、脳の粋な演出によるものだ。


3.参考図書:エーリッヒ・フロム「愛するということ」

ドイツの精神分析学者であるフロムは著書「愛するということ」で、愛とは自然発生する感情ではなく、その人の意思であり技術であると論じた。

愛とは、自分が意識的に相手を尊重し、その生命と成長を積極的に気にかけることであって、自分自身と相手が一体になることであるとフロムは言う。

恋愛はしばしば「恋に落ちる」という劇的な体験として描写されるが、この体験は一時的な激しい感情でしかなく、長続きしない。結果的にまだよく知らない新しい人との愛を求めては破局することを繰り返す。

この誤解を支えるのが性欲である。多くの人間は性欲を愛と結びつけて考えているので、ふたりの人間が肉体的に求め合う時は愛し合っているのだと誤解している。

しかし性欲はどんな激しい感情とも結びつくため、愛以外にも、孤独の不安や、征服したいとかされたいとかいう願望や、虚栄心などによっても掻き立てられる。愛がない肉体関係は、幻想から目覚めたとき、ふたりは自分たちが互いに他人であることを今まで以上に痛感して孤立を深めることすらある。

一目惚れに関する直接的な言及はないが、フロムに言わせれば一目惚れとは愛の本質からはかけ離れた現象であると言えるだろう。


4.個人的見解

以上の文献から一目惚れは「真実の愛」を形成する複雑な感情というよりは肉体的な魅力や性欲に関係した現象と言える。

科学的に見れば、「初めて会ったときから愛していた」ということはあり得ず、それは無意識的な記憶改竄あるいは自己欺瞞によるものだ。

しかし外観から強く惹かれて、その感情が交流を深めていく中で愛に変わっていくことは起こりうるだろう。

つまり一目惚れだけでは愛とは呼べずとも、一目惚れから愛が生まれることはある。

人間が情報の8〜9割は視覚から知覚しており、「見ること」からは逃れられない。
相手の外見的魅力が恋愛のきっかけになることは往々にしてあるだろう。

しかしそれはあくまできっかけに過ぎず、内面を知らない状態は「恋」とも「愛」とも呼ばない。

一目惚れは身体的魅力や性的情熱に起因するものであり、愛とはフロムの言う通り一朝一夕で育まれるものではなく、相手の性格や価値観を知ることが必要となるため、相応の時間と忍耐が必要なのだろう。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?