なにもない世界で僕ら

『浦島坂田船、、、?』

私の運命が動き出す予感がした。
それは春の終わり。
そして、私の運命の始まり。


2017年、春。
私は中学1年生になった。

慣れないセーラー服、慣れない校舎、慣れないクラスメイトに囲まれながら、春風に背中を押されてせわしなく過ごしていた。
趣味を共有できるような友達もいなく、勉強は難しくなるばかり。
既に参っていた。

そんなとき、いつも私のそばにはボカロがあった。
まだスマホは持たせてもらえず、親のスマホか3dsで。
有線イヤホンを繋げば、そこはあっという間にボカロの世界。
片耳から流れる世界を、リズムを、とめどなく真っ白な紙に描いていく。
心踊る、私だけの世界だった。

『私も、ミクちゃんみたいになれたらいいのに』

長い髪、長い手足、華奢な顔立ちに心惹かれない人はいないだろう。
私も例にあぶれず、ファンの一人だった。

そして、最近もうひとつ、私が夢中になる世界ができた。
それは、『歌い手』という界隈だ。
Twitterもインスタもなにもかもやらせてもらえない自分にとって、その界隈を深く知ることは出来なかった。
わからないことだらけだった。

だけど、『歌ってみた』『オリジナル楽曲』『コラボ動画』などは、私の心をひどく踊らせた。

顔も本名も知らない、ましてやどこに住んでるのかも、どんな人なのかも、なにもわからなかった。
ただ、そこに歌声があるだけだった。

『え?!この人自分で作詞作曲してるの、、?!』 

毎日、毎日、少しずつ歌い手さんのことを知っていく。
そんな日々が、私にとっては宝物だった。

桜も終わりかけている、4月上旬のこと。
一人のクラスメイトが私に話しかけてくれた。

『いつもイラスト描いててすごいね、上手!』

ニコッと笑うその子は、たぶん中学からの新しいクラスメイト。

『ありがとう、でもそうでもないよ』

そういってノートを手で隠す。
誰かにしっかりイラストを見せたことはほとんどなかった。
だから少し照れ臭かった。

『オリキャラ?それとも、、』

ボブヘアの女の子は続ける。

『うらさかかな?上手~!!』

え、と声が漏れる。

『歌い手さん、知ってるの?』

女の子は笑う。

『うん!好きなんだ!』

びっくりした。今ではすっかり外で歌い手さんを見かける機会が多くなったが、当時はまだそこまで私の住む田舎では浸透していなかった。

浸透していなかったし、知るすべが私にはなかったため、私自身も詳しくは知らなかった。

だから、歌い手さんが好きって言っても、そもそもその界隈を知っている人がほとんどいなかった。
私も、知っている情報といえば、活動名、イメージカラー、ファンの総称くらいだった。

『いつかライブ行けたらいいよね~!!』

女の子はすごく嬉しそうに笑う。
私はライブという言葉に胸を打たれた。

『うん、いつか大人になったら絶対行きたい、、!』

いつか一緒に行こうね、と話してその女の子はその場から離れていった。
いつか、私も、、そう思いながら、ノートを閉じた。

慣れない学校生活は、やっぱり上手くはいかなかった。
皆思春期に入り、人間関係が複雑になり、部活動の忙しさ、勉強の難しさに根をあげていた。

そんな梅雨明けのことだった。
『もうすぐ夏休みに入るため、全員で大掃除をします。』

先生が黒板に掃除区域を振り分けていく。
正直まだ少しジメジメしているし、外は嫌だなぁと思いつつ黒板を眺める。

『放送室・山吹ふみ』

私の名前を見つける。放送室かー、、、。
放送室にも、もちろん当時はクーラーなんてものはなく、機材の関係で常に分厚い遮光カーテンでしきられていた。
要するにめっちゃ暑いし、めっちゃ埃っぽいのだ。

他の子達と一緒に、だるいよねーとか言いながら放送室に向かう。

『うわ、、やっぱ暗いし埃っぽい、、』

とりあえずふみちゃんはcdの断捨離をして、と頼まれる。

『あ、返すの忘れてた、これ持ち主に返しといてくれる?』 

そういって他の掃除係に肩を叩かれる。

渡されたのは綺麗なcdだった。

そこには、見覚えのある2人と、知らない2人が4人組でうつっていた。

(うらさかだ)

当時好きだった歌い手さんとよくコラボしていたため、うらさかはすぐにわかった。

(あれ、でも、、)

あとの2人は誰だろう。

『浦島坂田船、、、?』

ジャケットにそうかいてあった。
裏をひっくり返すと、志麻、センラの文字。

どっちが志麻さんでどっちがセンラさんなのかもわからなかった。

ただ、ひどく心に残っていた。

新しい歌い手さんを知ってしまったというはやりからなのか、この気持ちがなんなのかわからなかった。

すごく知りたくなった。

『浦島坂田船、浦島坂田船、、』

忘れないように、呟きながら。
少しだけ廊下を走っていった。


家に帰り、さっそく親のスマホを借りてYouTubeで検索をかける。
『浦島坂田船』
ドキドキしながらボタンを押す。

そこには、新しい世界が広がっていた。

刺激的でかっこいい曲から、ポップで可愛い曲まで。
世界観がひとつじゃないこの4人組が、とてもキラキラしてみえた。

私はいつの間にか、浦島坂田船の虜になっていた。

ただ、何度も言うように深く知るすべがまったく私にはなかった。
スマホもパソコンも自分のはない、Twitterもなにもかもできない、あるのはYouTubeの動画だけだった。

それから、ライブに行ってみたいとせがんだこともあった。
親を何度も何度も説得したが、どうしても歌い手さんを紹介するときにインターネットというワードをだしてしまったこと、これが敗因だった。

そんなよくわからないところに行くなと、頭ごなしに叱られた。

電車も乗ったことないような中学生には、絵を描くしか方法がなかった。

グッズも買えない、ライブも行けない、あるのは、歌声だけ。

そして私にあるのはイラストだけだった。

くる日もくる日も、新曲が上がればイラストにするし、ひきまるがやれば次の日にはボブの女の子とその話題で持ちきりだった。

それでよかった。

いつの間にか受験生になり、イラストよりも勉強を強いられ、少しずつ少しずつ歌い手さんの世界から遠ざかっていってしまっていた。

ボブのあの子とも、いつの間にか歌い手さんを語ることはなくなっていった。

それから私は高校生になった。
高校生になっても、割ける時間は少なくても、ずっと歌い手さんだけが好きだった。
高校はものすごく忙しく、より一層勉強に励まなければいけなかった。

ただ、1点かわったところがある。
スマホを手に入れたのだ。

実はsns全般全て禁止!と親がいっていたのだが、高校生にもなってそんなことハイハイと聞くわけもなかった。
ただ、勇気もなかったため、Twitterはログインせずにブラウザから検索をかけてのぞいていた。

そこには、たくさんのFAたち。
学校という枠をはるかに飛び越えて、ハッシュタグで世界中と繋がっていた。
中にはプロもいた。

そして、浦島坂田船のアカウントもあった。
○○公演!お疲れさまでした!というような文章と共に目を疑うようなカッコいい自撮りが何枚も何枚もあった。

また少し私の世界が広がった気がした。
わくわくが止まらなかった。

snsを通して、こんなにも浦島坂田船を見ることが出来るんだとひどく感動し、同時に、ライブに行ってみたいと思う気持ちがふつふつと沸いてきた。

いつかいつかと先延ばしにしていた未来が、すぐそこまで来ているような気持ちになった。

だけど、高校生になって、私はクラスで上手くいっていなかった。
皆それぞれ地元の方と繋がっており、snsで春から既に友達でしたという人たちばかりだったからである。
私はギリギリまでスマホを買ってもらえなかったため、完全に出遅れていた。
同時にコロナが流行っていたため、実際に顔を合わせたのは入学から2ヶ月もたったあとだった。

つまりぼっちだった。

そんな私をからかう人たちも現れるようになった。
面白半分で物を壊されたりもした。

でも助けは求められなかった。

いつの間にか、歌い手さんが好き!というキラキラした気持ちよりも、明日からどうやって教室に入ろうかと悩むようになった。

そしてそのままいじめは3年間続いた。
私は心を壊し、動けなくなってしまった。

笑い方がわからなくなってしまった。
泣き方もわからなくなってしまった。

そして、イラストも描けなくなってしまった。

明日からどうしようか、毎日怯えながら過ごしていた。

行かなきゃ、行かなきゃと思うたびに苦しくなった。

そんなときだった。

浦島坂田船の曲をたまたま聴いた。
いままではずっと勉強が忙しいからと避けていたが、学校に行けなくなり、なにも縛る理由がなくなったため久しぶりにちゃんと聴いてみることにした。

曲は、『Shoutër』

片耳から流れる浦島坂田船の世界。
なによりも楽しそうな4人の歌声。
空っぽの私には、その歌声はどうしようもないくらいキラキラしていた。

『なにもない世界で僕ら、なにを叫ぶ?』

瞬間、涙があふれてきた。

私が本当にしたかったこと
私が本当に見たかったもの
私が本当に好きだったのは、
私は、私は、、、

『私、浦島坂田船のライブにいきたい』

たとえもう体が上手く動かなくても、

『一目で良い、会いたい』

会ってその歌声を聴きたい。

泣きながら強くそう思った。

もう一度、頭ごなしに叱られてもいいからと親に頼んだ。
私とって、大切な世界の話をした。

親は、しぶい顔をしながらも頷いてくれた。

私はまた涙があふれた。
浦島坂田船に会える、私が思い続けた浦島坂田船に。

心臓はなりやまなかった。
私は、もうその年に18になろうとしていた。
浦島坂田船を知ってから、5年も経とうとしていた。


浦島坂田船 SpringTour 2022『令和浪漫』

私にとって、運命の始まりである。

やるなら全部自分で調べなさいと言われていたため、わからないなりに作法を一生懸命調べた。

自分で行き方も調べ、自分でチケットを応募し、しっかり当て、コンビニのコラボファイルを挟んだつたない痛バまで用意した。

20歳になった今も写真が手元にあるが、到底人様に見せられるような格好ではない。

慣れないメイクもした。がったがたのアイラインもひいた。

当時受験生になる春だったため、資格検定を受けて、移動中勉強しながら、ライブに向かうというハードスケジュールだった。

でも、浦島坂田船に会えるんだって思ったらなんてことはなかった。

まだ夢みたいだった。

当時、コロナの影響で声だしは出来ないものの、やっと対面でのライブが許された時期だった。
人生はじめてのライブは、声がだせない分しっかりペンライト振ろう!ときめていた。

色は黄色。センラさんのカラーである。

仕事も歌い手さんもこなすセンラさんは、私にとってはヒーローだった。

声すら届かないけど、一目みられるんだって思ったらもう心臓が壊れそうだった。

会場にはいり、そのときを待つ。

開演時間に近づくにつれて、皆がペンライトを推し色に光らせだす。
もう本当に緊張で死にそうだった。

音が大きくなる。
ペンライトが揺れだす。

手拍子と共に、体が震えるような音がステージから聞こえる。

真っ白な光と共に、浦島坂田船がステージに飛び出す。

『こんにちはー!!!浦島坂田船です!!!』

私は立っていられなくなった。

涙が止まらなくなって、ペンライトを上手く振れなかった。

あぁ、本当に本当に目の前にいる。

キラキラの笑顔を振り撒いてる。

たくさんのペンライトの海のなかで、2本の黄色いペンライトだけが私の存在を証明してくれた気がした。

涙はぬぐってもぬぐってもあふれてきた。
でも、とてもあたたかかった。

声がだせない分、腕が筋肉痛になるまで振り続けた。

ライブは夢みたいな時間だった。
あっという間に最後のファンサタイム。

私はよくわからず、とにかく周りの挙動をみた。
推しに愛を伝える時間ってことはわかった。

私はセンラさんの方に思いっきり体を向け、大きくハートを作った。

気づいてくれなくたって全然良い。
楽しい時間を本当に本当にありがとうございましたという気持ちを込めて、ペンライトを振った。
浦島坂田船がこっちにくる。

『真ん中のほうの列~!!ありがとう!』

センラさんが笑う、やっぱりかっこいい。 

そう思っていた。

『あ!見えてるよ!!!後ろの子ありがとうね!』

センラさんが私と同じようにハートを作り出す。

え?

『後ろの子!ありがとう~!!』

何度も繰り返しながらセンラさんが笑う。

一目見られたら良いと思っていたセンラさんの眼に私が止まった、気がした。

私は夢見心地のままライブ会場を後にした。

親が心配そうに私のほうをみる。

『どうだった?』

そう聞かれて、楽しかった!!と言おうと口を開いた瞬間また涙がこぼれた。

楽しかったときも苦しかったときもずっとそばに居てくれた浦島坂田船。

私にとって、とても大切な存在だった。

『受験を乗り越えたら、また絶対きたい』

受験資格すら危ういけど、でも絶対諦めないと確信した。

『乗り越える』

大学生になると決めた瞬間だった。

それから2年がたった。
私は今、無事に大学2年生をしている。

目標があるのだ。
それは、センラさんと同じように、二足のわらじで生きていきたいということ。

イラストも、今してる勉強も、どっちも大切で諦めたくないと思った。

だからセンラさんみたいになると決めたのだ。

浦島坂田船と出会って、7年もの月日がたつ。

たくさん泣いたし悩んだ。でも同じくらいたくさん笑った。

私は今、あと1週間に迫るライブのために準備をしている。
綺麗にアイラインを引く練習も、メイクの練習もした。
思い出たくさんの痛バも、参戦服も、ネイルも全て綺麗に整えて。

また、浦島坂田船に会いに行く。

無線イヤホンから、Shortërが流れた。
大好きな4人の声が聞こえる。

『なにもない世界で僕ら』

『なにを叫ぶ______』








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