3章第8話 最初の脱落者!
5月の初めです。今日はとても良い天気でした。そして、今夜も、先に来たサークル員たちがホールの掃除を始めています。
殆んどのメンバーが揃ったところにヤス(内山康夫)が一人で入ってきました。どこか沈んだ様子です。
さとし: オッス! あれ、玲子ちゃんは?
ヤ ス: それが…
と、言葉を濁すヤスに突っ込みが入ります。
さとし: この歳になって、遂に逃げられたか?
ヤ ス: そうじゃないんだけどさー、あのさー、女房が骨折しちゃって…
寿 美: えええー! どうしたの?
全員、驚いてヤスの周りに駆け寄りました。
千 葉: まさか、注目されたくて演技してんじゃないだろな?
ヤ ス: 違うって。先日、家の中で柱の角に足ぶっけてよー。次の日も「痛い、痛い」って言うんで病院に連れて行ったら「小指が折れてます」って…。完治に4か月は掛かるみたいで、申し訳ないけど、フォーメーションに出られそうもないです。すみません…
千 葉: だ・か・ら、気をつけるよう、言ってたろ?
ヤ ス: うん。みんな、本当にごめんな。
寿 美: 玲子ちゃん、暫く不自由だわね。お大事にね。ヤスさんも、ちゃんと家事、手伝ってあげるのよ。
女性たちが「お大事にね」と話しかけていると、後ろからポツンと声がしました。
さとし: それで…?
ヤ ス: えっ? なに?
他のメンバーも直ぐに察したようで、ひとつのまとまった、強い口調の声が上がりました。
全 員: それでどうした?
ヤ ス: なにが?
そう言いかけて、やっと追及の意味が飲み込めたヤスが、元演劇部の演技力を存分に発揮して、泣く振りで返事をしました。
ヤ ス: …あっ、はい、海に流してきました。(嗚咽音)
全 員: よし!
寿 美: ばか! 「よし!」じゃないわよ!
全員大笑いです。
まったく、この年寄りたちときたら、こんな風に笑ってばかりですから、長生きするに違いありません。でも、千葉ちゃんは頭を切り替えて、フォーメーションの心配をしなくてはなりません。
千 葉: 一人減ったか…。じゃあ、玲子ちゃんの所に良子ちゃん入ってください。スタートでパートナーがいないのが美樹ちゃんだけになるので、寿美ちゃんが男役で入ってくれる?
寿 美: 了解よ!
千 葉: これで7組になるから振り付け変更なしで行きます。もう、怪我なしでお願いしますねー!
従って、フォーメーションはこんな感じで進めることになりました。
こうして、この日のレッスンを進めることができました。
ブラックプールに行かれない佐藤さん、昭ちゃん、そして幸ちゃんも、みんなと同じように熱心に練習しており、着実に上達しています。その佐藤さんからレッスン最後の方で質問がでました。
佐 藤: あのー、足の指ってどうするんですか?
千 葉: 玲子ちゃんみたく「折るのがいいか」ってことか?
千葉ちゃんを完全無視して、佐藤さんがもう一度聞きました。
佐 藤: あのー、チャミちゃん先生、足の指ってどうするんですか?私の場合、靴の中で足の指は縮まってるんですけど…。
寿 美: 縮めたままでいいのか、それとも、広げるのがいいのかって質問ね?
佐 藤: はい。
すると、千葉ちゃんが自身の体験を真面目に語りました。
千 葉: 僕もダンスを始めた頃、同じことを先生に聞いたことがある。なぜなら、その頃までは靴の中で足の指を「グー」のように縮めていたから。だから、先生が、「指は縮めていない」と言ったときは、かなり驚いたけど、それからは、自分と足に「縮めなくていいんだよ」と言い聞かせながら生活するようにしているんだ。
寿美ちゃんが追加の説明をいれました。いいコンビです。
寿 美: では、ちょっとした実験をしましょう。皆さん、両腕を前に出して「グー」にしてください。そして、手首を振ってください。
みんなが突き出した両手の「グー」を振ろうとしますが、上手くできないので、「振れません!」の声が上がりました。すると、次の指示が出ました。
寿 美: では、「グー」を止めて、指の力を抜いて振ってみてください。
「今度は振れる!」「ゆらゆら振れる!」の声が上がりました。それを確認した寿美ちゃんが話しました。
寿 美: これは以前に参加したレクチャーで、あるコーチャーがしてくれた実験です。そして、こう説明されました。
「手首も足首も同じです。足の指を縮めていると、足首も固まってしまいます」
と。グーでなくて、手の指に力を入れても、同じよ。この説明って、すごくないですか?
時間が来たので今日のレッスンは終わりにしますが、お家に帰ってから「グー」と「指の力を抜いた」場合の両方で歩く実験をしてみてください。きっと素晴らしい発見がありますよ。
佐藤さんをはじめ、みんなはとても嬉しそうな顔をしています。
それにしても、今日はどうなるかと思いました。出して貰った誓約書にも関わらず、はやくも脱落者が出てしまったのですから。今回は寿美ちゃんを男役で起用することで練習を続けることができましたが、ちょっぴり嫌な予感が残りました。
「北国ダンサー物語」(作:神元 誠)
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