紋別小学校ブラスバンド部
■僕は第1期生
小学5年(1962年)の時だったと思いますが、紋別小学校にブラスバンド部が出来ました。当時、小学生のブラスバンド部は「全国でも珍しい」と言われていた気がします。担当は秋重憲好先生。早速、仲良したちと入部しました。
僕は「小バス」。さとしちゃんの「コルネット」は格好良かったし、てっちゃんの「トロンボーン」は正確な音を出していてすごかった。学校帰りには口で演奏しながら音を合わせていました。
■「海兵隊」と「偉大な望み」
最初に覚えた曲は確か「海兵隊」。これで運動会でマーチングしました。運動会の数日前、実際にグラウンドに出て行進しながら演奏する練習をしました。すると先生が、先頭から内側にUターンすることを提案しました。この時、長いトロンボーンは列の最後につき、Uターンする時に隣の列の人とぶつからないようにするという先生のアイディアに、「なるほど」と感心したことを覚えています。
次に曲を増やすということで、渡された楽譜は「偉大な望み」でした。「小バス」はいつも裏方のような存在でしたが、この曲では「小バス」が一瞬メインに躍り出る場面があったので嬉しかったのを覚えています。「裏方」は全然嫌いじゃないんだけどね。
「偉大な望み」の自分のパートは結構大人になるまで覚えていたつもりだったが、もう、すっかり忘れてしまったので、先日ネットで検索するとハロルド・ベネットの「偉大な望み」が出てきました。聞いてみましたが、なんか違う気がします。僕の記憶は正しいのだろうか?
市民祭りでも「偉大な望み」を演奏しました。その時、出演していた自衛隊の演奏曲のひとつがかっこよかったです。初めて聞いたその曲は「トランペット吹きの休日」でした。
■楽器を持ち帰ったけれど
みんな練習も演奏も楽しんでいたし、誇らしく思っていたと思う。ましてや、全国でも珍しいと言われていたのですから。
明日から連休に入るという前日、練習を終えた後で先生に「家で練習したので楽器を持って帰っていいですか?」と尋ねると、高価な楽器なのに、秋吉先生はすんなり許可してくれました。それで、さとしちゃんとてっちゃんと3人で楽器を持ち帰ったのですが、やはり音が大きいので練習しないで終わりました。きっと僕は、ただケースに入った楽器を持ち歩きたかったのでしょう。
■ブラスバンドの今
先日、あのブラスバンド部がどうなっているかと調べてみると、「紋別市立紋別小学校金管バンド」となって継続していることを知りました。僕たちの時代とは楽器の数もさることながら、演奏がまるで違うレベルなので感心しました ―― 「いやいやいや、なまら凄いんじゃないかい」。
【追記 2023/06/11】紋別小学校金管バンド六十年史
●私の思い出話を読んでくださった「永山音楽室報道部」様が、貴重なコメントを下さりました。おかげで、私のブラスバンド入部(多分1962年)から、ほぼ今日に至るまでの歴史の空間が埋まるという、不思議な気持ちです。
●コメントに添付して下さった紋別小学校金管バンド六十年史のサイトをここにも掲載させて頂きます。
→ 紋別小学校金管バンド六十年史
有難うございます!
(まこと)
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