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小学校のトイレの場所を覚えていますか?

最近、紋別小学校時代を振り返っているのですが、どうしても、トイレの場所が1か所しか思い出せません。1,800人ほど生徒がいたので1か所な筈がないのに、そして、あんなに毎日のようにお世話になっていたトイレを!です。

そこで、2,3の友人に聞いてみたのですが、驚く勿れ、その人たちもよく覚えていないというのです。そこであなたに振るわけでもありませんが、あなたも小学校のトイレの場所を覚えていますか?


私の場合、余命1年半ともなれば、その「思い出したい!」、「思い出さなくちゃ!」の強い思いは、まるで、もう漏れそうでトイレに駆け込むように必死(笑)。

18の時、京都の街角で観てもらった鑑定書。


切羽詰まる思いで紋別小学校に電話してお願いしてみると、昭和の紋別小学校の平面図を捜して送って下さいました! 本当に嬉しいです! 現校舎への建て替えが行われたのは昭和56年5月ですので、それ以前の卒業者がお世話になった校舎の見取り図となります。何と有難いことでしょうか!

見取り図を送って下さった永井啓教頭先生、ありがとございました。また、最初に電話対応して下さった稲葉様も有難うございました!

紋別小学校から(2023年5月)に送って頂いた見取り図。

ところで、これを送っていただく以前に描いた記憶スケッチと比較すると、思い出せなかったトイレの場所以外は、結構正確なので自分でも驚いています。

トイレの場所が判明したことで一安心しましたが、それでも思い出せないことが!

旧校舎トイレでは、男子の小用は一列に並んでする昔のタイプでしたが、今回判明した他の二つのトイレも同じだったのか、それとも、ひとつひとつ小便器に分かれていたのが思い出せずにいます。

また、「大きい」ほうのトイレには、どんな感じのトイレットペーパーが用意されていたのだろうか…。当時は「便所紙」とか「落とし紙」と言っていた気がします。ポットン便所でしたからね。


こんな風に「思い出遊び」をしている僕は、もしかすると随分変わっているのかも知れません。ですが、実に楽しいのです!

(まこと)

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