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幼少~小学時代

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幼少~小学時代の記憶に残る日常生活を綴ります。
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2023年3月の記事一覧

紋別市立紋別小学校校歌・応援歌

私が通った紋別小学校の記憶を辿っています。校歌と応援歌の楽譜、及び、学校別概要は2015年に紋別市教育委員会から送って頂きました。 ■紋別小学校校歌    作詞:勝 承夫    作曲:下總 皖一 1.港に朝の潮満ちて   響くエンジン 出船の汽笛   いつも希望の 光を衝いて   ゆこう進もう 元気よく   われら新しい 日本の力 2.雪降り積もる冬の日も   通うこの道 世界につづく   明日の文化の 夢湧くところ   のぼる力も たくましい   われら紋別の 少年

親父を超えられない

「おまえ、持ってないべ?」 と、田舎の兄から数枚の写真が送られてきた。昨年のことである。 確かに持っていない。見た記憶も余りない。 小さかった頃の写真は殆どないので嬉しい。 ましてや親父と一緒で、しかも、親父に甘えている姿がとても嬉しい。 裏に、母の字で「誠4歳」とある。もっと小さいように感じる。 親父とはキャッチボールをしたり、海や川の釣りにも連れて行ってもらった。親父に釣り針の結び方を習った時の事はよく覚えている。 親父のバイクにまたがり、山にコクワ(キーウィに似

お母さん、あれは誰のだったの?

水泳がまるでダメです。 3才位の時、母と姉とサロマ湖で水遊びをしたらパンツが濡れた。 帰るときになっても、パンツは乾いていない。 替えもない。 「そのままズボン履いて帰ろう」 「いやだ!」 「しょうないでしょ。乾いてないんだから」 「パンツなしでズボンはくのいやだ!」 と、十八番のダダをこねると、とてつもなく大きなパンツを履かせてもらった記憶がある。 お母さん、あれ誰のだったの?  この疑問が原因とは思わないが、以来、水泳はダメ。      ◇ ◇ ◇ 昨年

織田商店で曲がって…

入学式当日だったと思う。 着物姿の母と二人で家を出ると 町に向かって歩きだした。 暫く歩くと、町の入り口に入った。 ここからは、通りの両側にぎっしりと店や民家がが並んでいる。 そこからまた少し歩いたところで母が止まった。 「このお店の所を曲がるのよ。 織田商店て書いてあるでしょ」 お店のガラス戸に織田商店と書いてあった。 「あとは、まっすぐ行けば学校だからね。 ここを確かめて曲がるのよ」 「明日から一人で大丈夫ね?」 町には何度か来たことはあり、 決して初めて

もう泣きません!

僕は芭露という町で生まれた(地図の赤丸の辺り)。 産婆さんに取り上げられた時、泣かなかった(らしい)。 つまり呼吸を開始しなかった。 慌てた産婆さんは僕を逆さにして振ったり叩いたりしたが、それでも泣かなかったので、顔はどんどん土気色に変わっていった(らしい)。 その様子を見ていた母は、案外あっさり 「もういいわ…」と諦めた(らしい)。 「すでに子供が3人いるから」と。 その時になって、僕は遂に「オギャー」と泣き出した(らしい)。 こうして、反骨精神いっぱいの僕の人生