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「他人と比べる」から何を学べますか?

気づいてしまったことがある。
ぼくは、いつも、人を比べている。

あいつと、あいつ、
どちらの方が仕事ができる?

あいつと、あいつ、
どっちの話がおもしろい?

ときには、それが発展して、

あいつは仕事ができるけど、
おもしろい話はできないな

あいつは、仕事はイマイチだけど、
話は、いつもおもしろい。

そんなふうに、
組み合わせて考えたりもする。

異なる軸を組み合わせると、
おもしろい。視界が広がる。

一本の線だった世界が、
高さと深さをを与えられた、
そんな感じだ。

ただ、そんな風に広がった世界が
一瞬にして閉じることがある。

ぼくがあることをした瞬間に、
世界はあっという間に閉じてしまう。
そして、それは、
とても残念なことだけど、
とても頻繁に起きてしまう。

そう、世界は閉じてしまうのだ。
ぼくが「自分」の位置はどこだろう
そう考え始めた瞬間に。

あいつと、ぼく
どっちが仕事ができる?

あいつと、ぼく
どっちの話がおもしろい?

あいつは仕事はできるけど、
話は、自分の方がおもしろい。
だから、ぼくの方が……

あいつは仕事もできて、
話もおもしろい。
ぼくは、どっちも……

そんなとき、世界がとても狭く感じる。

誰かと比べて、劣っていたら当然だ。
でも、自分の方が優れている
そう評価をしても、
気分は、あまりすぐれない。

それは、なんというか、
自分の周りしか
見えなくなるというのか、

自分のことしか、
考えられなくなるというのか。

自由な感覚を奪われて、
窮屈で、動けなくなる感じ。

だから、人と比べるをやめたい。
やめたいけれど、やめられない。

などと考えていたのだが、
ふと、気がついたことがある。

そうはいっても、少なくとも、
ぼくは「比べている自分」には
気づいている。

世界が、急に閉じていく。
そのときには、あぁ、ぼくは、
自分を誰かと比較したんだな、
そう気づけるようになっている。

それから、もう一つ。
人と比べること自体は仕方ない、
そう思うようにもなっている。

ぼくは、悟りを開いたわけじゃない。
すごい人をみたら、
劣等感を感じたり、
できない人がいたら、
あいつよりはマシかも、
どうしたって思ってしまう。

「反射」みたいなものかもしれない。
中学の理科で習った、
熱いやかんを触ったら、
手を引っ込める的な。

「原始的」
そう言ってもいいのかもしれない。

誰かを見たら、即座に自分と比べる。
強いやつなら、逃げるし、
弱いやつなら、獲って食べる。
どっちも、目的は、命を守るため。
原始的で本能的な反応。
だから、比べるのは、
まぁ、仕方ない。

だけど、大切なのは、
その先に進まないこと。

比較してる自分って、どうなんだ、
ぼくって、人として、ダメなんじゃないか。

そんなふうに先に進まないこと
「比べる沼」に、はまらないことが
大切なんじゃないかと思っている。

比べるのは、動物的な反応。
先に進まないのは、
人間としての進化の証。
そんなふうに言ってもいいのかもしれない。

なんて思ってみると、
少なくとも、
比べることに
気づけるようになったぼく。

そんなぼくは、
以前よりずっと高い確率で
沼の手前で立ち止まれるはず。

まだまだ沼に足を踏み入れて、
もがくこともあるだろう。
でも、それだって、
何かの学びと切り替えて、
きっと次こそは、
手前で気づいて、
踏みとどまれるようになれるはず。

などと思ってみると、
ぼくは、ずいぶんと進化している訳でして。
できているところ
それに、気付けるようになっている自分を
褒めてあげたくなっている訳でして。

まあ、それも、
自分で自分を俯瞰して、
ニュートラルに受け止めて、
できるところ探しを始めている
まさに、セルフコーチングの基本が、
身についている自分に気づき驚いている
自分に気づいた今日この頃
という訳でございます。

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