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軽々と昨日の自分を超える方法

どうも調子が上がらない。
仕事の進み具合も良くない。
気分も上がらない。

昨日はそんな感じの一日。

とは言え、
このまま一日を終えるのも、どこか違う

マイナスを取り返そうとジョギングに出発
いつもより長く、いつもより早く走って、
達成感と心地良い疲労感。
風呂に入ってそのまま寝てしまおうと、
noteはスキップ。

今朝は、そんな昨日を取り戻そうと、
仕事もしっかり、noteも再開、
と気合を入れ直して臨もうと思ったとき、
ふと違和感を持った。
それが「取り戻す」という表現

取り戻す必要なんてない?

昼間の反省から、
挽回しようとジョギングしたのが昨日。

昨日の反省から、取り戻そうと、
仕事もnoteも気合を入れ直したのが今朝。

過去は過去として、
今から何ができるだろうか?
そう切り替えらたのは、
自分で自分を褒めてあげたい。

だけれど、
果たして、ぼくは何かを失ったのだろうか
失ったものがあるから、
挽回する必要がある、ということなのか。

もちろん、昨日一日の生産性は、
決して高くなかった。
その意味では、
失ったものはあるのかもしれない。

ただ、長い目で見れば、
調子の波があるのは当然。
そんな一日があっても不思議はない。

それに、誰にだって成果が出ない日はあって、
それだけで他人に対して減点することはない。
少なくとも、そうありたいと思っている。
明日からいつもの調子でやってくれたら十分だ

だから、そんな捉え方を自分にも当てはめてみた。
すると、感じたのは

「別にぼくは何かを失ったわけではない。
そんな日があったというだけ」

だから、何かを挽回する必要なんてない。
今日も一日、いつもと同じように、
今、この瞬間から、
自分にとって本当に大切な行動、
本質的な行動を積み重ねたらいいだけなのだ。

そんな風に捉え直すと、
肩の力が抜けた。
仕事もnoteも、
今、目の前に集中しようと、
逆に軽く動き出せた。

ふと思った。

切り替えるって、
それまでの自分を否定することじゃない。

今からどうするか。
未来の自分のために、
今、何ができるのか。

ただ、それだけのことなのだ。
なんて思って、いつもより軽やかな気分で、
noteを書いている。

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