楽しみを忘れたくない。(2024 3月22日)
人生における『楽しみ』や、『幸せ』を意識し出したのはいつ頃だろう。
私の場合は、おそらく中学生になった頃だと思う。
それまで考えたことがなかったのは、あまりストレスを実感していなかったから。
不幸を感じるから、幸福は強く光っているように見える。
皆んな幸せになりたいはずなのに、幸せを美味しく味わう方法が不幸に手を染めることって、なんだか皮肉が効いているな。
私が突然、小論の課題文のようなことを言い出したのは、先日に引き続いて私自身と向き合うことと関連している。
おそらく、私はこれから最も淡白な味の生活を送ることになるだろう。
人間関係もそれほど複雑でなく、かといって何かを達成することもない、植物のような人生。
ジョジョ5部のラスボス『吉良吉影』も、このようなことを言っていた。
以前の私も、こういう生活を送りたいと思っていた。
けれどここ数日、自分が覚えている範囲で今までの言動を振り返ると、私は常に何かしらの刺激を求めているような気がしてならない。
食事でも極端に辛かったり味が濃かったりするものを好むし、ホラー作品が好きなのも『恐怖』という刺激を欲していることの裏返しなのだろう。
元に、私のサブスクの履歴はホラー映画かホラーモキュメンタリー作品ばかりになってしまっているしな。
紙の上のキャラになりきろうと思って自分自身の欲求を殺してみても、難しいみたいだ。
少し話が逸れてしまったが、
要するに、私はこれからも日々の楽しみを忘れたくないと思っている。
感情の動きがなくなってしまったら、死んでいるのと同じだ。
神が作ったこの世界は、無個性で集団的な人間だけの方がうまくいくように出来ているが、私はそんな世界にできるだけ抵抗したい。
孤独になりたいわけじゃないが、せっかく感情とか個性みたいな悪性の腫瘍に支配されてばかりじゃ、せっかく出生という非道徳的行為を犯してきた甲斐がないじゃないか。
というわけで、今回の日記は俳句で締めたいと思います。
ハンガーで
こんにゃくを焼く
松崎しげるMK.2
みんなもポケモン、ゲットじゃぞ〜
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