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海外で育つ子どもが日本の小学校を体験したら⑤ ぼくの友達

「친구는 생겼어?(友達はできた?)

息子が小2の7月。体験入学で日本に行って間もなく、ビデオ通話をするパパや韓国のおじいちゃんおばあちゃん、オンラインで授業をしてくださっていた韓国語の先生などが、挨拶代わりに言っていた言葉です。

「……」

ユウはいつも、少しの間を置いた後に

「친구는 그렇게 쉽게 생기는 게 아니거든요.(友達って、そんなに簡単にできるものじゃないから)

そう答えていました。

体験入学の初日から同じ下校班の子とポケモンごっこをしながら帰ってきた息子でしたが、実感を持って「友達」と感じるまでにはまだまだ時間がかかるようでした。

「だってさ、韓国の学校でだって、ジュンと仲良くなるのに3ヶ月はかかったよ」

ジュン君(仮名)は、韓国の学校で一番仲良しのお友達。子ども同士の性格も合い、ご両親が日本駐在経験があり赤ちゃん時代を日本で過ごしたこともあって、私も息子も気楽に付き合える親子です。

確かに、小1の1学期、毎日毎日放課後に公園で遊んで、お家にもお互い招待して遊んで…。それが3ヶ月ぐらい続いて、徐々にベストフレンドと言える関係になっていったのでした。

滞在期間が4ヶ月と限られていた私達にとって、そんなお友達に日本で出会えるかどうかは未知数でした。

7月。最初の一ヶ月は、嫌がらずに毎日早起きして学校に通っていましたが、誰かと放課後に約束して遊ぶということはありませんでした。

夏休み。遊園地に川遊び。日本に一時帰国した日韓家族のお友達と夏祭りに行ったり、じいじばあばと一泊旅行したり。ポケモン映画鑑賞に自然の中でのカヌー体験。都内の日本科学館や科学技術館にも足を運んだりして、充実はしていましたが、予定がない日は「遊びたい。ひま」とソファで伸びている息子でした。

近所で気軽に遊べる友達がいなかったため、時間を持て余す日もあり「この先もずっとこんななら、暇すぎて韓国に戻りたくなりそう」と言い出した頃、2学期が始まりました。

そんな息子でしたが、ある日を境に下校班が同じ友達の会話から「今日ね、タツ君とダイ君(仮名)、一緒に遊ぶ気がする。僕も行きたい」と度々言うようになりました。

とはいえ、確実な話でもなく、誘われてもいないため、家に留まるもどかしい日々。そんな日が続いた初秋のある日。帰ってきたユウが開口一番「ダイ君に、今日一緒に遊ぼうって誘われた!」と言ってきました(母感涙)。

近所の公園ということで、念のためついていくと、ダイ君のお母さんとダイ君が待っていました。

「やっとお会いできた~!ユウ君の話、よく聞いてたんですよ」

穏やかに笑うダイ君のお母さんが天使に見えた瞬間でした。

その日から、ダイ君とユウは、ほぼ毎日遊ぶようになりました。ダイ君はクラスが違うけれど、ユウが日本の学校に来た初日、韓国からやってきたお友達がいて、同じ下校班に来てくれたと喜んでいたのだそう(事前に作成したパワポの自己紹介が他のクラスでも紹介され、知ってくれたよう)。仲良くなりたいと思っていたけれど、なかなか誘えなかったのだと教えてくれました。

ダイ君はユウと同じポケモン好き男子で、ポケモンゲームも大好き。ママさんはBTSファンでもあり、韓国語も興味があるということで、私達親子にとって幸運な出会いでした。

近所のお友達と公園で、下校後暗くなるまで遊ぶのは、習い事の多いソウルではあまり見られない光景です。

ダイ君のお家に遊びに行った時には、「日本の友達のお家に初めて行ったよ!」とこれまた嬉しそうでした。「この前、ママのお友達家族のお家に行ったじゃない?」と言うと

「それは、ママのお友達でしょ?今度は、ぼくの友達だから

とのこと。

「友達の家に行く」という何気ないことですが、ユウにとっては、日本では8才で、待ち望んだ末に経験したことでした。

すっかり仲良くなった二人。

日本に、子ども自身が自分で作ったお友達がいるということは、海外在住の私達家族にとって、非常に貴重でありがたいことです。

仲良くなる速度やタイミングは人それぞれですが、ユウとダイ君の場合は、ちょうど3ヶ月頃を境に急速に親しくなったため、ある程度の人間関係を築くのに時間が必要だったと言えるでしょう。

ユウの様子を見ていて、体験入学の期間を考える際、適応の早い小学校低学年の場合、目安として一ヶ月以内なら日本の学校がどんなものか体験してみる程度、3ヶ月~6ヶ月程度ならある程度現地に馴染み友人関係もできてくる程度、そして6ヶ月以上の滞在をしていたならば、日本の方が子どもにとってホームになっていく可能性があるなと感じました。

日本に滞在して4ヶ月めを迎える頃。日本での学校生活にもすっかり慣れ、家でも楽しそうに学校での出来事やクラスの友達の話をするようになっていたユウでしたが、ふと「韓国の学校の友達、同じクラスにどんな子がいたっけ」と言うことがありました。徐々に韓国での学校生活が遠くなり、日本の学校生活の方が彼にとっての現実であり、重要なことになっていくようでした。
日本に来たばかりの頃は頻繁だった、ソウルにいるジュン君とのZOOM通話も、この頃には回数が大分減っていました。

日本語も伸び、教科の学習にも問題なくついていけるようになっていましたが、私達には決められた滞在期間がありました。「もう少しいちゃダメ?」「持久走大会まではいたいのに」「まち探検やりたかった」「ずっとここで学校に行きたい」と言い出し、期間を延長してあげたい気持ちを堪え、後ろ髪を引かれながら、韓国へ戻りました。

お店の人へのインタビューの準備をしていたまち探検は、私達の帰国の翌週に予定されていました。数週間後には持久走大会、翌月には遠足。日本での時は、子どもたちがずっとそこにいることを前提に流れていきます。日本の学校のカリキュラムの流れに途中から入って途中で抜けていくユウは、ちょうど新たな土壌に根を張り始めた頃にスッと抜かれて、他の土壌にまた植えられる若木のような…。名残惜しさは、その痛みのように感じました。

最後に近所のお友達が集まってくれて公園で遊んだ日。

「なんか、ユウ君がここにいるのって、もう当たり前の風景すぎて。明日からいないなんて、なんだか信じられない」

日が暮れゆく中で鬼ごっこをする子どもたちを眺めながら、そう言ってくれたお友達のお母さんの言葉が、私の気持を代弁してくれているようでした。
当たり前になった日本での日々がふっと途切れること。国と国の間を移動しながら体験入学をするということは、子どもにとって、2つの並行して流れる日常の間を泳いで突っ切っていくような、そんな経験でもあります。

いつもランドセルを背負って学校に行く日本の子ども達が、特別にリュックで登校しても良い、という日がありました。その日もランドセルを背負っていたユウに、韓国から持ってきた青いリュックサックで登校しないのかと聞くと「ランドセルがいいんだよ。他の子はいつもランドセルだからリュックが良いかもしれないけど、ぼくは今だけなんだもん」と言いました。

いつか日本の学校に子どもを通わせたいと望みながら幼児期の子育て中日本語を身につけられるようあれこれと工夫し、入念な準備を経てようやく実現した体験入学の日々でしたが、一面では、いつかそこからいなくなる子どもとして束の間そこに存在する、そんな切なさもついて回るのだと知ったのでした。

現地で親しくなったお友達とも、しばらくすると連絡が遠ざかり、再会しては少しのぎこちなさを経てまた仲良くなり…の繰り返しです。それを反復しながら育っていくことが、どういう影響を及ぼすのか、今は答えは見えませんが、一つの過程として、見守っていきたいと思います。

図工の時間に作った作品が商店街に飾られて。その時、確かにそこにいたことの証明。


さて、次回は、体験入学シリーズの最終回。韓国に帰国してから見えてきた日本への体験入学をして良かったことと、そして注意が必要だと感じたことをまとめます。



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