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水に浮かぶ①

 明日は一日水に浮かぶ日なんだよ、て、いきなりしーちゃんが言った。しーちゃんは、顔の前に顔だけが映るくらいのちょうどいい大きさの鏡おいて、まえがみ切ってる。刃がぎざぎざになってるはさみ使って、なれた手つきでちょきんちょきん、うわあ、短すぎたかな? って言ってくるしーちゃんのまえがみみてみると、ちょうどまゆげと同じラインの長さになっていて
「ちょうどいいと思うよ」
 と返すと
「そう? でもさ、まえがみって絶対切った長さから一センチくらい短くなるじゃん? ああ、これじゃあまゆげでちゃう」
「まゆげでてもしーちゃんなら似合うと思う」
 って言うと、しーちゃんは小さな、くるみしか食べないような口尖らせて、まゆげくいっとあげて目をまんまるにして、おまけにすこしだけ頬を紅潮させて
「そう?」
 とわたしをみてくる。
「うん、しーちゃんは、長いまえがみより短めのほうが似合う気がする。顔が小さいから」
「嬉しいこと言ってくれるじゃん」
 しーちゃんは切りかけのまえがみに触れて、カーテンずらすみたいにささっとかみを横にやる。しーちゃんのあんまり整えられていない、なのにきれいな、ちょっとだけアーチ型したまゆげが露わになって、まあ、この長さでもいっか、と今度はまゆげをくいっとあげて、誇らしげな顔をした。しーちゃんはまえがみ揃えるために横に流したかみを再びまっすぐに整えて、ブラシでちゃんと梳かしてからすいたりちょっとだけ飛びだしてるところを切っていく。
 しーちゃん、まえがみ切るのうまいなあ、って思う。美容師でもなければ、美容学校にかよった経験だって多分ないのに、しーちゃんはまえがみ切るのがうまい。
「いいな、わたしも自分でまえがみ切られたらな」
 理想のまえがみの長さよりもだいぶ伸びてしまったまえがみはまっすぐにすると目にかかるから、斜めに流している。二本指でつまんで真っすぐ伸ばしてみると、口元まできた。
「簡単だよ、ちょきっちょきって切ればいいんだから。なにも難しいことないよ」
 しーちゃんは持っていたはさみをおいて、わたしの長くなったまえがみに触れて、もうかたほうの空いている手をはさみの形にして、ちょきん、ちょきん、って切る真似する。
「不器用だから、多分無理かな」
「わたしは、昔から切ってたもんなあ、まえがみってなんか伸びるのはやいから」
 と言い、今度は刃がぎざぎざになっていないはさみ持って、最後の微調整をしている。長かったしーちゃんのまえがみが短くなって、印象が変わる。大人っぽかったけれど、すこし幼くなった。というより、可愛らしさがました。
「うん、たしかに。まえがみって伸びるのはやい。ねえ、それより、明日一日水に浮かぶってどういうこと?」
 しーちゃんはまえがみを整えたあと、はさみをおいてわたしをみた。
「毎年、そういう日があるんだよ、知らなかった?」
 四年に一度は三六六日の日があるんだよ、というような口調で、わたしの目をみる。
「ぜんぜん知らなかった」
 しーちゃんは、そっかあ、まだ水に浮かぶの浸透してないんだ、でも、きっとそのうち日本中に広まるはずだよね、とぶつぶつ、わたしにじゃなくて目の前の鏡に映っている自分に言いきかせるようにつぶやく。
「水に浮いてると、いろいろでてくるんだよ、からだからね」
「からだから?」
 つい、なににも隠されていない自分の腕みた。
「そう、一年でたまったものが。デトックスみたいな。これやると、また一年新たな気持ちで過ごせるの」
「へえ、そうなんだ。浮く場所は、水があるならどこでもいいの?」
 非現実的なはなしにも関わらず、しーちゃんの言葉には人を納得させるなにかがある。水に浮く、ということ自体はべつに特別なことじゃない、でも、それがデトックスになるというのは、今日はじめて知った。
「もちろん。いつも近くの市民プールいってた」
 話をしていると、水に浮かぶ、という行為をしなければという思いがだんだんと強くなっていくのを感じる。
「わたしもしたほうがいいかな?」
「したほうがいいよ、もちろん。まあ、強制じゃないけどね。でも、デトックスしないと、どんどんたまってくの。からだに毒ためとくなんて、よくない。とくに今の時代は、いろんな毒が知らないうちにたまってくんだから。水着は持ってる?」
 しーちゃんは言いながら、毒々しいとも言える紫色の葡萄ジュースを飲んだ。
「ああ、えっと……」
 水着なんて数年きてないし、もしあったとしても学生のころにきたやつだから、今きたらきっとぴちぴち、からだのラインがくっきりとあらわれて、恥ずかしいことこのうえない。
「ここにはないかな。実家にならあるかもだけど」
「じゃあ、買いにいこ、今から」
「今から?」
「うん、だって明日だからね」
 切られてしーちゃんの一部ではなくなったただの黒いほっそい棒ののった紙をくるくると巻いて、そのままごみばこに捨てる。
「あ、そうだ。せっかくだから海いく? 海で浮いたことはまだ一度もないから。気持ちいいかな」
「でも、大丈夫? しーちゃん電車乗れる? 海いくなら多分電車が一番はやいと思うけど」
 しーちゃんはふだんから電車に乗らない。人がみっしゅうして息苦しいから電車に乗ることが好きじゃない、と前に本人が言っていたけれど、それが本当の理由なのかどうかはわからない。
「明日一日くらいなら平気、うん、多分。人がすくない時間帯なら。だから、朝はやくいこっか海」
「うん、わたしはかまわないよ、ぜんぜん」


                              つづく

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