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推し活から考える「シン・エヴァ」

 興行収入100億円からの円盤売上「Q」58万枚→「シン・エヴァ」15万枚の大幅減については、面白い現象だなと興味深く見ていた。

 公開から達成まで120日もかかったことや、終映ラスト付近で薄い本の特典配布で不自然な20億円のジャンプアップがあったとしても、興行収入100億円は凄いことだし、この時代に円盤が15万枚売れるだけでも充分凄いことだとは思う。サブスク配信があったんだから、円盤が「Q」の時ほど売れるわけがないという意見も一理ある。
 一方で、「Q」から「シン・エヴァ」の円盤売上43万枚の落差は、今までシリーズで円盤を集めていたファンからすれば、43万人が「コレクションする価値なし」とした立派な爆死だし、購入しなかった(元)ファンの多くが「スタジオカラーには二度とお金を落とさない」と怨嗟の念を吐き出していて、興行収入100億円とこの怨嗟のギャップについての興味が尽きない。

 公開からの2年間で映画の内容についての賛否は散々議論されているのでここでは深く触れないが、古参のファンー特にキャラクターやカップリング推しのファンを優しく皆殺しにする内容になっており、その後のアニメ雑誌のインタビュー記事や薄い本の寄稿イラストなどの場外乱闘で殺したファンをさらに入念に焼き払ったため、それが原因で多くのファンが離脱(公開当時に蔓延していた言葉を借りると「卒業」)したのは間違いないと思う。
 「プロジェクト・シン・エヴァンゲリオン」のインタビューなどによれば、興行収入100億円は目標としてあったようで、達成のためには、古参のベビーユーザーに加えてライトなファン層も取り込む必要があった旨の記述がみられる。
 意図したものなのかは知らないが、なぜ今まで散々キャラ商売でマネタイズしてきた、謂わば上客のファンを焼け野原にしてまで興行収入100億円達成を目指したのかについては、「シン・ユニバース」シリーズの商業展開が控えていたからではないかと個人的には思う。
 「シン・ウルトラマン」「シン・仮面ライダー」の公開が続いていく際に、一般層のファンを増やし、今後の箔をつけるために興行収入100億円は必須条件という大人の事情があったように感じる。

 話は逸れるが、自分の好きなタレントやキャラ、趣味のあれこれにお金をかける「推し活」市場は年々膨大な規模になっていて、資料によると2021年の段階で経済効果は約6,840億円にのぼる。そのうち、アニメの推し活市場は一番規模が大きく、約2,800億円となっている(当時の予測データのため、誤差はある)。
 これは、情報の窓口がテレビや雑誌、新聞などに限定されていた90年代頃までの、広く浅い客層に対して商売をするやり方ではなく、情報の取得場所やコミュニティが無数に枝分かれしている現代では、間口は狭くても深いデプスがある市場に対して行なう商売の方が有効になっていることを意味している。

アイドルが20年度で急激に落ち込んでいるのは、コロナ禍でライブなどの活動が制限されたためと思われる


 仕事で資料を漁っている時に、「シン・エヴァ」およびスタジオカラーは、この推し活市場の動向と全く真逆のことをやったんだなと思った。一般のライトなファンを獲得するために、今までディープに自分達の市場を支えてきたファンを切り捨てた。そのつもりはなかったのかもしれないが(あの内容でそれはないとしか思えないが…)、結果的にファンの多くが裏切られたと感じて見限ったように見える。
 自分に限っていえば、「シン・ゴジラ」の時は別に庵野監督の作品だからなんて気にしないで観た。子供の頃に観たゴジラ映画を思い出してドキドキしたし、面白いなと思った。
 でも、「シン・エヴァ」を観てからは無理だった。「シン・ウルトラマン」も「シン・仮面ライダー」も、「庵野監督の作品だから」観ていない。知り合いは絶賛していたし、観たら面白いと感じるのかもしれない。でも、観る気にはならなかった。どうせまた作り手の気分次第でキャラクターの性格が捻じ曲げられたり、整合性の取れないシナリオになって傷つけられるに違いないという気持ちがどうしても先にくる。自分は庵野監督が嫌いな部類のオタクだろうから、きっとそうなるだろう。そんな風にしか作品を見られなくなっているのが嫌だけど、純粋に作品を楽しめなくなってしまった自分がいる。

 気になっているのは、今後スタジオカラーが誰に対して作品を作るつもりなのかという点。
 いなくなったファンにも向けてもう一度「エヴァ」をやるのか、それとも残った15万のファンのために新しい何かを作るのか。
 世間的には、「シン・エヴァ」は興収100億を達成した立派なアニメ映画だろう。「プロジェクト・シン・エヴァンゲリオン」だって、グラウンドワークスの書籍は条件が特殊だからほとんどの書店が仕入れなかったとはいえ、SNSで告知が入る度にAmazonの本のランキングでは上位10位以内に入っていたし、重版だってかかった。何か重大発表をするといえば、自社サイトのサーバーがダウンするくらいの影響力は、完結して2年が経った今でもある。そんな制作会社は他にないと思う。
 一方で、円盤の発表から発売までは粛々としていて静かだったと思う。過去に社会現象にまでなったアニメの完結作にもかかわらず、発売直前でも爆発的な盛り上がりがないのを会社の上司が訝しがっていた。そりゃあ以前みたいには盛り上がらないだろうなと冷めた目で見ていたけど、世間的な評価とネット界隈での評価のギャップの大きさは、息の長い作品だけに他に類を見ないほどその断絶は深いと感じる。

 じゃあファンに媚びた作品を創ればいいのかといえば、それも違うだろう。芸術や娯楽作品において、そのあたりの匙加減は常に難しい。
 ただ「Q」以降は、やはりTV版や旧劇とは全くの別物だったと思う。思春期のリアルな葛藤も、ままならない人間関係も、重厚なSF設定も、地に足つけたロボットプロレスも「Q」以降なくなってしまったと感じた。重要な要素を担っていたスタッフのほとんどがいなくなったのなら、新劇は別物として完結させてほしかったけど、全ての作品が「シン・エヴァ」に収束するかのような演出にした。今振り返ると、それが一番嫌だった。
 今は自分なりに作品を解釈して、色々な含みを持たせた作品だったんだと考えるようにはしているけど、初見の時に感じた「嫌がらせを受けた」ような感覚は未だになくならない。
 きっと自分が忘れた頃に「興収100億円を突破したエヴァンゲリオン」なんて紹介しているTV番組やYahooの記事なんかを目にする度に複雑な気持ちになって心がざわざわするんだろうし、ねとらぼなんかの「意外なキャラ同士がくっついた作品」だとかの記事を見て、初見の時のあの嫌な気持ちが蘇ってまた眠れなくなったりするんだろう。
 エヴァはもう、時々思い出して見返して、感動をもらう作品ではなくなってしまった。

 スタジオカラーの次回作は、重要な試金石になるだろうなと思う。
 誰に向けて作品を作るつもりなのか。去っていったファンのためか、変わらず応援してくれるファンのためか、それとも自分たちの満足のために作るのか。
「シン・エヴァ」からこれまでの一連の流れはビジネスモデルとして成立するのか、個人的な興味は尽きない。

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