ヒッチコック・アンサー【掌編】

この話のアンサー版です。

 同居人が死んだ。私と同じ、毎日限界だと疲れた顔で笑っていた女の子だった。

 よく晴れた日だ。今日の総武線は人身事故で遅延。相変わらず何かしらの理由で遅延をしているから、それを見越して早く家を出てきて良かった。長すぎる出勤時間が更に長くなるのは問題だけど、遅刻して一日肩身の狭い思いをするくらいならば、と思う。
 前の電車が押して到着して、多くの人がそれに乗っていく。私も変わらず電車に乗り人々の群れの一つとなる。毎日繰り返される出勤、労働、退勤。そして生活を回していく行為。その中で唯一と言っていいほどの癒しは推しであり、頑張ろうと思えるのは一緒に住んでいる同居人も私と似たような感じだからだ。彼女は地元の同級生で、私たちは就職を期に東京に出てきた。なんとなくノリで言った「ルームシェアをしよう」が現実になって早一年、二人ともすっかり東京の色に染まりつつある。Suicaのタッチも慣れたものだし、定期券だって一年分。自転車も買って東京の町中にあるスーパーに通う。東京は人が住める場所なんだって初めて知った気分だった。
 同居人はのんびりとした私と違って、行動が早いところがある。彼女の行動力がなかったら私たちは一緒に住んでいないだろう。友達でルームシェア、って言うと周りには驚かれるけど、この一年でかなり二人の生活を作ることができた気がする。私の仕事は不規則で、残業も多いからなかなか彼女の生活リズムとは一致しない。だからこそお互いの居ない時間に好きなことができるというメリットもある。今日も今日とて残業をした。仕事は相変わらず目が回るくらい忙しくって、やりがいとかいうよりも生きるために働いている。やりがいを仕事にできたらどれだけ楽しいのだろうか。わからないけれど、『好きなこと』を仕事にしている同居人は疲れた顔をしながらも楽しいと言っていた。
「ただいまー」
 いつもはついているはずの電気がついていないので、もう寝たのかな? なんて思いながら部屋に入ると、彼女の部屋の扉が開いていた。私たちは家に居るかどうか判別するためのルールとして外出中は部屋の扉を開けるという不思議なものを用いていた。お互いに金銭管理などの信頼をしているからできることだけれど。
 珍しく私より先に帰ってきていない。彼女の仕事はあまり残業はないと言っていたが、たまに驚くくらい残業で遅く帰って来るので、今日もそれかもしれない。なんて思いながら冷蔵庫に入っている作り置きのご飯をレンジで温めて、レトルトのスープを食べる。自炊なんてほとんど簡単なものしかできないし、毎日料理をする同居人みたいな余裕のある生活は送れていないが、私は結構この生活を楽しんでいた。そりゃあ、仕事はきついし、辛いし、辞めたいけれど。ずっと実家に居たから友達と一緒に住むというのはとても楽しく、都会は刺激がたくさんあって面白いのだ。できる限りこの生活が続けばいいのに、と私は思っている。

「……は?」
 仕事中に知らない番号からの電話に警戒して一度着信を切り、調べたら警察だった。落とし物でもしたのかななんて呑気なことを考えながらかけ直すと、身元の確認をされて言われたのは一言。同居人が昨日人身事故で死んだという事実だった。
 ホームの飛び込み防止柵を無理やり越えて飛び込んだらしい。私が呑気に家で出社の準備をしている時間帯の話らしい。身元の確認が済んだのは昨日の夜。家族には先に連絡をして、そして同居している私に連絡が来たということらしかった。
 え、家賃どうしよう。
 咄嗟に出た疑問に自分で自分を疑う。
 警察との電話を切って今度は彼女の家族に連絡をする。その間もずっと現実的な手続きのことばかり考えていて、どこか彼女に対して迷惑さえ覚えていた。

「ただいまー」
 今日も残業だった。昼休みに警察や同居人の家族と電話をしたせいで消耗が激しい。
 返事のない暗い部屋にようやく現実だということを理解し始める。

 彼女が作ったカレーのあまりがコンロの上に置いてある。
 彼女が週末に使うと言っていた新しいボディスクラブがお風呂に置いてある。
 冷蔵庫を開ければ、食べるつもりだったのだろう作り置きも置いてある。
 こんなに生きるための痕跡で溢れているのに、本当に死んだの? 葬儀は身内だけで地元ですることにしたらしい。私も来てもいいと言われたが、仕事が忙しすぎて休めないから今度お花をあげることにした。ただの同居人に忌引きは使えない。

 ねえ、どうして教えてくれなかったの?
 本当に限界だったこと。何回もホームの飛び降り防止柵を越えようとして駅員に保護されていたこと。たまにあった遅い帰宅は残業じゃなくて駅で動けなくなっていたこと。全部全部、どうして私には教えてくれなかったの? 死んだら何もできないのに。もし生きていたら何かすることができたかもしれないのに。

 一緒に住んでいても、何も、気づけなかった。
 もし私が気が付いていたら何か違ったのかな。



#小説 #掌編 #ユリア・ジンジャーマン

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