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ああ煩悩の余は老けて

動画サイトで
「ドリフ大爆笑」
を見ていたら、懐かしいコントが沢山出てきた。カトチャンとブーさん以外は亡くなってしまった。でも、画面では皆さん生き生きと若いままである。

コントの中で、葬儀で足が痺れてひっくり返るというのが割とよくあった。

今でこそ、お寺にも、痺れない座椅子など用意してあるが、ちょっと前まではそんなものはなく正座だった。

私の身内の話だが、葬儀で全くオナジコトがあった。
読経は長く、そろそろ足がやばいと思いつつみな神妙にしている。当然だ。

焼香になった。その時の喪主は現在外科医をやっている従兄だった。
彼は緊張と痺れがピークだった。
足が痺れると感覚が麻痺する。
彼はバレリーナのようにツツツ・・と爪先立ちで、明らかに変だった。
で、突然ひっくり返った。
向かい側の参列者の方たちは何事もないように神妙だ。

故人に近い親族が次々焼香が進むが、もう一人の従弟が同じようにひっくり返った。
静寂の中で、
どてーん・・・
とひっくり返る音が響いたのだった。

親族の席ではそれでも、すすり泣きがもれていた。
・・・と思ったら、喪主も、夫を亡くした妻も、父を亡くした娘も全員ハンカチを当て、必死で笑いをこらえているではないか。

オジたちもオバたちもみなそうだ。泣いていると思ったら、おかしくて涙を流しているのだ。
「笑うな!」
と言って、横の妹をつつく妙齢の伯母(故人の妻)が一番笑っている。
しかし、参列者の方から見れば皆嗚咽しているようにしか見えなかったと信じたい。

よそは知らぬが田舎の法事は、三回忌まではきちんきちんとで、結構大変である。
ごく近い範囲に住んでいると、宗派も同じで寺も同じ。
親の世代が次々逝く年頃なので、親族内だけでも毎年のように同じことを繰り返す。

近年住職が代替わりしてから、読経の際、参列者に経本が回され、
「ともに唱和を」
言われるようようになった。
で、憂鬱になる。

蛇腹折りの経本、言われたページを開いて、
「・・・・長い・・・」

私は煩悩のカタマリなので
「めんどくせー、辛気くせー」
と、小声でとなりに座っている従姉に言う。

従姉も
「ホントニさ」

でまた頭をよぎる
「ドリフ大爆笑」
の葬式のシーン。

で、
「まーかーはんにゃーはーらーみーたー・・・・」
と始まる。

牛の涎みたいな、間延びして抑揚のない、坊さんだけは朗々と唱えるが、我らはやる気なく、特にワタシなんぞは
「もっとテンポよくできないものか」
といつも思う。

ワタシはほかの人よりキーが高いようで、抑えてやらないとへんに目立つ。
なのでムツムツと
「うーん・・・うーん」
経験がないが、ひどい便秘とはこういう煮え切らない状態なのだろうかとか、
「死んだオバちゃんも、こういう辛気臭い声で拝まれて嬉しいだろうか」
と罰当たりなことばかり考える。

読経がやっと終わり
「ヤレヤレ」
と思っていると、次はもっと長いのが待っていた。

「・・・終わった・・・」
と従姉に言うと
「勘弁だぁ・・・」

皆さん考えることは同じらしく、きっと何ページの、どんな長さのお経だろうかと確認して、予想以上の現実にガックリと肩を落とす。
狼狽で手もとが狂い、経本を落とすのが必ず数名いる。蛇腹なもんだから、だららーっと向こう側まで広がってしまうのも二名はいる。

罰当たりではあるが、血筋でもある。

それにしても、なぜ泣く場面でも笑うようなことばかり起こるのだろうか。
そしてまた、参列者の方々のきちんとしていること。つくづく感心する。
やっぱり私たち一族のほうが変なのだろうか・・・。

故人となった人達、迷わず成仏してるよね???
たまに心配になる。

法事はつつがなく終わり、夜は
「座直り」
で、また飲み食いである。
実に実にご苦労なことであるが、三回忌となると親しい身内でけなのでヒジョーに気楽である。

煩悩の夜は更けていく。そしてみんな経年とともに老けていくのを実感するのであった。

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